20世紀のイギリス文学 — ジョイス・ウルフからイシグロまで
20世紀以降のイギリス文学には、他の時代にない特徴がある。中心にいる書き手の多くが、イギリス人ではない。
コンラッドはポーランドに生まれ、英語は三番目に覚えた言語だった。ジョイスとイェイツはアイルランド人である。T・S・エリオットはアメリカ生まれで、後に帰化した。英文学史はこれらの作家を自分のものとして扱ってきたが、当人たちの立場は単純ではない。
20世紀イギリスの主な作品
| 作品 | 発表 | 作者 | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| 闇の奥 | 1899年 | ジョゼフ・コンラッド | 帝国の中枢を空虚として書く |
| ユリシーズ | 1922年 | ジェイムズ・ジョイス | ダブリンの一日を700頁で |
| 荒地 | 1922年 | T・S・エリオット | 引用の断片で組んだ長詩 |
| ダロウェイ夫人 | 1925年 | ヴァージニア・ウルフ | 意識に映るものを書く |
| 灯台へ | 1927年 | ヴァージニア・ウルフ | 時間の経過を中間部に置く |
| すばらしい新世界 | 1932年 | オルダス・ハクスリー | 快楽による支配 |
| 一九八四年 | 1949年 | ジョージ・オーウェル | 言語を支配する全体主義 |
| 蠅の王 | 1954年 | ウィリアム・ゴールディング | 少年たちの野蛮への転落 |
| 日の名残り | 1989年 | カズオ・イシグロ | イギリスらしさの典型を書く |
世紀の入口で、帝国が内側から書かれた
コンラッドの闇の奥(1899年)は、アフリカにおけるヨーロッパの所業を描いた。帝国の全盛期に、その中枢を空虚として書いた作品である。
ただし今日では読み方が割れている。アフリカを暗黒として描く枠組み自体が植民地主義的だ、という批判が1970年代以降に提起された。帝国批判の作品なのか、帝国的な視線の産物なのか。この議論は決着していない。 フォースターの『インドへの道』も、支配する側とされる側の理解の限界を扱っている。
1922年、『ユリシーズ』と『荒地』が同じ年に出た
ジョイスのユリシーズは、ダブリンの一日を七百頁以上で書く。各章が異なる文体で書かれ、ホメロスのオデュッセイアの構造が下敷きになっている。最終章は句読点のない長大な独白である。
刊行当初、猥褻を理由にアメリカとイギリスで発禁になった。 1933年のアメリカでの判決で解禁され、この判決は表現の自由をめぐる重要な前例になっている。
T・S・エリオットの荒地は、文明の廃墟を引用の断片で組み立てた詩である。複数の言語、神話、俗謡が並置され、註がなければ意味が取れない。
同じ年、フランスではプルーストが死んでいる。人物の頭に浮かぶことを整理せず書くという方法が、示し合わせたわけでもなく複数の国で同時期に現れた(モダニズム)。
ウルフはダロウェイ夫人(1925年)と灯台へ(1927年)で、外的な事件ではなく意識に映るものを書いた。ジョイスが章ごとに文体を変える外向きの実験をしたのに対し、ウルフは意識の推移そのものを滑らかに書く方向へ進んだ。
評論『自分ひとりの部屋』(1929年)では、女性が小説を書くには金と鍵のかかる部屋が要ると論じた。文学の問題を経済の問題として言い切った点で、今も引かれ続けている。
1930年代、大恐慌とファシズムが文学を政治へ向かわせた
オーデンらの詩人が左翼的な立場から書き、スペイン内戦には各国から作家が参加した。オーウェルも参加して喉を撃たれている。
オーウェルは体験を思想に変換した作家である。ビルマで帝国警察に勤め、パリとロンドンで貧困を経験し、スペインで銃撃された。
『動物農場』(1945年)と一九八四年(1949年)は、全体主義が言語そのものを支配する仕組みを描いた。「ニュースピーク」「二重思考」といった語彙は、作品を離れて政治の議論で使われ続けている。言葉が支配の道具であるという主題は、征服された言語から出発した英文学の歴史と呼応している。
ハクスリーのすばらしい新世界(1932年)は、抑圧ではなく快楽による支配を描いた点でオーウェルと対をなす。
帝国が解体すると、旧植民地の作家が英語で書き返した
第二次大戦後、イギリスは植民地を次々に失う。そして旧植民地の作家たちが、英語で書き返しはじめた。
ラシュディの『真夜中の子供たち』(1981年)は、インド独立の瞬間に生まれた子供たちを魔術的な語りで書いた。英語で書かれたインドの物語である。後に『悪魔の詩』をめぐって死刑宣告を受け、長く潜伏生活を送った。
イシグロは日本で生まれ、五歳でイギリスへ渡った。日の名残り(1989年)で書いたのは、イギリスらしさの典型とされる執事である。外から来た書き手が、その国の自己像を最も精密に描いたという構図になっている。2017年にノーベル文学賞を受けた。
ドリス・レッシングはイランに生まれてジンバブエで育ち、ナイポールはトリニダード出身である。「英文学」がイギリス文学を意味しなくなった。 今日この語は、英語で書かれた文学全体を指す。
演劇と小説でも、実験が続いた
ベケットはアイルランド生まれでフランス語でも書いたが、英語圏の演劇にも決定的な影響を与えた。ピンターは会話の沈黙と間によって、背後の暴力や支配関係を感じさせる方法を作っている。
ゴールディングの蠅の王(1954年)は、無人島に流れ着いた少年たちが野蛮に転落する過程を描く。人間性への信頼が戦争によって失われた後の作品である。カーターは童話を書き換え、マキューアンは心理の緊張を扱い、ラーキンは日常の失望を平明な言葉で詩にした。
20世紀が残したのは、外へ開かれた英語
| 中身 | |
|---|---|
| 中心の移動 | 世紀の入口から、主要な書き手がイギリス人でなくなっていた |
| 1922年 | ユリシーズと荒地。意識の流れが国をまたいで同時発生 |
| 言語と支配 | ジョージ・オーウェルの主題は、征服された言語という出発点と呼応する |
| 書き返し | 帝国が解体し、旧植民地の作家が英語で書きはじめた |