ジョージ・オーウェル
- 原綴
- George Orwell
- 生没
- 1903–1950
- 出身
- インド・ベンガル州モティハーリ
- 本名
- エリック・アーサー・ブレア
- 国
- イギリス
- 時代
- 20世紀以降
生涯
1903年、当時イギリス領インドのベンガルに生まれた。本名はエリック・アーサー・ブレア。父は阿片専売局の下級官吏だった。奨学生としてイートン校に進むが、裕福な同級生のなかで階級差を意識し続けている。大学へは進まなかった。
1922年、ビルマ(現ミャンマー)でインド帝国警察に勤めた。五年の勤務ののち、支配する側にいることに耐えられずに辞職する。この経験は『ビルマの日々』と、随筆「象を撃つ」に書かれた。
帰国後、意図的に貧困のなかへ入っていく。パリの皿洗い、ロンドンの浮浪者、ホップ摘みの季節労働。その記録が『パリ・ロンドン放浪記』になった。1936年には出版社の依頼で炭鉱地帯を取材し、『ウィガン波止場への道』を書いている。
同じ1936年、スペイン内戦に義勇兵として参加した。前線で喉を撃たれて重傷を負う。さらに、共和国側の内部で共産党がほかの左派勢力を粛清する事態に巻き込まれ、追われる立場になって帰国した。ソ連型の共産主義への不信は、この経験に発している。
第二次大戦中はBBCで対インド放送に携わった。戦後、『動物農場』と一九八四年を書き上げる。結核が悪化するなか、スコットランドのジュラ島で最後の長篇を仕上げ、刊行の翌年、1950年に46歳で死去した。
作風
オーウェルは自分の体験を思想に変換した。帝国警察、貧困、内戦。いずれも観察に出かけたのではなく、その立場に身を置いている。書かれるのは告発でも自慢でもなく、そこで自分が何をしたか、何を感じたかの記録である。「象を撃つ」では、撃ちたくない象を、群衆の期待に押されて撃ってしまう自分を書いた。支配する側もまた役割に縛られている、という認識である。
主題の中心にあるのは、言葉と支配の関係である。一九八四年では、国家が「ニュースピーク」という言語を作り、語彙を減らすことで、反抗という思考そのものを不可能にしようとする。自由という語がなくなれば、自由を求める考えも成立しない。「二重思考」は、矛盾する二つの命題を同時に信じる訓練を指す。
評論でも同じ問題を扱った。「政治と英語」では、曖昧で紋切り型の言葉遣いが政治的な欺瞞を可能にすると論じる。村を焼き、住民を追い出すことを「平定」と呼ぶような言い換えが、思考を鈍らせる。
文体は平明である。装飾を排し、短く具体的に書く。本人は「良い散文は窓ガラスのようなものだ」と書いた。技法の実験には向かわず、伝わることを最優先している。
作品
『パリ・ロンドン放浪記』(1933年)
貧困のなかで暮らした記録である。この作品からペンネーム「ジョージ・オーウェル」を用いた。
『カタロニア讃歌』(1938年)
スペイン内戦の従軍記である。共和国側の内部抗争を記した部分は、当時の左派から歓迎されなかった。
『動物農場』(1945年)
家畜が農場主を追い出して自治を始めるが、指導者となった豚がやがて人間と同じ支配者になるという寓話である。ロシア革命とスターリン体制への批判として書かれた。百ページ強で読め、筋も追いやすい。
一九八四年(1949年)
代表作である。監視され、歴史を書き換えられ、言語を作り替えられる社会で、記録を改竄する仕事に就く男を描く。
「政治と英語」(1946年)は評論で、先に読むと言語への関心の一貫性が見える。
文学史における立ち位置と影響
オーウェルは、言葉が支配の道具であるという主題を最も明確に扱った作家である。この主題を扱った作品は他にもあるが、そこで作られた語彙が作品の外へ出て定着した例は少ない。「ビッグ・ブラザー」「ニュースピーク」「二重思考」「思考警察」は、今日も政治の議論で普通に使われる。「オーウェル的(Orwellian)」という形容も各国語に入っている。
政治的な立場は単純ではない。オーウェルは社会主義者を自認しながら、ソ連の全体主義を最も厳しく批判した。そのため冷戦期には、左右の双方から都合よく引用されるという受容のされ方をしている。
文学的な評価と社会的な影響力の関係も特異である。小説の技法という点で革新的とは見なされていない。同時代のジョイスやウルフのような実験はせず、19世紀的な語りで書いた。それでも提示した概念の影響力は、20世紀の作家のなかで突出している。
監視技術が実際に発達した21世紀に入って、一九八四年は繰り返し読み直されている。作品が予言として当たったかどうかより、権力を語るための語彙を提供し続けている点に、その位置がある。