イギリス文学 ヴィクトリア朝
通史では、この時代を「産業と信仰」と要約した。ここではその中身を開く。
一八三七年から一九〇一年。イギリスが世界の四分の一を支配し、産業革命が社会を作り変えた時代である。文学の主題は都市・階級・貧困・そして信仰の揺らぎだった。
連載が小説の形を決めた
この時代の小説を理解する鍵は、流通の形式にある。
多くの長篇は、月刊または週刊の分冊で刊行された。読者は続きを待ち、街で噂した。この形式が書き方を規定する。
- 各回の終わりに引きを作る必要がある
- 登場人物は一目で見分けがつくよう誇張される
- 連載中の読者の反応を見て、筋を変えることがあった
- 全体の分量が長くなる(三巻本という形式も定着した)
チャールズ・ディケンズがこの形式の申し子である。彼の人物が極端に類型化されているのは、月をまたいで読者が覚えていられる必要があったからでもある。技法上の欠点に見えるものが、流通形式の要請だった。
ディケンズ — 大衆に読まれながら社会を批判する
主題は一貫して社会の底辺にある。孤児院、債務者監獄、法廷の遅延、産業都市の煤煙。
彼自身が十二歳のとき、父の投獄で工場労働に出された。 この経験が生涯の主題になった。デイヴィッド・コパフィールドには自伝的な要素が濃い。
荒涼館は法廷の遅延を主題にし、構成が最も複雑とされる。大いなる遺産は出世を望んだ青年の幻滅を描き、[十九世紀フランスのスタンダール](/france/19c/)と主題が近い。
社会への実際的な影響もあった。 作品が世論を動かし、貧民学校や労働環境をめぐる議論に作用したとされる。
ただし文学としての性格は複雑である。写実主義に分類されるが、誇張と感傷が強く、厳密なリアリズムとは言いにくい。 悪人はとことん悪く、善人は報われる。作者の判断を消そうとしたギュスターヴ・フローベールとは対極にある。
女性作家と、男性名
一八四七年、シャーロット・ブロンテのジェイン・エアとエミリー・ブロンテの嵐が丘が同じ年に出た。
姉妹はいずれも男性名で発表した。 カラー・ベル、エリス・ベル、アクトン・ベル。ジョージ・エリオット(本名メアリー・アン・エヴァンズ)も男性名である。
女性が本名で書くことに障害があった時代の記録が、著者名そのものに残っている。 女性の書いたものは「女性向けの軽い読み物」として扱われる懸念があったためとされる。
ジェイン・エアは、家庭教師の女性が一人称で自分の意志を語る。女性が自分の欲望と怒りを語るという点が当時としては新しかった。嵐が丘は暴力と執着を扱い、当時は粗野として批判された。
ジョージ・エリオットのミドルマーチは、地方都市の人間関係を精密に描き、英語で書かれた小説の最高峰の一つとされることが多い。
一八五九年 — 信仰が揺らぐ
ダーウィンの『種の起源』が刊行された。
この時代の文学の底に流れているのは、信仰が支えを失う経験である。 アルフレッド・テニスンの『イン・メモリアム』は友の死を悼む長篇詩だが、そこには自然が個体に無関心であることへの戦慄が書かれている。刊行は『種の起源』より前だが、地質学の知見が既に同じ問題を提起していた。
マシュー・アーノルドの「ドーヴァー・ビーチ」は、信仰の海が引いていく音を聞く詩として読まれてきた。
トマス・ハーディの小説では、人物が努力すればするほど不幸になる。背後にあるのは、宇宙が人間に対して中立であるという認識である。ダーバヴィル家のテス(一八九一年)への非難に嫌気がさし、彼は小説をやめて以後は詩だけを書いた。
世紀末 — 唯美主義と、その代償
世紀の終わりに、道徳への奉仕を拒む芸術観が現れる。
オスカー・ワイルドは機知で社交界の頂点に立ち、ドリアン・グレイの肖像の序文で芸術と道徳の分離を宣言した。「善い本も悪い本もない。よく書けた本と、まずく書かれた本があるだけだ」という趣旨である。
だが彼は同性愛を理由に起訴され、二年の重労働刑を受けた。 出獄後に困窮のうちに死んでいる。フランスの唯美主義と同じ美学が、イギリスでは刑罰と結びついた。
同じ頃、ロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』やアーサー・コナン・ドイルのホームズ物が、大衆向けの物語として高い完成度に達した。 文学と娯楽の境界がまだ固まっていない時代である。
この時代をどう読むか
| 中身 | |
|---|---|
| 流通が形式を決めた | 連載だから引きが要り、人物が誇張された |
| 著者名が語る差別 | 女性作家が男性名で書いた事実そのものが史料 |
| 信仰の後退 | 進化論と地質学が、文学の主題を変えた |
| 美と刑罰 | オスカー・ワイルドの裁判は、芸術の自律が社会と衝突した事件 |