イギリスのロマン主義 — ワーズワース・バイロンとオースティン
イギリスのロマン主義は、1798年から1837年までを指す。ナポレオン戦争の前後にあたる。
同じ名前で呼ばれていても、フランスとは争点が違う。フランスでは劇場で規則を壊すことが焦点になり、1830年のエルナニ合戦で決着した。イギリスに三単一のような規則はもともと無く、代わりに誰の言葉で書くかが問題になった。 言語の階級性を三百年経験してきた文学らしい争点である。
ロマン主義期イギリスの主な作品
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『無垢と経験の歌』 | 1794年 | ウィリアム・ブレイク | 詩集 |
| 抒情民謡集 | 1798年 | ウィリアム・ワーズワース・サミュエル・テイラー・コールリッジ | 詩集。序文が宣言になった |
| 『チャイルド・ハロルドの巡礼』 | 1812〜1818年 | バイロン | 物語詩 |
| 高慢と偏見 | 1813年 | ジェイン・オースティン | 小説 |
| フランケンシュタイン | 1818年 | メアリー・シェリー | 小説 |
| 『アイヴァンホー』 | 1819年 | ウォルター・スコット | 歴史小説 |
| 『秋に寄す』ほかの頌 | 1819年 | ジョン・キーツ | 詩 |
1798年、詩は普通の人の言葉で書くべきだと宣言された
ワーズワースとコールリッジが抒情民謡集を匿名で出版した。第二版(1800年)に付された序文が、事実上の宣言になる。
主張は明快である。詩は特別に飾った言葉ではなく、普通の人が実際に使う言葉で書かれるべきだ。 題材も、宮廷や神話ではなく、田舎の生活や貧しい人々から採る。
これは当時としてかなり過激だった。詩には詩にふさわしい語彙がある、という前提そのものを否定したことになる。
二人の役割分担も明確だった。ワーズワースが日常の中に非日常を見出し、コールリッジが超自然を扱って現実味を与える。コールリッジの『老水夫の歌』はその代表である。
背景にフランス革命がある。二人とも当初は革命を支持し、後に幻滅した。ワーズワースの長篇詩『序曲』は、その精神の遍歴を自伝的に書いたものである。
バイロンは、詩よりも生き方で型を作った
バイロンは詩よりもスキャンダルで有名になった。 醜聞にまみれてイギリスを去り、各地を放浪し、ギリシャ独立戦争に加わって現地で病死する。三十六歳だった。
過去に罪を負い、社会から孤立し、それでも誇り高い人物——「バイロン的英雄」と呼ばれるこの型が、ヨーロッパ中の文学へ広がった。作家が生き方そのものによって型を提供するという現象は、ここで完成する。
シェリーは無神論を公言して大学を追われ、既存の政治体制と宗教を攻撃する詩を書いた。二十九歳で船の事故により死亡している。キーツは二十五歳で結核により死んだ。生前の評価は低く、「頌」と呼ばれる一連の詩が書かれたのは死の一年ほど前である。感覚的で密度の高い言語が、後世に高く評価された。
ブレイクはこの世代より前に属するが、生前はほとんど狂人扱いされた。独自の神話体系を作り、自分で銅版に彫って彩色し、印刷まで一人で行っている。 詩と絵が一体になった作品で、評価が確立したのは死後である。
同じ時期に、オースティンは応接間の会話を書いていた
オースティンはこの時期に書いているが、ロマン主義とは無縁である。
高慢と偏見(1813年)が扱うのは、田舎の中流階級の結婚と財産と階級である。情熱も異国も反逆もない。あるのは応接間の会話と、それを精密に観察する目である。しかもナポレオン戦争のさなかに書かれていながら、作品に戦争はほとんど出てこない。これを限界と見るか、意図的な選択と見るかで評価が分かれてきた。
技術の面では、自由間接話法の早い使用例として文学史上の位置が確立している。語り手が人物の思考に寄り添いながら、同時に距離を取って皮肉る。フローベールが同じ技術で近代小説を作り変えるのは半世紀後である。
生前は匿名で出版し、評価も限られていた。現在では英語圏で最も読まれる小説家の一人になっている。
この事実が示すのは、同じ時代に書かれたことと、同じ潮流に属することは別だということである。教科書の時代区分は、実際には並走する複数の流れを一つのラベルでまとめている。
ゴシック小説から、フランケンシュタインが出た
18世紀後半からゴシック小説が流行した。廃墟、修道院、超自然、恐怖。理性の時代への反動という文脈で語られる。
その系譜からメアリー・シェリーのフランケンシュタイン(1818年)が出る。科学が生命を作ったらどうなるかを問うた作品で、SFの起点とされることが多い。
執筆の経緯が知られている。十八歳の夏、バイロンらとスイスで過ごした際、怪談を書こうという遊びから生まれた。ロマン派の中心人物たちの傍らで、十代の女性がこの主題を選んだことになる。
ウォルター・スコットは、歴史小説という形式を輸出した
スコットは『ウェイヴァリー』以降の一連の作品で、歴史小説という形式を確立した。実在の歴史的な状況の中に架空の人物を置き、時代そのものを主人公にする方法である。
ヨーロッパ全体に影響し、バルザックもトルストイもこの形式を踏まえている。イギリス発の形式が大陸へ輸出された、数少ない例の一つである。
ロマン主義が残したのは、言葉の身分と、人物の型
| 中身 | |
|---|---|
| 争点の違い | フランスは規則、イギリスは言語の階級。同じ名前でも中身が違う |
| 生き方の型 | バイロンが提供したのは詩以上に人物像だった |
| 並走 | ジェイン・オースティンは同時代にいながら無縁。時代区分は複数の流れを覆い隠す |
| 形式の輸出 | ウォルター・スコットの歴史小説がヨーロッパ中に広がった |