パーシー・ビッシュ・シェリー

白いシャツの襟を開き、羽根ペンを手にしたパーシー・ビッシュ・シェリーの油彩肖像画。
アルフレッド・クリント筆
原綴
Percy Bysshe Shelley
生没
1792–1822
出身
サセックス州フィールド・プレイス
イギリス
時代
ロマン主義

生涯

1792年、サセックス州の裕福な貴族の家に生まれた。だが体制に反抗する精神は早くから強く、オックスフォード大学に入ると、無神論を擁護する文書を書いて放校となった。父とも対立し、家との縁は絶たれた。

若くして結婚したが、のちに、思想家ゴドウィンの娘メアリー(のちのメアリー・シェリー)と恋におち、駆け落ちした。急進的な思想と、世間の慣習に背く生き方のため、イギリス社会では激しく非難された。

やがてイタリアに移り住んだ。ここで、バイロンらと交わりながら、最も充実した詩を書いた。だが1822年、イタリアの海でヨットに乗っていて嵐に遭い、水死した。二十九歳の若さだった。

作風

シェリーの詩の根には、抑圧への激しい反逆と、自由への理想がある。専制、宗教的な権威、社会の不正。そうしたあらゆる抑圧に抗し、人間が自由と愛のうちに生きる、理想の未来を夢見た。革命の詩人であり、預言者的な理想主義者だった。

その詩は、輝かしいイメージと、高く舞い上がる調子をもつ。西風、雲雀、雲、光。とらえがたく、たえず変化する自然の力を、みずからの精神と重ね合わせてうたった。「西風に寄せる歌」は、枯葉を吹き散らし、新たな種をまく西風に、古い世界を打ち壊し、新しい時代をもたらす変革の力を託している。

理想への希望が、つねに詩を貫く。どれほど暗い現実を描いても、その先に、抑圧が打ち倒され、人類が解放される未来を見ようとした。「冬来たりなば春遠からじ」と訳される一句は、この、絶望のなかで希望を失わないシェリーの精神をよく示している。

作品

『西風に寄せる歌(Ode to the West Wind)』(1819年)

秋の西風に呼びかけた頌歌である。枯葉を散らす破壊の力であると同時に、春の種をまく再生の力でもある西風に、社会の変革への希望を託した。シェリーの理想主義を凝縮した名詩にあたる。

『鎖を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound)』(1820年)

神々に反逆して人類に火を与えたプロメテウスが、専制の神ゼウスの支配を打ち倒し、解放される物語を描いた劇詩である。抑圧からの人類の解放という、シェリーの理想を壮大に描いた代表作である。

評論『詩の弁護』では、詩人を「世界の、公認されざる立法者」と呼び、詩の力を高く掲げた。

文学史における立ち位置と影響

シェリーは、バイロンキーツとともに、イギリス・ロマン主義の第二世代を代表する詩人として文学史に名を残す。第一世代のワーズワースらが自然と内面へ向かったのに対し、第二世代は、より激しく、社会と政治への反逆に傾いた。シェリーは、その革命的な理想主義の、最も純粋な体現者だった。

その自由と変革の理想は、後世に長く受け継がれた。抑圧に抗し、より良い未来を夢見るその精神は、詩の枠を越えて、社会変革をめざす人々にも影響を与えた。

若くして海に没した劇的な生涯もあいまって、シェリーは、理想に殉じたロマン派詩人の典型として記憶されている。輝かしいイメージと高い理想をうたったその詩は、イギリス抒情詩の頂点の一つとされる。

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