闇の奥

原題
Heart of Darkness
作者
ジョゼフ・コンラッド
成立
1899
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

概要

1899年に雑誌に連載された中篇小説である。作者コンラッドはポーランド出身で、船乗りとして世界を巡った後、母語ではない英語で小説を書いた。

物語は入れ子の形をとる。テムズ川に停泊した船の上で、語り手マーロウが仲間たちに自分の過去を語り、それを聞いていた別の人物が読者に伝える、という構造になっている。

マーロウが語るのはアフリカ奥地への旅である。ベルギーの交易会社に雇われ、蒸気船の船長として大河を遡った。目的は、奥地の出張所にいる伝説的な象牙の交易人クルツを連れ戻すことだった。

クルツは誰よりも多くの象牙を集める有能な人物として知られている。その奥地で何をしていたのか。川を遡る旅は、そのまま文明から遠ざかっていく旅になる。

コンラッドは1857年、ポーランド(当時はロシア領)の生まれである。若くして船乗りになり、世界の海を巡った。

この作品は、コンラッド自身が1890年にコンゴを蒸気船で遡った実体験に基づく。そこで見た植民地支配の実態は、深い衝撃を与えたと本人が記している。

当時のコンゴはベルギー国王レオポルド二世の私有地という扱いだった。ゴムと象牙の採取のため、現地の人々は割当量を課され、達成できなければ手を切り落とされるといった罰を受けている。膨大な数が命を落とした。この作品が書かれた時期は、その実態がヨーロッパで問題になり始めた頃にあたる。

文学史における評価と影響

植民地主義への告発として、また近代文学の記念碑として、二重の意味で重要な作品である。

まず、文明化という美名のもとで行われていることを暴いた。そして、その暴力が加害者の側をも壊すことを示した。理想家だったクルツが最も野蛮な暴君に変わる、というこの一点が、ヨーロッパの文明の根にあるものを突きつける。

同時に、この作品自体もまた批判の対象になってきた。作中でアフリカの人々は、個々の人格を持たない背景として扱われる。ナイジェリアの作家チヌア・アチェベは1975年の講演で、この作品がアフリカを人間扱いしていないと厳しく批判した。この論争そのものが、植民地主義と文学の関係を考えるうえでの重要な論点になっている。

技法の面でも新しかった。マーロウという語り手を介した間接的な語り、そして意味を確定させない曖昧さである。クルツの最期の言葉が何を指すのかは書かれない。自分の生涯への嘆きなのか、見てきた世界への評価なのか、読者に委ねられる。この多義性が、この作品を20世紀文学の先駆にしている。

後世への影響は広い。T・S・エリオット荒地の題辞にこの作品の一節を引こうとした。映画では、フランシス・コッポラが舞台をベトナム戦争に移して『地獄の黙示録』を作っている。

日本でも翻訳が複数ある。分量が短く、20世紀文学への入口として読まれてきた。

あらすじ

船乗りマーロウは、少年の頃から地図の空白だったアフリカに憧れていた。伝手を頼ってベルギーの交易会社に雇われ、蒸気船の船長として現地へ渡る。

そこで目にしたのは植民地支配のむき出しの暴力だった。会社の出張所では、鎖につながれた現地の人々が意味のない労働に酷使され、病と飢えで死んでいく。崖のそばには、働けなくなった者たちが木陰に集まって死を待っていた。文明化という言葉のもとで行われているのは、露骨な収奪である。

マーロウは上流の出張所にいるクルツの噂を繰り返し耳にする。並外れた能力を持つ理想家として語られていた。象牙を誰よりも集めるだけでなく、現地の人々を教化する使命を抱いている、という。マーロウは次第にこの人物に強く惹かれていく。

蒸気船は大河を遡る。ジャングルは深く、文明の痕跡は次第に消えていく。船は座礁し、霧に阻まれ、矢を射かけられる。

たどり着いた出張所で見たのは、変わり果てたクルツだった。文明の束縛から解かれたクルツは、奥地で神のように振る舞い、現地の人々を暴力で支配していた。住まいの周りには、反抗した者たちの首が杭に刺して並べられている。教化を掲げた理想家が、最も野蛮な暴君になっていた。かつてクルツは崇高な報告書を書いていた。だがその末尾には、後から走り書きで、あの獣どもを皆殺しにせよ、という一文が加えられていた。

病に冒されたクルツを船に乗せて連れ帰ろうとするが、クルツは帰りの船上で死ぬ。息を引き取る間際、恐ろしい、と二度つぶやいた。何が恐ろしいのかは語られない。

ヨーロッパに戻ったマーロウは、クルツの婚約者を訪ねる。婚約者はクルツを崇高な理想家として記憶し続けていた。最期に何と言ったのかと問われたマーロウは、真実を言えず、あなたの名を呼びました、と嘘をつく。醜い真実は語られないまま、物語は閉じられる。

作者

登場する文学史