抒情民謡集

原題
Lyrical Ballads
作者
ウィリアム・ワーズワース
成立
1798
イギリス
時代
ロマン主義

概要

1798年に匿名で刊行された詩集である。ワーズワースコールリッジという二人の詩人による共同の作品で、イギリス・ロマン主義の出発点とされる。

画期的だったのは詩の言葉と主題である。18世紀の詩は、格調の高い、日常では使わない言葉で書くのが普通だった。この詩集はそれをやめ、ありふれた言葉で、農夫、羊飼い、老人、子どもといった平凡な人々の生活と自然を歌った。

収められた詩の性格は二人で対照的である。ワーズワースは日常のありふれた事柄を詩の主題にした。コールリッジは逆に、超自然的な世界をいかにも現実であるかのように描いた。日常を非日常に見せることと、非日常を日常に見せること。二人はこの逆方向の試みを分担している。

巻頭に置かれたのはコールリッジの物語詩「老水夫行」である。老いた水夫が婚礼に向かう客を呼び止め、自分の体験を語り始める。航海中、理由もなく幸運を運ぶ鳥アホウドリを射殺した。その罪によって船は呪われ、風は止み、乗組員は次々に死ぬ。ただ一人生き残った水夫は、罪の意識に苛まれ、贖罪のために自分の物語を語り続けなければならない。

ワーズワースの詩は日常のささやかな主題を扱う。知能に障害のある少年、捨てられた女、貧しい老いた物乞い。社会の隅にいる名もない人々が共感をこめて歌われる。自然との深い交わりも繰り返し主題になる。

詩集の最後を飾るのがワーズワースの「ティンターン修道院」である。数年ぶりにワイ川のほとりを再訪した詩人が、その感慨を歌う。この土地の記憶が、都会での騒がしい日々のあいだ自分を支えてきたこと。若い頃は自然をただ感覚で受け取っていたが、今はそこに別のものを聞き取るようになったこと。自然との交わりに精神の支えを見出す、というこの詩人の思想の核心が示されている。

1800年の第二版で、ワーズワースは有名な「序文」を書き加えた。詩は田舎の質素な生活を主題とすべきである、そこでは人間の根源的な感情が飾りなく現れるからだ、と述べる。詩の言葉は人々が実際に使う言葉に近づけるべきで、人工的な言い回しは排すべきである、とも主張した。そして、詩とは力強い感情が自然にあふれ出たものであり、それは静けさのなかで思い返された情感から生まれる、と定義する。この序文がロマン主義の詩論の基礎になった。

ワーズワースコールリッジは1795年頃に知り合い、深い友情と創作上の協力関係を結んだ。イングランド南西部で近くに住み、日々語り合いながら詩を書いている。この詩集はその共同生活から生まれた。

当初は匿名で刊行され、どの詩がどちらの作かも記されなかった。売れ行きは芳しくない。その新しさがすぐには理解されなかったためである。コールリッジの「老水夫行」については、古めかしい語を使いすぎて読者を戸惑わせたとワーズワース自身が考え、第二版では巻頭から後ろへ移された。

1798年の刊行後、二人はドイツへ旅立った。第二版は1800年に刊行され、この版でワーズワースは詩を追加し、序文を書き加えている。

文学史における評価と影響

イギリス・ロマン主義の出発点を告げる詩集である。1798年という刊行年は、しばしばロマン主義の始まりの年として記憶される。

この詩集がもたらした転換は大きく二つある。一つは詩の言葉の転換で、格調高い詩語に代えて日常の平易な言葉を詩にふさわしいものとした。もう一つは主題の転換で、英雄や神話ではなく、平凡な人々の感情と自然を詩の中心に据えた。

第二版の序文は、ロマン主義の詩論の宣言として決定的な意味を持つ。詩は感情が自然にあふれ出たものである、という定義は、詩を規則や技巧の産物ではなく個人の内面の表現とみなす立場を端的に示している。理性より感情を、技巧より自然さを。この価値の転換がロマン主義の核心にある。

二人のその後は対照的だった。ワーズワースは長命を保ち、桂冠詩人にまでなる。ただしその詩風は次第に保守化したとも言われる。コールリッジは阿片への依存から詩作が振るわなくなったが、批評家・思想家として大きな影響を残した。若い日のこの共同の詩集が、二人にとって最も輝かしい達成として記憶されている。

日本でもこれらの詩は繰り返し訳されてきた。とりわけ「老水夫行」と「ティンターン修道院」は英詩の古典としてよく知られている。

作者

登場する文学史