妖精の女王
- 原題
- The Faerie Queene
- 作者
- エドマンド・スペンサー
- 成立
- 1590-1596
- 国
- イギリス
- 時代
- ルネサンス
概要
エリザベス朝を代表する長篇の寓意詩である。1590年に前半三巻、1596年に後半三巻が刊行された。全六巻が現存するが、スペンサーは十二巻を構想しており、未完に終わった。
各巻が、一人の騎士を主人公とし、一つの徳を寓意的に体現する。第一巻は神聖、第二巻は節制、第三巻は貞節、というように。騎士たちは、その徳に対応する試練と冒険を通じて、悪や誘惑と戦う。登場人物や事物が、抽象的な観念を表す寓意(アレゴリー)の手法が、全篇を貫く。
背景には、妖精の国の女王グロリアーナがいる。この女王が、騎士たちに冒険を命じる。グロリアーナは、女王エリザベス一世を、寓意的に表している。 作品全体が、エリザベス女王と、その治世を讃える、国民的叙事詩として構想された。
韻律は、スペンサーが独自に考案した詩節を用いる。九行からなるこの形式は、後にスペンサー詩節と呼ばれ、後世の詩人に用いられた。
スペンサーは1552年ごろの生まれ。ロンドンの商家に生まれ、ケンブリッジ大学で学んだ。役人として、アイルランドに赴任し、その地で、この作品の大部分を書いた。
この作品は、明確な目的を持って書かれた。スペンサーは、友人への手紙で、その意図を説明している。それは、「一人の紳士を、徳ある高貴な人物へと形づくること」だという。つまり、この作品は、理想の紳士を育成するための道徳教育の書として構想されている。同時に、女王エリザベスへの讃美であり、宮廷での立身を求める動機もあった。
作品は、女王に献呈された。エリザベスは、これに報い、スペンサーに年金を与えた。だが、宮廷での大きな出世には、つながらなかった。
スペンサーは、アイルランドで、イングランドの植民地支配に関わっていた。1598年、アイルランドで反乱が起き、その居城が焼かれた。失意のうちに、翌1599年、ロンドンで死去した。作品の後半六巻の原稿は、この混乱の中で失われたとする説もある。
文学史における評価と影響
エリザベス朝を代表する長篇詩であり、英文学における、叙事詩の伝統の重要な一環をなす。チョーサーを継ぐ、英語詩の大きな達成として位置づけられる。
寓意という手法が、この作品の核心にある。中世以来の寓意文学の伝統を受け継ぎながら、スペンサーは、それを、壮大な規模で展開した。人物や出来事が、徳や悪徳、真の信仰や偽りの信仰といった、抽象的な観念を表す。読者は、物語を追いながら、同時に、その背後の意味を読み解く。 この二重性が、作品の魅力であり、同時に、難解さの原因でもある。
政治的・宗教的な寓意も、随所に込められている。真の信仰ユーナは、プロテスタント(イングランド国教会)を、偽りの信仰は、カトリックを表すとされる。当時の宗教対立が、物語に反映している。エリザベス朝のプロテスタント・イングランドの自己像が、この作品には描かれている。
言語と韻律の面での貢献も大きい。スペンサーは、あえて古風な語彙を用い、独自の詩節を考案した。スペンサー詩節は、後に、バイロン、キーツ、シェリーといった、ロマン派の詩人たちに用いられた。スペンサーは、「詩人たちの詩人」と呼ばれ、後世の詩人に、深く敬愛された。ミルトンの失楽園も、この作品の系譜に連なる。
日本での知名度は、他のイギリス文学の古典に比べると、高くはない。長大で、寓意が難解なためである。だが、英詩の伝統を知るうえでは、欠かせない作品である。抄訳と全訳がある。
あらすじ
作品は、六つの巻からなり、それぞれ独立した物語を持つ。ここでは、最も名高い第一巻を中心に述べる。
第一巻の主人公は、赤十字の騎士である。神聖という徳を体現する。この騎士は、乙女ユーナに付き添い、その両親の国を荒らす竜を退治する使命を帯びている。ユーナは、真の信仰を寓意的に表す。
だが、道中には、数々の誘惑と危難が待つ。魔術師アーキマゴーは、偽りの幻を見せて、騎士とユーナを引き離す。騎士は、偽りの乙女に欺かれ、真の信仰を表すユーナから離れてしまう。誘惑によって、正しい道を見失う。 騎士は、二枚舌の異教徒と戦い、傲慢の館に迷い込み、絶望の巨人に囚われる。誘惑と過ちを重ね、一度は絶望に陥る。
しかし、ユーナの助けによって、騎士は救われる。「神聖の館」で、悔い改めと修行を積み、魂を清める。徳を回復した騎士は、最後に、三日にわたる死闘の末、竜を退治する。ユーナと結ばれ、使命を果たす。過ちから、悔悛を経て、徳の完成に至るという道筋が、寓意的に描かれる。
以後の巻も、同様の構造をとる。第二巻の騎士ガイオンは、節制の徳を体現し、快楽の魔女アクレイジアの「歓楽の園」を破壊する。第三巻は、女性騎士ブリトマートを主人公とし、貞節を主題とする。第四巻は友情、第五巻は正義、第六巻は礼節を扱う。各巻の騎士が、それぞれの徳をめぐる試練を、寓意的に生きる。
作品は、第六巻の途中で途切れる。構想の半分で、未完に終わった。