ユートピア

原題
Utopia
作者
トマス・モア
成立
1516
イギリス
時代
ルネサンス

概要

「ユートピア」という語は、この本によって生まれた。ギリシア語をもとにモアが造った語で、「どこにもない場所」と「良い場所」の両方を掛けている。理想郷を意味する普通名詞として広まったのは、この本の後である。

短い本で、二部からなる。第一部は当時のイングランドへの痛烈な批判、第二部は架空の島国ユートピアの制度の描写にあたる。 モア自身が、ラファエル・ヒュトロダエウスという旅人からその島の話を聞く、という形をとっている。

ユートピアでは私有財産が存在しない。 すべてが共有され、貨幣もない。金や銀は蔑まれ、便器や奴隷の鎖に使われる。全員が労働に従事し、一日の労働は六時間である。

ただし、この島は楽園ではない。奴隷制があり、罪を犯した者が汚れた労働に就く。戦争になれば、自国民の血を流さないために金で外国の傭兵を雇う。無神論は認められない。理想として描かれた社会に、こうした要素が平然と書き込まれている。

この本が難しいのはそこである。モアはここに描いた社会を本当に理想としているのか、それとも思考実験か、諷刺か。作中でモア自身を思わせる人物は、私有財産の廃止に留保を示している。答えは示されない。 この多義性が、四百年以上にわたる解釈の議論を生んできた。

書かれたのは1516年、大陸のルーヴェンで刊行された。ラテン語なのは、当時のヨーロッパの知識人の共通語だったからで、英語訳が出たのはモアの死後である。モアは法律家であり人文主義者であり、エラスムスの親友でもあった。

モア自身の生涯は悲劇的に終わる。国王ヘンリー八世が離婚問題からローマ教会と決別した際、モアは良心に従ってこれに従うことを拒み、大逆罪に問われて1535年に斬首された。後にカトリック教会によって聖人に列せられている。

文学史における評価と影響

「ユートピア文学」というジャンルの出発点にして語源である。理想社会を描き、それを通して現実を批判する文学の系譜は、この本から始まる。以後、数多くのユートピアとディストピアが書かれた。ハクスリーすばらしい新世界オーウェル一九八四年は、この系譜を反転させた形にあたる。

思想史における意義も大きい。私有財産の廃止と財産の共有という構想は、後の社会主義思想の遠い先駆として位置づけられることがある。ただしモアの構想は近代の社会主義とは文脈も動機も異なる。 その根はカトリックの信仰と古典古代の思想にある。

同時代への批判の書としての性格も重要にあたる。第一部の囲い込み批判は、当時のイングランドの現実を鋭く突いている。「羊が人間を食う」という言葉は、初期資本主義の非人間性を告発する言葉として今も引用される。

この本の魅力は両義性にある。理想社会の提示なのか諷刺なのか、真面目な提案なのか知的な遊戯なのか。モアは答えを一つに定めていない。 読者に現実と理想の関係を自分で考えさせる。この開かれた性格が、この本を制度の設計図ではなく文学作品にしている。

内容

第一部は対話の形をとる。モアは外交の任でフランドルに滞在中、博識な旅人ヒュトロダエウスと出会い、三人で当時の社会の問題を論じる。

ここで当時のイングランドの現実が鋭く批判される。とりわけ有名なのが「羊が人間を食う」という一節である。当時、毛織物産業の利益のために地主が農地を牧羊地に変える「囲い込み」が進んでいた。農民は土地を追われ、失業し、貧困から犯罪に走り、窃盗の罪で次々に処刑されていた。貪欲な少数者の利益のために多数の民が犠牲になる。 ヒュトロダエウスは、この不正の根源が私有財産制そのものにあると論じる。財産が私有される限り社会の不正はなくならない、と。

第二部は、その私有財産のない社会の描写である。

ユートピアは三角形をした島国で、五十四の都市からなり、どの都市も同じ制度を持つ。すべての財産は共有され、貨幣は存在しない。人々は必要なものを共同の倉庫から無償で受け取る。

住民は全員が労働に従事する。一日の労働は六時間。 ある階級だけが労働を免れることはない。誰もが働くため労働時間は短くて済み、余暇は学問や教養のために使われる。

宗教については寛容が保たれている。さまざまな信仰が許され、他者の信仰を非難することは禁じられている。ただし、無神論と魂の不滅の否定は、道徳の基盤を損なうとして認められない。

戦争は憎まれている。だが必要とあれば戦う。その際、自国民の血を流すことを避けるため、金で外国の傭兵を雇う。

奴隷制も存在する。罪を犯した者や、他国で死刑になるはずだった者が、奴隷として汚れた労働に従事する。

作者

登場する文学史