フランス16世紀

フランス文学 16世紀

通史では、この世紀を「フランス語で書くという選択」と要約した。ここではその中身を開く。

十六世紀のフランスを理解する鍵は、この世紀が前半と後半でまったく違う顔をしていることである。前半はルネサンスの楽天、人間の可能性への信頼、笑い。後半は宗教戦争、虐殺、不信。同じ世紀に収まっているとは思えないほど落差がある。

そして重要な作品の多くが、その落差の上に書かれている。

前提 — なぜ「フランス語で書くか」が問題だったのか

当時、真面目な内容はラテン語で書くものだった。神学も哲学も医学も法学も、学問はすべてラテン語である。フランス語は日常のことば、格下の言語だった。

イギリスでも同じ問題が同じ頃に起きている。トマス・モアは『ユートピア』をラテン語で書いた。

これを変えたのが二つの力である。

文学がフランス語を選んだのは、思想的な決断であると同時に、この市場と制度の変化の上に乗った選択でもあった。

ラブレー — 学識と下品が同居する

フランソワ・ラブレーは修道士であり、医者であり、ギリシア語を読む人文主義者だった。その彼が巨人の親子の話を書く。『パンタグリュエル』が一五三二年、『ガルガンチュア』が一五三四年。

内容は雑多を通り越している。古典への言及、教育論、修道院への皮肉、法律の風刺、そして排泄と酒と性の冗談が、区別なく同じ頁に並ぶ。

これは無秩序ではなく攻撃である。高級な内容は高級な形式で、という前提そのものを笑いで解体している。当時の大学神学部は繰り返し彼の著作を弾劾した。

有名なテレームの僧院の挿話では、修道院の規則がただ一つしかない。「汝の欲するところを行え」。 人はもともと善へ向かう性質を持っているのだから、規則で縛る必要がない、という前提に立つ。ここにルネサンス前半の楽天が最もはっきり出ている。

その楽天は、世紀の後半に打ち砕かれることになる。

プレイヤード派 — 言語を鍛えるという綱領

一五四九年、ジョアシャン・デュ・ベレーが『フランス語の擁護と顕揚』を発表する。文学史における宣言文の古典である。

主張は明快だった。フランス語は貧しいのではない、耕されていないだけだ。 古代の作家を模倣し、ギリシア語・ラテン語から語を取り入れ、方言や職人のことばまで動員して、フランス語そのものを古典語の高さまで引き上げよ。

同時に彼は、中世フランスの詩形式(バラード、ロンドーなど)を古くさいものとして退けた。[[villon]]までの伝統を意識的に切り捨てている。

ピエール・ド・ロンサールがこの綱領を実作で示し、ソネットという形式をフランスに定着させた。「ばらの花が今日ひらいた、その花が夕暮れには散ってしまった」という主題——美しさは束の間だから今を摘め——は、この派が繰り返し歌ったものである。

ジョアシャン・デュ・ベレー自身はローマに滞在して失望し、故郷への郷愁を歌った『哀惜詩集』を残した。綱領を掲げた当人が、綱領どおりでない個人的な詩でいちばん読み継がれているのは皮肉である。

宗教戦争 — 世紀が折れる

一五六二年から一五九八年まで、フランスはカトリックとプロテスタント(ユグノー)の内戦を八次にわたって繰り返した。

決定的な事件が一五七二年のサン・バルテルミの虐殺である。パリでプロテスタントが大量に殺され、虐殺は地方へ広がった。犠牲者数は諸説あるが、数千から万に及ぶとされる。

ここでルネサンス前半の楽天が終わる。人間は理性によって善へ向かうという前提が、信仰の名のもとに隣人を殺す現実の前で崩れた。

モンテーニュ — 判断を保留するという態度

ミシェル・ド・モンテーニュは法官を務めた後、三十代で公職を退き、塔の書斎にこもってエセーを書きはじめた。初版一五八〇年。以後、死ぬまで増補を続けた。

エセーという語はもともと「試み」を意味する。彼はこの語を、今日の「随筆」の意味に変えてしまった。

彼の方法は独特である。

なぜこの態度が重要なのか。内戦の時代だからである。確信を持った人間が人を殺していた。 そのなかで彼は「私は何を知っているか」と問い、断定を留保することそのものを一つの態度として提示した。

彼は寛容を実践してもいる。ボルドー市長として両派の間を調停し、カトリックでありながらプロテスタント側のナヴァール王アンリ(後のアンリ四世)とも交渉を持った。

この世紀をどう読むか

起きたこと
言語の選択ラテン語からフランス語へ。印刷と王権がそれを支えた
楽天から不信へフランソワ・ラブレーの笑いが、宗教戦争を経てミシェル・ド・モンテーニュの懐疑になる
自分について書くミシェル・ド・モンテーニュが主題としての「私」を発明する

三つ目が二百年後にジャン=ジャック・ルソーの『告白』へ、さらに19世紀のロマン主義へつながっていく。通史で述べた「フランス文学は自分自身を素材にし続ける」という筋の起点がここにある。

この先へ