チャールズ・ディケンズ

- 原綴
- Charles Dickens
- 生没
- 1812–1870
- 出身
- ハンプシャー州ポーツマス近郊ランドポート
- 国
- イギリス
- 時代
- ヴィクトリア朝
生涯
1812年、イングランド南部の港町に生まれた。父は海軍の給与課の事務員で、収入はあったが浪費癖があった。1824年、父が債務者監獄に収監される。借金を返せない者を、返すまで閉じ込めておく監獄である。家族も一緒に入ることが多かった。12歳のディケンズは学校をやめ、靴墨工場で瓶にラベルを貼る仕事に出された。労働は一日十時間に及び、家族と離れて下宿で暮らした。
この数か月の経験が生涯の主題になった。ディケンズはこのことを誰にも語らず、死後に伝記が出るまで、妻子さえ知らなかったとされる。
父の借金が片づいて学校に戻り、その後は事務所の使い走り、法廷の速記者、新聞記者と職を移した。1836年から『ピクウィック・ペーパーズ』を月刊で連載すると爆発的に売れ、24歳で人気作家になる。以後、連載を途切れさせることなく書き続けた。
朗読会も行った。自作を舞台で読んで聞かせる興行で、イギリス各地とアメリカを回っている。観客は数千人規模に達し、収入も大きかったが、心身を消耗させた。
1858年、妻キャサリンと別居する。若い女優エレン・ターナンとの関係が背景にあるとされ、当時の道徳観のなかで醜聞になった。1870年、脳出血により58歳で急死する。最後の作品『エドウィン・ドルードの謎』は未完のまま残された。
作風
ディケンズの小説は、雑誌に月刊で連載された。この形式が文体を規定している。各回の終わりには続きが気になる場面が置かれ、人物には一目で分かる特徴が与えられる。口癖、身振り、顔の造作。何か月も間が空いても読者が思い出せるように作られている。
人物の造形が際立つ。極端に類型化されているのに、生きて見える。悪辣な学校長、卑屈な事務員、施しを断らない老人。名前も特徴に合わせて作られており、音の響きが人物像を補強する。
主題は一貫して社会の底辺にある。孤児院、債務者監獄、救貧院、法廷の遅延、産業都市の煤煙。自分が経験した貧困と屈辱が、その源にある。
同時に、感傷と誇張が強い。悪人はとことん悪く、善人は報われ、偶然の一致で人物がつながる。厳密なリアリズムとは言いにくく、この点は当時から批判もあった。
後期になるほど構成が複雑になる。荒涼館では、三人称の語りと、一人の女性による一人称の手記が交互に置かれ、数十人の人物が法廷の訴訟を軸に結びついていく。
作品
『オリヴァー・トゥイスト』(1837〜39年)
救貧院で育った孤児が犯罪組織に引き込まれる話である。救貧院とは、貧民を収容して働かせる公的な施設で、待遇をわざと劣悪にすることで人が頼らないよう仕向けていた。その制度を定めた救貧法への批判が込められている。
デイヴィッド・コパフィールド(1849〜50年)
自伝的要素が最も濃い。工場労働の経験が形を変えて書き込まれており、本人が最も愛着を持った作品とされる。
荒涼館(1852〜53年)
何十年も続く遺産相続の訴訟を軸にした長篇である。構成の複雑さで評価が高いが、初読向きではない。
大いなる遺産(1860〜61年)
鍛冶屋の徒弟だった少年が匿名の後援者によって紳士に育てられ、その出所を知って幻滅する話である。比較的短く主題も明確なため入りやすい。出世を望んだ青年が幻滅していくという点で、スタンダールの赤と黒と主題が近い。
『クリスマス・キャロル』(1843年)
中篇で、けちな老人が三人の精霊に導かれて改心する。今日のクリスマスの祝い方に影響を与えたとされる。
文学史における立ち位置と影響
ディケンズはヴィクトリア朝を代表する。同時代のフランスのバルザックと並べられることが多い。都市と社会の全体を小説で書き切ろうとした点、金と階級を正面から扱った点が共通する。
写実主義に分類されるが、作者の判断を消そうとしたフローベールとは対極にある。ディケンズの語り手は前に出て、人物を裁き、読者に呼びかける。同じ19世紀の小説でありながら、語り手の扱いが正反対である。
社会への実際の影響も大きい。作品が世論を動かし、救貧院や貧民学校、労働環境をめぐる議論に影響を与えたとされる。文学が社会を変える手段になりうるという点で、ユゴーのレ・ミゼラブルと並べて論じられる。
大衆に読まれながら社会批判を成立させた点が、この作家の位置を決めている。連載小説という商業的な形式のなかで、部数を保ちながら告発を書いた。後の大衆小説は、その人物造形と引きの技術を受け継いでいる。
日本でも明治期から翻訳され、社会小説の型として受容された。