ベーオウルフ

原題
Beowulf
作者
作者不詳
成立
8-11世紀
イギリス
時代
中世

概要

古英語(アングロ・サクソン語)で書かれた英雄叙事詩である。約三千行。英語で書かれた文学作品として、現存する最古の長篇にあたる。作者は不明。

舞台は、ブリテン島ではなく、北欧のデンマークとスウェーデン南部である。ゲルマン民族の英雄伝説を素材にしている。物語は、三つの怪物退治を軸に進む。若き勇士ベーオウルフによる、人食い怪物グレンデルとその母の退治。そして、五十年後、老王となったベーオウルフによる、竜との死闘である。

キリスト教と、それ以前の異教的な英雄社会の価値観が、混在している。運命(ウュルド)、名誉、忠誠、財宝の分配といった、ゲルマンの戦士社会の倫理が、物語の骨格をなす。同時に、語り手はキリスト教徒であり、随所に神への言及がある。

韻律は、頭韻——行の中の複数の語が、同じ子音で始まる——による。古英語詩に特有の形式である。

成立の年代は、確定していない。8世紀から11世紀の間とする説が有力だが、幅がある。物語の舞台は、6世紀ごろの北欧である。口承で伝えられてきたゲルマンの英雄伝説が、キリスト教化されたイングランドで、文字に定着されたと考えられる。

作品は、たった一つの写本によって伝わっている。10世紀ごろに書き写されたこの写本は、1731年の火災で、危うく焼失を免れた。 縁が焼け焦げており、一部が失われている。この写本がなければ、作品は完全に失われていた。

長く、この作品は、言語学と歴史の資料として扱われ、文学としては軽んじられていた。その評価を変えたのが、『指輪物語』の作者として知られる学者J・R・R・トールキンによる、1936年の講演である。この講演は、この作品を、歴史資料ではなく、一個の優れた文学作品として読むべきことを主張し、以後の研究の方向を決定づけた。

文学史における評価と影響

英文学の始まりに置かれる作品である。英語で書かれた最古の長篇叙事詩として、その位置は揺るがない。

内容の面では、ゲルマンの英雄社会の価値観を伝える、貴重な資料でもある。名誉のために戦い、主君に忠誠を尽くし、勇名を後世に残すことを至上とする、戦士の倫理。財宝を分け与えることで、主君と戦士の絆が結ばれる、贈与の社会。キリスト教以前のゲルマン世界の精神が、この作品には色濃く残っている。

同時に、キリスト教的な要素との混在が、この作品を複雑にしている。語り手はキリスト教徒であり、怪物グレンデルは、聖書のカインの末裔とされる。異教の英雄の物語が、キリスト教の枠組みの中で語り直されている。新旧二つの世界観の重なりが、この作品の一つの特徴になっている。

構造の面では、若き日の栄光と、老年の死という、二部構成が注目される。前半は、上昇と勝利。後半は、老いと、避けがたい死である。竜との戦いでベーオウルフが死ぬのは、単なる悲劇ではなく、いかなる英雄も、運命と死からは逃れられないという、この作品の世界観を示している。

20世紀後半以降、繰り返し現代英語に翻訳されてきた。とりわけ、詩人シェイマス・ヒーニーによる2000年の翻訳は、高く評価され、広く読まれた。映画やゲームの題材にもなっている。

日本でも訳が読める。頭韻の響きは訳では再現しにくいが、物語の力は伝わる。

あらすじ

デンマーク王フロースガールは、壮麗な館ヘオロットを建てた。だが、夜ごと、湿地から怪物グレンデルが現れ、館で眠る戦士たちを襲い、食い殺す。十二年もの間、館は恐怖に支配される。

この話を聞いた、南スウェーデンのイェーアト族の勇士ベーオウルフは、部下を率いて海を渡り、援助に来る。ベーオウルフは、武器を使わず、素手でグレンデルと戦うことを誓う。夜、館に潜んで待ち構える。グレンデルが現れ、格闘になる。ベーオウルフは、怪物の腕を、肩から引きちぎる。片腕を失ったグレンデルは、湿地の巣へ逃げ帰り、死ぬ。

館は歓喜に沸く。だが、翌夜、殺された息子の復讐に、グレンデルの母が現れ、戦士を一人さらう。ベーオウルフは、怪物の棲む沼の底へ、単身で潜っていく。水中の洞窟で、グレンデルの母と死闘を繰り広げる。持参した剣は歯が立たない。ベーオウルフは、洞窟にあった巨人の剣を見つけ、それで怪物を斬り殺す。グレンデルの死骸の首も切り落とし、持ち帰る。 ベーオウルフは、莫大な褒賞を得て、故郷へ凱旋する。

物語は、ここで大きく時を飛ぶ。ベーオウルフは、故郷に戻り、やがてイェーアト族の王となる。五十年の歳月が流れる。

老王ベーオウルフの治世に、新たな脅威が現れる。財宝を守る竜が、盗人に宝の一部を奪われたことに怒り、火を吐いて国土を焼き始める。老いたベーオウルフは、自ら竜と戦うことを決意する。若き日のように、一人で怪物に立ち向かう。

竜との戦いは、凄絶を極める。ベーオウルフの部下たちは、恐れて逃げ去る。ただ一人、若い戦士ウィーグラーフだけが、主君のもとに踏みとどまる。二人がかりで、竜を倒す。だが、ベーオウルフは、竜の毒牙に噛まれ、致命傷を負う。竜は死んだが、ベーオウルフもまた、死ぬ。

死にゆくベーオウルフは、竜の守っていた財宝を見せられ、それを民のために使うよう言い残す。そして、自らの亡骸を、海を望む岬に、大きな塚として葬るよう命じる。イェーアト族は、王を火葬にし、財宝とともに、巨大な塚を築く。戦士たちが、塚の周りを馬で回り、亡き王の武勇と徳を讃えながら、物語は閉じられる。 同時に、優れた王を失ったイェーアト族に、やがて滅亡が訪れることが、暗示される。

登場する文学史