中世のイギリス文学 — ベーオウルフとチョーサー
中世のイギリス文学は、1100年頃から1500年頃までを指す。
最初に押さえておくことがある。この時代の前半には、英語で書かれた文学がほとんど存在しない。 他国の中世文学史が作品の連なりとして書けるのに対し、イギリスの中世は空白から始まる。理由は一つの事件にある。
1066年に、英語は農民の言葉に落ちた
ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服した。支配層が入れ替わり、言語の地位が三層に分かれる。
| 言語 | 使われた場 |
|---|---|
| ラテン語 | 教会、学問、公文書 |
| フランス語 | 宮廷、貴族、法廷 |
| 英語 | 農民、都市の下層 |
英語は、支配される側の話し言葉に落ちた。書く価値のある言語とは見なされず、この状態がおよそ三百年続く。
この経験が英語に二つのものを残した。
一つは語彙の二層構造である。生きている動物はゲルマン系の語で呼ばれ(cow, pig, sheep)、食卓に出た肉はフランス語系の語で呼ばれる(beef, pork, mutton)。育てたのは英語を話す農民で、食べたのはフランス語を話す領主だった。征服の記録が、今日の英語の単語の中に化石として残っている。
もう一つは、外来語を際限なく取り込む体質である。負けた言語は語彙の純粋さを保てない。結果として英語は、ヨーロッパの主要言語の中でも語彙の数が突出して多い言語になった。後のシェイクスピアが自在に語を作れたのも、この雑種性の上に立っている。
中世イギリスの主な作品
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| ベーオウルフ | 8〜11世紀 | 未詳 | 古英語の叙事詩 |
| 『農夫ピアズの幻想』 | 1370年代 | ウィリアム・ラングランド | 頭韻の寓意詩 |
| 『サー・ガウェインと緑の騎士』 | 14世紀後半 | 未詳 | 騎士物語 |
| カンタベリー物語 | 1387年頃〜 | ジェフリー・チョーサー | 物語集(未完) |
| アーサー王の死 | 1485年 | トマス・マロリー | 散文の物語 |
ベーオウルフは、今日の英語話者には読めない
征服以前の英語(古英語)で書かれた最大の作品がベーオウルフである。写本は10世紀末から11世紀初めのものとされるが、成立時期には諸説あり、断定はできない。
内容は、怪物グレンデルとその母、そして竜と戦う英雄の生涯である。形式はで、行の中で語頭の子音を繰り返すことでリズムを作る。行末の音をそろえる脚韻ではない点が、後の英詩と決定的に違う。
今日の英語話者はこれを読めない。 語彙も文法も現代英語とかけ離れており、外国語として学習する必要がある。同じ「英語」の名で呼ばれていても、連続した読書体験としては断絶している。
14世紀に、英語が文学の言語として戻ってきた
三百年の空白を経て、英語が復帰する。背景には政治的な事情がある。百年戦争でフランスと敵対したことにより、フランス語が敵の言語になった。 1362年には法廷での英語使用を認める法律が出ている。
この時期に三つの方向が同時に現れた。
ラングランドの『農夫ピアズの幻想』は頭韻詩で書かれた宗教的・社会的な寓意詩である。腐敗した聖職者や貪欲な役人が批判され、社会批判の文学として読まれた。古英語以来の頭韻の伝統が、ここで復活している。
『サー・ガウェインと緑の騎士』(作者不詳)は、アーサー王の騎士が、首を斬られても死なない緑の騎士と契約を結ぶ物語である。頭韻と脚韻を組み合わせた高度な技巧で書かれ、中世英文学の中で最も完成度が高いとされる。
そしてチョーサーである。
チョーサーの選んだ方言が、標準の英語になった
カンタベリー物語(1387年頃から、未完)は、カンタベリーへの巡礼に集まった三十人ほどが、順番に話を語っていくという構成をとる。
外側に一つの枠を置いてその中に短い話を収める形式は、ボッカッチョのデカメロンの影響下にある。チョーサーはイタリアへ渡航しており、そこでペトラルカやボッカッチョの作品に触れたと考えられている。
だが決定的な違いがある。デカメロンの語り手が全員貴族であるのに対し、カンタベリー物語の語り手は身分がばらばらである。騎士がいて、粉屋がいて、修道女がいて、何度も結婚した女がいる。そしてそれぞれの身分にふさわしい言葉で喋る。 騎士は格調高い恋愛物語を語り、粉屋は下品な笑話を語る。語りの内容が語り手の性格を暴くという構造になっていて、これは近代小説の人物造形に近い。
もう一つ重要なのが言語の選択である。チョーサーはロンドンの英語で書いた。この作家が権威を得たことで、その方言が標準の英語になっていく。 言語の標準を、国家機関ではなく一人の作家が事実上決めた例である。
フランスでは同じ役割を国家が担った。1635年のアカデミー・フランセーズがそれにあたる。イギリスにはついにそのような機関が生まれなかったという違いは、両国の文学の性格に長く影響している。
1476年、印刷術がアーサー王物語の形を決めた
ウィリアム・キャクストンがイングランドに印刷機を持ち込んだ。書物が写本から印刷物へ変わる。
キャクストンが刊行したものの一つが、マロリーのアーサー王の死(1485年)である。フランス語の散文物語などを素材に、アーサー王の伝説を一つの物語としてまとめた作品で、今日われわれが知るアーサー王物語の形は、ほぼこの本に由来する。
マロリー自身は騎士でありながら、強盗・暴行などの罪で繰り返し投獄された人物とされる。獄中でこの作品を書いたと考えられているが、経歴には不明な点が多い。
中世が残したのは、負けた言語と、その回復
| 中身 | |
|---|---|
| 言語の敗北 | 三百年、英語は書く言語ではなかった。語彙の二層構造がその記録 |
| 断絶 | ベーオウルフは現代英語話者に読めない。連続した伝統ではない |
| 標準語の成立 | ジェフリー・チョーサーのロンドン方言が事実上の標準になった |
| 印刷術 | 写本から印刷へ。アーサー王の死がその最初期の成果 |
そして次の時代、この言語は劣等感を捨てて世界最強の文学語になっていく。シェイクスピアが現れるまで、あと百年である。