バイロン

白い襟を立て、黒い外套をまとって斜め上を見るバイロンの油彩肖像画。
トマス・フィリップス筆(1813年)
原綴
George Gordon Byron
生没
1788–1824
出身
ロンドン
イギリス
時代
ロマン主義

生涯

1788年、ロンドンに生まれた。父は放蕩の末に借金を残して早く死に、母とスコットランドで暮らした。先天的に片足が不自由で、それを終生気にしていた。

十歳のとき、大伯父の死によって男爵位を継いだ。ケンブリッジ大学に学び、在学中から詩を発表している。1809年から二年間、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、トルコを旅した。当時のヨーロッパはナポレオン戦争の最中で、貴族の子弟が通常たどる大陸周遊の経路が使えなかったことによる。この旅が最初の代表作の素材になる。

1812年、『チャイルド・ハロルドの巡礼』の最初の二篇を発表した。一夜にして有名になり、本人が「ある朝目覚めたら有名になっていた」と書き残している。同じ年、上院で最初の演説を行い、織機を破壊したラッダイト運動の労働者を擁護した。

私生活は絶えず醜聞になった。多数の恋愛関係があり、異母姉オーガスタとの関係も噂された。1815年に結婚したが一年で破綻する。

1816年、離婚と噂による社会的排斥のためイギリスを離れた。二度と帰らなかった。スイスでシェリー夫妻と過ごし、雨で外に出られない夜に怪談を書こうと提案している。そこからメアリ・シェリーフランケンシュタインが生まれた。

その後はイタリアで数年を過ごした。1823年、ギリシャ独立戦争に加わる。私財から軍資金を出し、部隊を組織した。だが戦闘に参加する前に熱病にかかり、1824年、ミソロンギで36歳で死去した。ギリシャでは国民的英雄として扱われている。

作風

『チャイルド・ハロルドの巡礼』の主人公は、ヨーロッパを遍歴する憂鬱で厭世的な青年貴族だった。読者はこの人物と作者を重ねて読み、そこから「バイロン的英雄」と呼ばれる型が生まれた。孤高で社会から離れており、知性と魅力があって人を惹きつけ、隠された罪や暗い過去を抱えている。既存の道徳と権威を軽蔑し、後悔しないが幸福にもならない。

詩の形式は伝統的である。同時代のワーズワースが日常の言葉で詩を書こうとしたのに対し、バイロンは18世紀のポープらの技法を評価し、規則的な韻律と対句を使い続けた。に括られながら、詩法の面では前の世代に近い。

そして諷刺の書き手でもあった。ドン・ジュアンでは、話が絶えず脱線し、語り手が政治や文学界を皮肉り、無理やりな韻を踏んで笑わせる。憂鬱な英雄詩で有名になった詩人が、最後に書いたのは軽妙な喜劇詩である。自分が作った型を自分で笑っているとも読める。

書簡と日記も評価が高い。率直で速度があり、詩とは別種の文章として読まれている。

作品

『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1812〜18年)

名声の出発点になった遍歴詩である。

『マンフレッド』(1817年)

劇詩で、アルプスの山中で罪を抱えた男が精霊を呼び出し、赦しも忘却も拒んで死ぬ。バイロン的英雄の極点にあたる。

『カイン』(1821年)

聖書のカインを主人公にした劇詩で、神の正義を問う内容が冒涜的だとして激しい非難を浴びた。

ドン・ジュアン(1819〜24年、未完)

近年これを代表作とする評価が優勢である。伝説の女たらしドン・ファンを、むしろ女性に翻弄される受け身の青年として描く。全十六歌が書かれたところで死によって中断した。

日本語では詩の翻訳が入手しにくく、選集で主要な部分を読む形になる。長篇詩は分量が大きいので、『チャイルド・ハロルド』は抄録から入るのが現実的である。

文学史における立ち位置と影響

バイロン的英雄の型は、あらゆる国の文学に現れた。エミリー・ブロンテ嵐が丘のヒースクリフ、プーシキンエヴゲーニイ・オネーギンレールモントフの『現代の英雄』。才能も教養もありながら、社会のなかで使いどころを見つけられずに持て余す——ロシア文学が繰り返し描いたこの「余計者」の系譜も、この型の受容から始まっている。スタンダールデュマらフランスの人物造形にも及んだ。今日のフィクションのダークヒーローも、遠くはここに由来する。

評価には国による差が大きい。イギリス国内では、ロマン派の詩人としての評価がワーズワースキーツより低く見られた時期が長い。技巧が粗い、思想が浅いといった批判である。大陸ヨーロッパでは絶大だった。ゲーテが高く評価し、フランス、ロシア、イタリア、スペインで熱狂的に読まれた。「バイロニズム」という語が各国語に入っている。

音楽への影響も大きい。ベルリオーズ、リスト、チャイコフスキーらが作品を題材にした。

ギリシャ独立戦争への参加は、詩人が政治的行動に出る例として繰り返し引かれる。ヨーロッパ各地でギリシャ支援の世論を動かす効果も持った。

近年はドン・ジュアンの評価が上がっている。諷刺と語りの技術、脱線の巧みさが、現代的な小説の方法に近いとして読み直されている。

日本では明治期に紹介され、島崎藤村ら初期の浪漫派に影響した。

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