17世紀のフランス文学 — 古典主義・三単一とラシーヌ

17世紀のフランス文学は、古典主義の時代と呼ばれる。ルイ13世からルイ14世の治世にあたり、国家が強くなっていく時期と重なる。

最初に誤解を解いておく。三単一の規則は、退屈な作品を作るための足枷ではなかった。 当時の理解では逆である。観客が信じられる嘘の範囲を限定すれば、その中で起きることの密度が上がる。制約が強度を生む、という考え方に立っている。実際、この規則の下で書かれたフェードルは、フランス演劇でおそらく最も緊張した作品である。

1635年、国家がフランス語の管理を始めた

宰相リシュリューがを設立する。定員四十名の終身会員が、フランス語の辞書を編み、正しい用法を定める機関である。

これに相当するものは、イギリスにもドイツにも生まれなかった。イギリスで言語の標準を決めたのは作家自身(チョーサー、シェイクスピア、欽定訳聖書)であって、国家機関ではない。フランス文学の一極集中はここから始まる。

その力がすぐに試された。1637年、コルネイユの『ル・シッド』が上演されて大成功する。ところが規則から外れているという批判が起き、アカデミーが公式に裁定を下した。作品の良し悪しを国家機関が判定する体制が、この時点で動いている。

同じ1637年、デカルトが『方法序説』をフランス語で出した。哲学書はラテン語で書くものだったから、これも選択である。理由として、生まれつきの理性だけを使う人に読んでほしい、という趣旨を述べている。

17世紀フランスの主な作品

作品発表作者種類
『ル・シッド』1637年ピエール・コルネイユ悲喜劇
『方法序説』1637年ルネ・デカルト哲学(フランス語で執筆)
タルチュフ1664年モリエール喜劇
『箴言集』1665年ラ・ロシュフコー断章
人間嫌い1666年モリエール喜劇
アンドロマック1667年ジャン・ラシーヌ悲劇
『寓話』1668年〜ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ韻文の寓話
パンセ1670年(死後)ブレーズ・パスカル断章
フェードル1677年ジャン・ラシーヌ悲劇
クレーヴの奥方1678年ラファイエット夫人小説

三単一は、事件を舞台から追い出す規則だった

演劇に課された規則は三つある。

規則内容
筋の単一主筋は一つ。脇筋で分散させない
場所の単一舞台は一つの場所。場面転換をしない
時の単一劇中の時間は一日以内

加えて穏当さの規則があり、流血や暴力は舞台上で見せず、使者の報告として語られる。

この制約が何を生むか。事件を舞台から追い出すと、残るのは言葉だけになる。 人物は行動する代わりに語り、決意し、迷う。フランス古典悲劇が心理の劇になったのは、この規則の直接の帰結である。

イギリスにはこの規則がなかった。シェイクスピアは何年もの時間を飛ばし、国をまたぎ、悲劇に道化を出す。同じ17世紀の演劇が、海峡をはさんで正反対の原理で動いていた。

コルネイユは意志を、ラシーヌは情念を書いた

二人はよく対比される。

コルネイユの劇では、人物は義務と愛の間で引き裂かれ、最後は意志によって義務を選ぶ。 人間は自分を超えられる、という前提がある。『ル・シッド』の主人公は、愛する女性の父を決闘で討たねばならない立場に置かれる。

ラシーヌでは逆である。人物は情念に負ける。 フェードル(1677年)では、義理の息子への恋を自覚した王妃が、それを言葉にした瞬間から破滅へ進む。

この劇には動きがほとんどない。人が入ってきて、話し、出ていく。それだけで、逃げ場のない密室ができあがる。三単一が最も効果を発揮した例であり、二十四時間で人が滅びることに何の無理もない。

言語も特徴的である。使用語彙が極端に少ない。日常語を排し、限られた高雅な語だけで書く。貧しい素材で最大の緊張を作るという方向で、これも制約を強度に変える発想である。

モリエールは、規則の外側にある笑いで危険な場所に触れた

モリエールは俳優であり、劇団を率い、自分の劇に自分で出た。喜劇は悲劇より格下とされていたが、そこで権力の核心に触れている。

タルチュフ(1664年初演)は信心家の偽善を扱った。上演は禁止され、解禁まで五年かかっている。 宗教的な権威が動いたためである。ドン・ジュアンは無神論者を主人公にし、これも短期間で打ち切られた。人間嫌いでは、社交界の欺瞞を憎む男が、正直であろうとして誰からも受け入れられなくなる。

規則が強いということは、それを破ったときに何が起きるかもはっきりしているということだった。ラシーヌは規則の内側で頂点に達し、モリエールは規則の外の領域で危険な場所に触れた。

1673年、病は気からの上演中に発病し、その日のうちに死んでいる。当時、俳優は教会から破門される身分であり、埋葬をめぐって問題が起きた。

散文は、人間を観察する方向へ進んだ

演劇の陰に隠れがちだが、この世紀の散文は近代の出発点になっている。

ロシュフコーの『箴言集』(1665年)は、美徳と見えるものはたいてい隠された自己愛である、という主題を短い断章で執拗に変奏する。宮廷での挫折を経験した貴族が書いた、人間観察の書である。

パスカルパンセ(死後の1670年刊)は、キリスト教を弁護する書物のために書き溜められた断片の集積である。信仰の書でありながら、人間の惨めさと偉大さについての観察の鋭さで読み継がれてきた。「人間は考える葦である」という一句が知られている。

ラファイエット夫人クレーヴの奥方(1678年)が、この世紀の散文の到達点にあたる。宮廷を舞台に、夫のある女性が他の男に惹かれる。だが事件はほとんど起こらない。 夫に告白し、相手を拒み、最後は退隠する。書かれているのは人物の心の中だけである。近代の心理小説はここから始まったとされ、イギリスで小説が生まれるより数十年早い

17世紀が残したのは、規則という体制と心理小説

起きたこと
国家が言語を管理アカデミー・フランセーズ。フランス文学の一極集中が始まる
制約が強度を生む三単一の内側でジャン・ラシーヌが心理の密室を作る
笑いの危険モリエールは格下の喜劇で権力に触れ、上演禁止を受けた
心理小説の誕生ラファイエット夫人が事件のない小説を書く

そして次の世紀、この規則の体制そのものが批判の対象になる。18世紀では文学が体制を攻撃する武器になり、規則が最終的に壊されるのは19世紀である。

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