ヴァージニア・ウルフ

毛皮の襟をまとい、頬に手を添えたヴァージニア・ウルフの肖像写真。
1927年
原綴
Virginia Woolf
生没
1882–1941
出身
ロンドン
イギリス
時代
20世紀以降

生涯

1882年、ロンドンの文人の家に生まれた。父レズリー・スティーヴンは批評家で『英国人名事典』の初代編集者、家には文学者が出入りしていた。ウルフは学校へ通わず、父の蔵書で独学している。兄弟が大学へ進むなかで自分にその道がなかったことを、後年繰り返し書いた。

13歳で母を、22歳で父を失う。この前後から精神の不調が始まり、生涯にわたって周期的な発作に苦しんだ。義兄からの性的虐待を受けたことも、後年の回想に記されている。

父の死後、兄妹はブルームズベリー地区へ移り、そこに友人たちが集まった。経済学者ケインズ、批評家リットン・ストレイチー、画家ダンカン・グラントらが加わったこの集まりは、後に「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる。1912年、そのなかの一人レナード・ウルフと結婚した。

1917年、夫とともにホガース・プレスを設立する。手動の印刷機から始めたこの出版社は、T・S・エリオットの詩やフロイトの英訳を刊行し、20世紀文学の一角を担った。

1941年、第二次大戦下、再発した病の前触れを感じたウルフは、夫に宛てた手紙を残し、石を懐に入れてウーズ川へ入った。59歳だった。

作風

ウルフが書いたのは、外的な事件ではなく、意識に映るものである。ダロウェイ夫人では、パーティを準備する一日のなかで、人物たちの意識が過去と現在のあいだを行き来する。ビッグ・ベンの鐘が時刻を告げるたびに、複数の人物の意識が同じ瞬間に並ぶ。

時間の扱いが独特である。灯台へは三部からなり、第一部は一日、第三部も一日を扱うが、その間に挟まれた第二部では十年が数十ページで流れ去る。人が死に、家が朽ち、戦争が起きる出来事が、括弧に入れられて短く記される。人の意識にとっての時間と、時計や暦の時間が、まったく違う速度で進むことを形にしている。

ジョイスと並んで意識の流れの代表とされるが、方向は異なる。ジョイスが章ごとに文体を変える外向きの実験をしたのに対し、ウルフは意識の推移そのものを滑らかに書く方へ進んだ。文体は抑制されており、詩に近い。

評論では、書くことの条件を経済の面から論じた。『自分ひとりの部屋』では、女性が小説を書くには年に五百ポンドの収入と、鍵のかかる部屋が要ると述べる。シェイクスピアに同じ才能を持つ妹がいたとしたら何が起きたかを想像してみせ、才能の問題ではなく条件の問題であることを示した。

作品

ダロウェイ夫人(1925年)

ロンドンの一日を描く。パーティを開く上流の女性クラリッサと、戦争神経症に苦しむ青年セプティマスの意識が交互に置かれ、二人は一度も出会わないまま結末で結びつく。筋を追おうとすると戸惑うため、意識の移り変わりに乗る読み方に切り替える必要がある。

灯台へ(1927年)

スコットランドの島の別荘を舞台にした長篇である。中間部の時間の扱いが最も知られる。ウルフ自身の家族が下敷きにあるとされる。

『オーランドー』(1928年)

16世紀から20世紀までを生き、途中で性別が変わる主人公を描く。友人ヴィタ・サックヴィル=ウェストに捧げられた。

『自分ひとりの部屋』(1929年)

評論である。論旨が明快で、小説の背景にある問題意識が分かるため、入口としても使える。

『波』(1931年)

六人の人物の独白だけで構成された実験的な長篇である。

文学史における立ち位置と影響

ウルフはモダニズムを代表する。同時に、ブルームズベリー・グループの中心として、当時の知識人の交流の結節点でもあった。

小説の技法としては、人の内面をどう書くかという問題に一つの答えを出した。それまでの小説は、人物の性格を説明し、行動を追い、事件を組み立ててきた。ウルフはその手続きを外し、意識に何がどう現れるかだけを書いた。「人生は左右対称に配置されたものではなく、絶えず変化する半透明の膜のようなものだ」という趣旨の一節が、その考えを示すものとして引かれる。

『自分ひとりの部屋』は、フェミニズム批評の古典として現在も参照される。ボーヴォワール第二の性(1949年)より20年早い。才能や意欲の問題として語られてきたことを、収入と空間という物理的な条件の問題に置き換えた点が、繰り返し引かれる理由である。

長く「繊細な女性作家」という枠で扱われてきたが、20世紀後半以降、その評価は改められている。技法の実験者として、また批評家・出版者として、モダニズムの中心にいた人物と見なされるようになった。

作品

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