ヴィクトリア朝の文学 — ディケンズ・ブロンテ姉妹・ハーディ
ヴィクトリア朝は、女王の在位にあたる1837年から1901年までを指す。イギリスが世界の四分の一を支配し、産業革命が社会を作り変えた時代である。文学の主題は都市・階級・貧困、そして信仰の揺らぎだった。
分冊で売るという流通形式が、小説の書き方を決めた
この時代の小説を理解する鍵は、流通の形にある。多くの長篇は、月刊または週刊の分冊で刊行された。読者は続きを待ち、街で噂した。この形式が書き方を規定する。
- 各回の終わりに、続きが気になる場面を置く必要がある
- 登場人物は、一か月あいても読者が覚えていられるよう誇張される
- 連載中の反応を見て、筋を変えることがあった
- 全体の分量が長くなる(三巻本という形式も定着した)
ディケンズがこの形式の申し子である。その人物が極端に類型化されているのは、月をまたいで読者が覚えていられる必要があったからでもある。技法上の欠点に見えるものが、流通形式の要請だった。
ヴィクトリア朝の主な作品
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| ジェイン・エア | 1847年 | シャーロット・ブロンテ | 小説 |
| 嵐が丘 | 1847年 | エミリー・ブロンテ | 小説 |
| デイヴィッド・コパフィールド | 1849〜1850年 | チャールズ・ディケンズ | 小説(連載) |
| 荒涼館 | 1852〜1853年 | チャールズ・ディケンズ | 小説(連載) |
| 『イン・メモリアム』 | 1850年 | アルフレッド・テニスン | 長篇詩 |
| 大いなる遺産 | 1860〜1861年 | チャールズ・ディケンズ | 小説(連載) |
| 不思議の国のアリス | 1865年 | ルイス・キャロル | 児童文学 |
| ミドルマーチ | 1871〜1872年 | ジョージ・エリオット | 小説 |
| ドリアン・グレイの肖像 | 1890年 | オスカー・ワイルド | 小説 |
| ダーバヴィル家のテス | 1891年 | トマス・ハーディ | 小説 |
ディケンズは、大衆に読まれながら社会を批判した
主題は一貫して社会の底辺にある。孤児院、債務者監獄、法廷の遅延、産業都市の煤煙。
本人が十二歳のとき、父の投獄で工場労働に出された。この経験が生涯の主題になっている。 デイヴィッド・コパフィールドには自伝的な要素が濃い。荒涼館は法廷の遅延を主題にし、構成が最も複雑とされる。大いなる遺産は出世を望んだ青年の幻滅を描き、[19世紀フランスのスタンダール](/france/19c/)と主題が近い。
作品が世論を動かし、貧民学校や労働環境をめぐる議論に作用したとされる。ただし文学としての性格は複雑である。写実主義に分類されるが、誇張と感傷が強く、厳密な写実とは言いにくい。悪人はとことん悪く、善人は報われる。作者の判断を消そうとしたフローベールとは対極にある。
女性作家が男性名で書いた事実が、そのまま史料になっている
1847年、ブロンテのジェイン・エアとブロンテの嵐が丘が同じ年に出た。
姉妹はいずれも男性名で発表している。カラー・ベル、エリス・ベル、アクトン・ベル。ジョージ・エリオット(本名メアリー・アン・エヴァンズ)も男性名である。女性が本名で書くことに障害があった時代の記録が、著者名そのものに残っている。 女性の書いたものは女性向けの軽い読み物として扱われる懸念があったためとされる。
ジェイン・エアは、家庭教師の女性が一人称で自分の意志を語る。女性が自分の欲望と怒りを語るという点が、当時としては新しかった。嵐が丘は暴力と執着を扱い、当時は粗野として批判されている。ジョージ・エリオットのミドルマーチは、地方都市の人間関係を精密に描き、英語で書かれた小説の最高峰の一つとされることが多い。
1859年の『種の起源』以後、信仰が支えを失った
ダーウィンの『種の起源』が刊行された。人間が神の被造物ではなく進化の産物だという主張は、それまでの前提を崩す。
この時代の文学の底に流れているのは、信仰が支えを失う経験である。テニスンの『イン・メモリアム』は友の死を悼む長篇詩だが、そこには自然が個体の生死に無関心であることへの戦慄が書かれている。刊行は『種の起源』より前だが、地質学の知見が既に同じ問題を提起していた。アーノルドの「ドーヴァー・ビーチ」は、信仰の海が引いていく音を聞く詩として読まれてきた。
ハーディの小説では、人物が努力すればするほど不幸になる。背後にあるのは、宇宙が人間に対して中立であるという認識である。ダーバヴィル家のテス(1891年)への非難に嫌気がさし、以後は小説をやめて詩だけを書いた。
世紀末、芸術の自律を説いたワイルドは刑務所へ入った
世紀の終わりに、道徳への奉仕を拒む芸術観が現れる。
ワイルドは機知で社交界の頂点に立ち、ドリアン・グレイの肖像の序文で芸術と道徳の分離を宣言した。善い本も悪い本もない、よく書けた本とまずく書かれた本があるだけだ、という趣旨である。
だが同性愛を理由に起訴され、二年の重労働刑を受けた。出獄後に困窮のうちに死んでいる。[フランスの唯美主義](/movement/aestheticism/)と同じ美学が、イギリスでは刑罰と結びついた。
同じ頃、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』やドイルのホームズ物が、大衆向けの物語として高い完成度に達している。文学と娯楽の境界が、まだ固まっていない時代である。
ヴィクトリア朝が残したのは、産業社会を書く小説
| 中身 | |
|---|---|
| 流通が形式を決めた | 連載だから引きが要り、人物が誇張された |
| 著者名が語る差別 | 女性作家が男性名で書いた事実そのものが史料 |
| 信仰の後退 | 進化論と地質学が、文学の主題を変えた |
| 美と刑罰 | オスカー・ワイルドの裁判は、芸術の自律が社会と衝突した事件 |