ダロウェイ夫人
- 原題
- Mrs Dalloway
- 作者
- ヴァージニア・ウルフ
- 成立
- 1925
- 国
- イギリス
- 時代
- 20世紀以降
概要
1925年に刊行された長篇小説である。作者ヴァージニア・ウルフはモダニズム文学を代表する作家にあたる。
扱われるのはロンドンの六月のある一日だけである。中心にいるのは上流階級の夫人クラリッサ・ダロウェイで、その夜に開くパーティーの準備のため、朝、花を買いに出かけるところから始まる。
だがクラリッサだけを追うわけではない。街ですれ違う人々の心のなかへ、視点が次々に移っていく。とりわけ重要なのが、第一次大戦で心を病んだ青年セプティマスである。クラリッサとセプティマスは最後まで一度も出会わない。それでも二人の一日は並行して描かれ、結末で結びつく。
外の出来事は一日ぶんしかないが、そのあいだに登場人物たちの過去が絶えず呼び戻される。書かれている時間の長さと、実際に読者が辿る時間の幅が、大きく食い違っている。
ウルフは1882年の生まれである。ロンドンの知識人の集まり「ブルームズベリー・グループ」の中心の一人だった。生涯にわたって深刻な精神の病に苦しんでおり、セプティマスの造形にその経験が投影されているとしばしば指摘される。ウルフは1941年、自ら命を絶った。
当初の構想では、クラリッサ自身がパーティーの席で死ぬ、あるいは自殺する予定だった。執筆の途中でセプティマスという人物が作られ、死の役割がそちらへ移されている。
この作品でウルフは意識の流れの手法を本格的に確立した。同じ時期のジョイスのユリシーズとしばしば比較される。どちらも一日を扱い、心の動きを追う。ただしウルフの文章はジョイスの奔放さとは違い、詩に近い滑らかさを保っている。
文学史における評価と影響
モダニズム小説の代表作であり、意識の流れの手法の達成として高く評価される。
革新は時間の扱いにある。外の時間は一日しかない。だがその合間に登場人物の過去が絶え間なく呼び戻される。時計が刻む時間と、心のなかの時間の食い違いを書くことが、この作品の主眼にあたる。作中で繰り返し鳴るビッグ・ベンの鐘は、その外側の時間を告げる音として置かれている。
視点の移動も特徴的である。クラリッサから通行人へ、そしてセプティマスへと自在に移る。複数の人物の意識を継ぎ合わせることで、都市の一日が組み立てられる。一度も出会わない二人が深いところでつながる、という構造も、この技法によって可能になっている。
生と死の主題が全体を貫く。生を味わい尽くそうとするクラリッサと、生きられないセプティマス。この対照によって、生きることの意味が問われる。青年の死がクラリッサに生の核心を感じさせる、という結末が、思想的な頂点にあたる。
女性の視点から書かれた点も重要である。ウルフは女性の内面の経験を、それにふさわしい文体で描いた。この点で、後のフェミニズム批評においても重要な作品とされる。
日本でも翻訳が読める。20世紀文学を代表する作品として、灯台へとともに読み継がれている。
あらすじ
六月の朝、クラリッサ・ダロウェイはその夜のパーティーのために自分で花を買いにロンドンの街へ出る。
歩きながら、心にはさまざまな想念が浮かんでは消える。今の暮らしは満ち足りている。だがその底に説明のつかない空虚がある。そして若い日の記憶が戻ってくる。とりわけ、心を通わせたピーター・ウォルシュのこと。クラリッサは情熱的なピーターではなく、堅実な政治家ダロウェイを夫に選んだ。あの選択は正しかったのか。選ばなかったもう一つの人生への思いがよぎる。そのピーターが、この日、突然インドから帰ってきてクラリッサを訪ねてくる。
同じ街で、第一次大戦の帰還兵セプティマス・スミスが妻とともにいる。戦場で親友を失った衝撃から、深刻な精神の病に陥っていた。幻覚に悩まされ、死んだ親友が話しかけてくる。医師たちはその苦しみを理解せず、休養が必要だと言って療養所へ入れようとするだけである。
豊かに生きているクラリッサと、生きることに耐えられないセプティマス。この対照が作品の軸をなす。
午後、療養所へ送られることを恐れたセプティマスは、窓から身を投げて死ぬ。
夜、クラリッサのパーティーが開かれる。そこへセプティマスの担当医が遅れて到着し、若い患者が自殺したという話が伝わる。クラリッサは、会ったこともないその青年の死に深く心を動かされ、客のいる部屋を離れて一人になる。そしてその死のうちに、誰にも汚されなかった何かを見出す。青年が死を選んだことが、逆にクラリッサに、生きていることの手応えを感じさせる。クラリッサは再び客のもとへ戻っていく。その姿を見たピーターが胸を打たれる場面で、物語は閉じられる。