17-18世紀のイギリス文学 — 近代小説はここで生まれた

イギリス文学の17-18世紀は、王政復古の1660年から1798年までを指す。

近代小説はこの時期のイギリスで生まれたと考えられている。ただし小説の起源をどこに置くかは定義次第で変わるため、断定はできない。源氏物語(1008年頃)もクレーヴの奥方(1678年)も、それぞれ別の意味で先行している。

ここで言えるのは、今日われわれが小説と呼ぶ商品としての形式——散文で、同時代の普通の人を主人公にし、匿名の読者が金を払って買う——が、この時期に確立したということである。

小説が生まれた理由は、文学の外側にある

中産階級が育った。 商業と金融が発達し、都市に読み書きのできる層が生まれた。この層には本を買う金があり、読む時間があり、そして宮廷の作法や古典の教養を前提としない読み物を求めた。

出版が産業になった。 印刷技術と流通が整い、貸本屋が回り始める。作家が特定の貴族の庇護ではなく、匿名の読者からの収入で生きられるようになった。サミュエル・ジョンソンがパトロンを拒絶した書簡は、この転換を象徴する文書として知られる。

定期刊行物が現れた。 アディソンとスティールの『スペクテイター』などが、日常の話題を平明な散文で論じた。小説以前に、散文で日常を書く訓練の場があったことになる。

17-18世紀イギリスの主な作品

デフォーは、作り物を事実らしく見せる技術を作った

デフォーロビンソン・クルーソー(1719年)は、無人島に流れ着いた男が、何をいくつ持っていて、何日で何を作ったかを延々と記録する。

この即物性そのものが新しかった。 英雄でも神話でもなく、収支を計算する人間が主人公になっている。しかも刊行当初は実話として提示されており、作り物を事実らしく見せるという近代小説の基本技術がここにある。『モル・フランダーズ』では犯罪と再婚を繰り返す女性を主人公にし、これも回想録の体裁をとった。

リチャードソンは内面から、フィールディングは外側から書いた

リチャードソンは『パメラ』(1740年)で書簡体を用いた。使用人の少女が主人の誘惑に抵抗する過程を、本人の手紙だけで書く。読者は人物の内面をその場で追うことになり、心理小説の道が開いた。

これに対しフィールディングは『シャミラ』でパメラを露骨にもじり、トム・ジョーンズ(1749年)では正反対の方法を採った。語り手が前面に出て、読者に話しかけ、人物を外側から論評する。

内側から書くか、外側から書くか。この対立は以後の小説史を貫く。 [19世紀フランスでバルザックフローベールが分かれた](/france/19c/)のも、根はここにある。

スターンは、形式が生まれた直後にそれを壊した

スターントリストラム・シャンディ(1759〜1767年)は、小説というジャンルが生まれた直後に、もうそれを壊している。

主人公の誕生が第三巻まで来ない。脱線が本筋を埋め尽くす。真っ黒なページ、白紙のページ、線を引いて筋の展開を図示する箇所がある。

20世紀のモダニズムが行った実験の多くを先取りしているとされ、ジョイスウルフの時代に再評価された。

諷刺が、この時代のもう一つの主要な様式だった

スウィフトガリヴァー旅行記(1726年)は児童書として売られることが多いが、原型は人間という種そのものへの攻撃である。第四篇では理性的な馬と、人間そっくりの野蛮な生き物が対比される。

『慎ましき提案』では、アイルランドの貧困対策として赤ん坊を食用に売るという提案を、統計を交えた冷静な口調で述べる。皮肉が最後まで明かされない構造で、諷刺文の古典とされる。

ポープは二行ずつ韻を踏む英雄詩体二行連句を完成させ、『髪の毛の略奪』では些細な事件を叙事詩の文体で描いて笑いを作った。

辞書も標準語も、国家ではなく個人が作った

サミュエル・ジョンソンは1755年に『英語辞典』を独力に近い形で完成させた。英語の規範を、国家機関ではなく個人が作ったことになる。フランスのアカデミー・フランセーズが国家事業として辞書を編んだのと対照的である。

批評家としても、シェイクスピア論などで作品を評価する言語を整えた。ボズウェルによる『ジョンソン伝』は、伝記文学の古典とされる。

17-18世紀が残したのは、商品としての小説

中身
小説の成立条件中産階級・出版産業・匿名の読者。文学の外側の要因が形式を作った
内面か外形かサミュエル・リチャードソンの書簡体とヘンリー・フィールディングの語り手。以後の小説史の分岐点
生まれた直後の破壊ロレンス・スターンが形式の実験を二百年先取りした
規範を作る主体辞書も標準語も、国家ではなく個人が作った

イギリス文学の他の時代