トマス・ハーディ

うつむき加減で、口ひげをたくわえたトマス・ハーディの油彩肖像画。
ウィリアム・ストラング筆(1893年)
原綴
Thomas Hardy
生没
1840–1928
出身
ドーセット州ハイアー・ボックハンプトン
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

生涯

1840年、イングランド南西部ドーセット州の村に生まれた。父は石工で、家は裕福ではない。大学へは行かず、16歳で建築家の徒弟になった。

ロンドンの建築事務所で働きながら独学を続け、教会建築の修復を手がけた。この時期に詩を書いて投稿したが採用されず、小説に転じている。

1874年、『遠く群衆を離れて』が成功し、建築の仕事をやめて作家専業になった。同じ年にエマ・ギフォードと結婚する。教会修復の仕事で訪れたコーンウォールで知り合った女性だった。

以後、ウェセックスを舞台にした長篇を次々に発表する。1891年の『テス』、1895年の『日陰者ジュード』はいずれも激しい非難を浴びた。不道徳である、結婚制度への攻撃である、絶望的すぎる、という内容で、『日陰者ジュード』についてはある主教が本を焼いたと伝えられる。

ハーディはこれを機に小説を書くのをやめた。55歳である。以後三十年以上、詩だけを書き続けた。

妻エマとの関係は長く冷えていた。1912年にエマが急死すると、出会った頃のことを思い出して連作詩を書いている。1914年に秘書だったフローレンスと再婚した。

1928年、87歳で死去した。心臓は故郷の墓地に、遺灰はウェストミンスター寺院に葬られている。

作風

ハーディが書いたのは、個人の努力では動かせない条件によって人が潰される話である。

その条件の中身に特徴がある。第一に偶然。手紙が届かない、絨毯の下に滑り込む。そのせいで一生が変わる。第二に社会の規範。婚外の子、離婚できない結婚、階級の壁。第三に土地と自然、そして農村の生活を変えていく近代化。

神も摂理も出てこない。「宿命」と呼ばれることが多いが、書かれているのはもっと即物的で、たまたま悪い条件が揃った、という形をとる。

舞台はほぼすべて「ウェセックス」という架空の地方である。イングランド南西部の実在の地域をもとにした半架空の土地で、作品をまたいで地名と地理が一貫している。一つの架空の土地を作り、複数の作品でそこを使うこの方法は、後の作家が繰り返し採用した。

風景描写が濃い。荒野、丘、古い遺跡が長く書き込まれ、そして人物の運命を予告するように配置される。『帰郷』の冒頭は、エグドンの荒野の描写だけで一章が費やされる。

詩の書き方は小説と違う。語彙は平明で、詩形は伝統的、ときに意図的にぎこちない。感傷を排し、失われたものを硬い言葉で書く。

作品

『遠く群衆を離れて』(1874年)

農場を継いだ女性と三人の男を書いた出世作である。

『帰郷』(1878年)

エグドンの荒野を舞台に、都会から戻った男とそこを出たがる女の齟齬を扱う。

『カスターブリッジの市長』(1886年)

酔って妻と娘を売り飛ばした男が、後に市長になり、その過去によって破滅する話である。

『テス』(1891年)

代表作とされる。貧しい家の娘テスが、遠縁の男に犯され、子を産み、その子は死ぬ。やり直そうとして結婚するが、過去を打ち明けた夜に夫に捨てられる。生活のために元の男のもとへ戻り、そこへ夫が帰ってくる。テスは男を刺し殺し、処刑される。副題は「純潔な女」である。社会がテスを汚れたものと見なすことへの、正面からの異議申し立てになっている。

『日陰者ジュード』(1895年)

最後の小説である。学問を志す石工の青年が、階級の壁と結婚制度と貧困に阻まれ続ける。子どもたちが死ぬ場面の書き方が、当時としては耐えがたいものとされた。

『一九一二〜一三年の詩』

妻エマの死の直後に書かれた連作である。英語で書かれた最良の哀悼詩とする評価がある。

『覇王』(1904〜08年)

ナポレオン戦争を扱った巨大な劇詩で、後半生の主要な仕事にあたる。

文学史における立ち位置と影響

ハーディはヴィクトリア朝と20世紀の境目に立っている。19世紀の長篇小説の伝統のなかで書きながら、その道徳的な枠組みを内側から壊した。

社会が個人に何をするかを、ディケンズのような改良の希望なしに書いた点が20世紀に近い。イギリスにおける自然主義の側面を持つが、ゾラのような科学的な枠組みは取らない。

小説家としての評価は生前から高かったが、20世紀の批評は一時これを下げた。構成が作為的である、偶然に頼りすぎるという批判である。その後、社会と個人の関係を書いた作家として再評価が進んだ。

詩人としては、20世紀の詩人に強く影響した。オーデンラーキンの系譜が、平明な語彙で失望を書くという方向でこれを継いでいる。ラーキンは、ハーディを自分にとって最も重要な詩人だと繰り返し述べた。

日本では、その暗さから受容が限定的だった時期があるが、『テス』は繰り返し訳され、映画化もされている。

作品

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