イギリス通史

イギリス文学史

イギリス文学史を貫いているのは、言語の力関係である。この文学史は、英語という言語が負けて、勝ち直して、世界に広がり、そして外から作り変えられていく過程として読むと筋が通る。

出発点で押さえておくべき事実が一つある。英語は一度、文学の言葉であることをやめている。 一〇六六年にノルマン人が征服した後、支配層の言葉はフランス語になり、学問の言葉はラテン語で、英語は支配される側の話し言葉に落ちた。この状態がおよそ三百年続く。

この経験が英語に二つのものを残した。一つは語彙の二層構造である。生きている動物はゲルマン系の英語で呼ばれ(cow, pig, sheep)、食卓に出た肉はフランス語系で呼ばれる(beef, pork, mutton)。育てたのは英語を話す農民で、食べたのはフランス語を話す領主だったからである。征服の記録が、今も英語の単語の中に残っている。

もう一つは、外来語を際限なく飲み込む体質である。負けた言語は純血を守れない。結果として英語は、ヨーロッパの主要言語の中でも異常に語彙が多い言語になった。シェイクスピアが自在に語を作れたのも、この雑種性の上に立っている。

以下、この言語が負けて勝ち直す過程を追う。

中世 — 負けて、取り戻す

征服前の英語(古英語)で書かれた最大の作品がベーオウルフである。成立時期には諸説あるが、写本は十世紀末から十一世紀初めのものとされる。今日の英語話者はこれを読めない。 外国語と言ってよいほど違う。頭韻を踏む詩で、怪物と戦う英雄の話である。

一〇六六年以降、英語で書かれた文学はほとんど途絶える。書ける人間は書かず、書く人間はフランス語かラテン語で書いた。

英語が文学の言葉として戻ってくるのが十四世紀である。ジェフリー・チョーサーカンタベリー物語(一三八七年頃から)は、カンタベリーへの巡礼に集まった三十人ほどが、順番に話を語っていくという構成をとる。騎士がいて、粉屋がいて、修道女がいて、幾度も結婚した女がいる。身分の違う人間に、それぞれの身分の言葉で喋らせたことが決定的だった。

チョーサーが選んだのはロンドンの英語である。彼が権威ある作家になったことで、この方言が「標準の英語」になっていく。 言語の標準を文学が決めた例である。

ルネサンス — 英語が鍛えられる

十六世紀、英語にはまだ劣等感があった。トマス・モアユートピア(一五一六年)を書いたのはラテン語である。真面目な思想を書くならラテン語、というのが当時の常識だった。フランスでも同じ問題が同じ頃に起きている

だがこの世紀の後半から、英語は急速に力を得る。エドマンド・スペンサー妖精の女王で古風な英語をあえて使って国民的な叙事詩を試み、クリストファー・マーロウフォースタス博士で無韻詩を演劇の言葉にした。

そしてウィリアム・シェイクスピアである。一五六四年生まれ、一六一六年没。大学を出ていない。彼が特別なのは、思想の深さより言語の扱いにある。 名詞を動詞に変え、語をつなげて新語を作り、王の言葉と道化の下ネタを同じ場面に置いた。今日の英語話者が日常で使う言い回しの相当数が、彼の劇に出典を持つ。

演劇の条件も効いている。当時の劇場に舞台装置はほとんどなく、場所も時間も天候も、すべて台詞で説明するしかなかった。 言葉が背景を描かなければ何も見えない。この制約が言語を鍛えた。同じ頃フランスでは規則が演劇を縛っていたが、イングランドには規則がなく、シェイクスピアは悲劇の中に喜劇を平気で混ぜている。

一六一一年に欽定訳聖書が出る。文学作品ではないが、これが以後三百年の英語散文のリズムを決めた。日曜ごとに全国民が同じ英語を聞いたのだから、影響の規模が違う。

ジョン・ミルトン失楽園(一六六七年)は、清教徒革命に加担し、王政復古で失脚し、失明した男が、口述で書かせた叙事詩である。神に反逆したサタンが、意図に反して最も魅力的な人物になっているという点を、後のロマン派が見逃さなかった。

17-18世紀 — 小説が発明される

近代小説は、この時期のイギリスで生まれたと考えられている。 理由は文学の内側になく、外側にある。中産階級が育ち、字が読めて、本を買う金があり、読む時間があった。

ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー(一七一九年)は、無人島に流れ着いた男が、何をいくつ持っていて、何日で何を作ったかを延々と記録する。この即物性そのものが新しかった。 英雄でも神話でもなく、収支計算をする人間が主人公になった。

サミュエル・リチャードソンは手紙だけで長篇を書き、ヘンリー・フィールディングトム・ジョーンズで語り手が読者に話しかける形を作った。ロレンス・スターントリストラム・シャンディ(一七五九年から)に至っては、話が脱線し続けて主人公がなかなか生まれず、真っ黒なページや白紙のページが挿入される。 小説というジャンルが生まれた直後に、もうそれを壊す作品が出ている。

ジョナサン・スウィフトガリヴァー旅行記(一七二六年)は児童書として売られることが多いが、原型は人間という種そのものへの攻撃である。

ロマン主義 — 普通の人の言葉で

一七九八年、ウィリアム・ワーズワースサミュエル・テイラー・コールリッジ抒情民謡集を匿名で出す。その序文が宣言になった。主張は、詩は特別に飾った言葉ではなく、普通の人が実際に使う言葉で書かれるべきだ、というものである。

これはフランスのロマン主義とは方向が違う。フランスでは劇場で規則を壊すことが争点になったが、イギリスでは誰の言葉で書くかが争点になった。言語の階級性を経験してきた文学らしい争点である。

ウィリアム・ブレイクは独自の神話を作り、自分で銅版に彫って印刷した。生前はほとんど狂人扱いされている。バイロンは詩よりもスキャンダルで有名になり、ギリシア独立戦争に加わって現地で病死した。作家が生き方そのもので有名になる型は、ここで完成する。 ジョン・キーツは二十五歳で、パーシー・ビッシュ・シェリーは二十九歳で死んだ。

同じ時期にジェイン・オースティンがいる。彼女はロマン派の熱狂とは無縁で、田舎の中流階級の結婚市場を、精密な観察と皮肉で書いた。高慢と偏見は一八一三年。当時は生前の評価が低く、今日ではこの時代で最も読まれている。 ナポレオン戦争のさなかに書かれていながら、作品に戦争はほとんど出てこない。

メアリー・シェリーフランケンシュタイン(一八一八年)は、科学が生命を作ったらどうなるかを問うた。SFの起点とされることが多い作品が、十代の少女によって書かれている。

ヴィクトリア朝 — 産業と信仰

一八三七年から一九〇一年。イギリスが世界の四分の一を支配した時代である。文学の主題は都市・階級・貧困・そして信仰の揺らぎだった。

チャールズ・ディケンズは連載で書き、大衆に読まれながら社会批判をやった稀な例である。孤児院、債務者監獄、法廷の遅延、産業都市の煤煙。彼自身が十二歳のとき父の投獄で工場労働に出されており、その経験が生涯の主題になった。

シャーロット・ブロンテジェイン・エアエミリー・ブロンテ嵐が丘が同じ一八四七年に出ている。姉妹は男性名で発表した。ジョージ・エリオットも男性名である。女性が本名で書くことに障害があった時代の記録が、著者名そのものに残っている。

一八五九年、ダーウィンの『種の起源』が出る。信仰が支えを失う経験が、この時代の文学の底に流れている。 トマス・ハーディの小説では、人物が努力すればするほど不幸になる。彼はダーバヴィル家のテス(一八九一年)への非難に嫌気がさして小説をやめ、以後は詩だけを書いた。

世紀末、オスカー・ワイルドは機知で社交界の頂点に立ち、同性愛を理由に起訴されて二年の重労働刑を受け、出獄後に困窮のうちに死んだ。

20世紀以降 — 外から書き返される

二十世紀の入口で、英文学の中心にいるのはイギリス人ではない人々である。

ジョゼフ・コンラッドはポーランドに生まれ、英語は三番目に覚えた言語だった。その彼が闇の奥(一八九九年)で、アフリカにおけるヨーロッパの所業を書いた。ジェイムズ・ジョイスW・B・イェイツはアイルランド人である。英文学史はこれらの作家を自分のものとして扱ってきたが、当人たちの立場は単純ではない。 ジョイスは生涯の大半をアイルランドの外で過ごし、そのすべての作品でダブリンを書いた。

一九二二年は特別な年である。ユリシーズ荒地が同じ年に出た。前者は一日を七百頁で書き、後者は文明の廃墟を引用の断片で組み立てた。同じ年、フランスでは[[proust]]が死んでいる横断年表 1922年)。意識の流れという方法が、国をまたいで同時に現れた年である。

ヴァージニア・ウルフダロウェイ夫人(一九二五年)で一日の意識を追い、『自分ひとりの部屋』では、女性が小説を書くには金と鍵のかかる部屋が要ると論じた。文学の問題を経済の問題として言い切った点で、今も引かれ続けている。

ジョージ・オーウェルは帝国警察としてビルマに勤め、スペイン内戦で撃たれ、一九八四年(一九四九年)を書いて翌年に死んだ。言葉が支配の道具であるという主題は、この文学史の出発点(征服された言語)と呼応している。

そして帝国が解体する。旧植民地の作家たちが英語で書き返しはじめた。 サルマン・ラシュディはインドの独立を魔術的な語りで書き、著書を理由に死刑宣告を受けて長く潜伏した。カズオ・イシグロは日本で生まれ、イギリスで育ち、日の名残り(一九八九年)でイギリスらしさの典型とされる執事を書いて、二〇一七年にノーベル文学賞を受けた。

征服された言語が、世界を征服し、そして世界から書き返されている。 英文学の中心はもうロンドンだけにはない。

この先へ

千年を貫いているのは、誰の言葉が文学の言葉かという問いである。フランス語に負けた英語、チョーサーが選んだロンドン方言、ワーズワースの「普通の人の言葉」、そしてラシュディやイシグロの英語。この問いは一度も終わっていない。

どこか一つに降りるならルネサンスから。英語が劣等感を捨てて世界最強の文学語になっていく現場が見られる。

フランスと読み比べると対比が効く。フランスは中心が一つで規則を作り、イギリスは中心が動き続けて規則を持たなかった。