トマス・モア

黒い帽子をかぶり、毛皮の襟と金の鎖をつけたトマス・モアの油彩肖像画。
ハンス・ホルバイン(子)筆(1527年)
原綴
Thomas More
生没
1478–1535
出身
ロンドン
イギリス
時代
ルネサンス

生涯

1478年、ロンドンの法律家の家に生まれた。法律を学んで弁護士・裁判官となり、同時に古典語に通じた人文主義者として、オランダのエラスムスら大陸の学者と親しく交わった。エラスムスは代表作『愚神礼讃』をモアの家で書いている。

有能な官僚として頭角を現し、1529年にはイングランドの最高位の官職である大法官に就いた。だがまもなく、国王ヘンリー8世が離婚問題からローマ教会と断絶し、自らをイングランド教会の首長と定めると、モアはこれを認めなかった。信仰と良心に反するとして王への宣誓を拒み、大法官を辞したのち投獄され、1535年、反逆罪で斬首された。後にカトリック教会によって聖人とされている。

作風

主著は当時の学問語であるラテン語で書かれ、機知と皮肉、そして対話の形式を得意とした。物事を正面から主張するのではなく、語り手を立てて距離を置き、読者に判断をゆだねる書き方をとる。

作品

ユートピア(Utopia)(1516年)は、旅人ラファエルが語る、どこにも存在しない島国の見聞という形をとる。その島では財産が共有され、必要に応じて分配され、信仰の自由が認められ、金銀は蔑まれている。当時のイングランドで、地主が農民を追い出して牧羊を広げた囲い込みを、モアは「羊が人間を食う」と鋭く批判した。

ここで難しいのは、この島が理想として描かれているのか、皮肉として描かれているのかが、はっきり定まらない点である。書名の「ユートピア」自体が、ギリシャ語の「どこにもない場所」と「善い場所」をかけた造語で、二重の意味を含んでいる。理想像と現実批判が分かちがたく結ばれている。

文学史における立ち位置と影響

モアは、イングランド・ルネサンスの人文主義を代表する一人である。ユートピアは、理想の社会を一つの島や国として描き出す「ユートピア文学」という型そのものを生み、以後この語は一般名詞になった。理想社会の構想と現実社会への批判とを重ねる書き方は、後の思想と文学に長く受け継がれている。

信仰と良心のために権力に従わず、命を落としたその生き方も、時代を超えて論じられ、劇や映画に繰り返し取り上げられてきた。

作品

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