ダーバヴィル家のテス

原題
Tess of the d'Urbervilles
作者
トマス・ハーディ
成立
1891
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

概要

1891年に刊行された長篇小説である。副題に「純潔な女」と付けられており、この副題そのものが当時の社会への挑発だった。凌辱された女性を純潔と呼ぶことは、ヴィクトリア朝の道徳では成り立たない主張にあたる。

主人公テスは、イングランド南西部の貧しい農村の娘である。美しく感受性の豊かなこの娘が、社会の道徳と男たちの身勝手さによって破滅していく過程が描かれる。

物語はテスに次々に襲いかかる不幸の連鎖でできている。金持ちの放蕩者による凌辱。その過去を理由にした夫からの拒絶。生活のための屈従。テスは、自分の過ちではないことによって罰せられ続ける。

ハーディは1840年の生まれである。イングランド南西部を「ウェセックス」という架空の地名で呼び、そこを舞台に数々の小説を書いた。この作品もその一つにあたる。

刊行に際して激しい論争を巻き起こした。凌辱された女を純潔と呼び、社会の道徳を告発するその内容は、当時の道徳観に真っ向から挑戦するものだった。新聞連載の際には凌辱の場面などが削除や改変を強いられ、ハーディは削った部分を別の雑誌に短編として発表するという手段まで取っている。単行本で元の形に戻された。

この作品と次作『日陰者ジュード』への非難に、ハーディは深く傷ついた。以後は小説を書くのをやめ、詩作に専念する。八十七歳で死ぬまでの三十年余りを詩人として生きた。

文学史における評価と影響

ヴィクトリア朝末期の社会と道徳への告発の書として、文学史に位置を占める。

作品を貫くのは道徳の二重基準への批判である。テスを破滅させるのはテス自身の罪ではない。男たちの身勝手さと、女性にだけ貞潔を求める社会である。エンジェルが自分の過去には赦しを求めながらテスの過去は赦さない、というこの一点が、そのまま作品の告発になっている。

運命への視点もこの作品を特徴づける。ハーディの世界では、人間はしばしば非情な力に翻弄される。テスがアレックに宛てて書いた告白の手紙は、扉の下に差し入れたつもりが敷物の下に入り込み、読まれないまま終わる。こうした偶然の行き違いが破局を招く。個人の意志を超えた力が人を押し潰していく、という見方が悲劇の根にある。

自然の描写も重要である。牧歌的な酪農場から、蕪を掘る荒涼とした冬の農場まで、風土がテスの境遇と呼応する。幸福な時期は豊かな土地に、苦難の時期は不毛な土地に置かれている。

結末のストーンヘンジの場面は名高い。古代の生贄の祭壇を思わせる石の上でテスが捕らえられる。社会の道徳への生贄として差し出される、という含みがそこにある。

日本でも早くから訳され、広く読まれてきた。悲劇的な恋愛小説として、また社会批判の書として読み継がれている。翻訳は複数ある。

あらすじ

貧しい行商人の娘テスは、一家の困窮を助けるため、遠縁を名乗るダーバヴィル家へ働きに出される。この家の放蕩息子アレックは美しいテスに目をつけ、ある夜、森のなかでテスを凌辱した。テスは故郷へ逃げ帰り、まもなくアレックの子を産む。だが赤子は洗礼も受けられないまま死ぬ。牧師が来ないため、テス自身が手ずから洗礼を施した。

数年後、過去を断ち切ろうとして、テスは遠くの酪農場で乳搾りの仕事に就く。そこで、牧師の息子で農業を学びに来ていた青年エンジェル・クレアと出会った。二人は深く愛し合い、結婚する。テスは幸福の絶頂にいた。

だが新婚の初夜、エンジェルが自分の過去の過ちを打ち明けたのに応えて、テスもアレックとのことを話す。するとエンジェルは豹変した。自分の過ちには寛大な赦しを求めておきながら、テスの過去は赦そうとしない。自分が愛したのは君ではなく、君の姿をした別の女だ、と言い放つ。エンジェルはテスを置いてブラジルへ去った。

夫に捨てられたテスは再び困窮する。冬の農場で過酷な労働に耐えるうち、そこへ、かつての加害者アレックが現れた。伝道師になりすましたアレックは、なおもテスに執着する。夫からの音信はなく、父が死んで一家は住む家すら失った。追い詰められたテスは、家族を養うためにアレックのもとへ入る。

そこへ、ようやく悔いたエンジェルがブラジルから帰ってくる。テスは絶望する。もう遅すぎた。自分の人生を二度も狂わせたアレックへの憎悪が爆発し、テスはアレックを刺し殺す。

二人は逃げる。数日間、人里離れた空き家で誰にも見つからずに過ごし、そこで束の間の幸福を得た。だが追手は迫る。逃げる途中、二人は古代の遺跡ストーンヘンジにたどり着く。祭壇のような石の上で眠るテスを、夜明けとともに警官たちが取り囲んだ。テスは抵抗せずに捕らえられる。物語は、遠くの塔に処刑を知らせる黒い旗が掲げられるのを、エンジェルが丘の上から見つめる場面で閉じられる。

作者

登場する文学史