エドマンド・スペンサー

ひだ襟をつけ、口ひげとあごひげをたくわえたエドマンド・スペンサーの油彩肖像画。
原綴
Edmund Spenser
生没
1552頃–1599
出身
ロンドン
イギリス
時代
ルネサンス

生涯

1552年頃、ロンドンのつましい家に生まれた。ケンブリッジ大学に学んだのち、エリザベス朝の宮廷に近づこうとするが、望んだ地位は得られなかった。1580年、植民地支配の進むアイルランドへ役人として渡り、以後の生涯の大半をそこで送る。妖精の女王の多くも、このアイルランドの領地で書かれた。

1598年、アイルランドの反乱によって領地と家を焼かれ、ロンドンへ逃れた。その翌年、困窮のうちに世を去っている。詩人にゆかりの深いチョーサーの墓の近くに葬られた。

作風

得意としたのは、物語の筋に寓意を重ねる長い詩である。登場する騎士や女性は、そのまま節制や貞節といった徳を表し、その冒険が徳と悪徳のたたかいとして読める。

言葉づかいは、わざと古風な語を交え、荘重で装飾に富む。また、九行を一定の型に組んで押韻する独自の詩形を考案した。この形はのちに「スペンサー連」と呼ばれる。

作品

妖精の女王(The Faerie Queene)は、妖精の国の女王グロリアーナに仕える騎士たちが、それぞれ一つの徳を体現して冒険する長大な寓意詩である。女王グロリアーナはエリザベス1世を讃える像でもある。全体は十二巻の構想だったが、六巻半で未完に終わった。

このほか、羊飼いに仮託して十二か月を歌った『羊飼の暦(The Shepheardes Calender)』で詩人としての評価を確立し、自らの結婚を祝う『祝婚歌(Epithalamion)』も名高い。

文学史における立ち位置と影響

スペンサーは、エリザベス朝を代表する詩人であり、その荘厳な詩は後世の詩人たちに深く敬われて「詩人の詩人」と呼ばれた。考案したスペンサー連は、19世紀のキーツシェリーバイロンらのロマン派詩人に受け継がれている。

一方、生涯の後半をアイルランド支配の役人として送り、現地の統治について強硬な意見を書き残したことから、近年では植民地主義との関わりからも論じられるようになっている。

作品

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