ドイツ文学史 — ゲーテからカフカ・ツェランまで
ドイツ文学史を理解する鍵は、ドイツという国が長らく存在しなかったことにある。統一されたドイツ国家ができるのは1871年である。それ以前は数百の領邦に分かれ、宮廷ではフランス語が話され、学問はラテン語で書かれていた。ドイツ語で書くことは、フランス語とラテン語の両方に対する選択だった。
そのため、この文学史では国家より先に文学が国民を作ったという順序になる。ゲーテとシラーがヴァイマルという小さな公国で書いたものが、統一以前に「ドイツ文学」という枠を成立させた。
もう一つの特徴は、哲学との距離の近さである。カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー。思想の言語と文学の言語が同じ場所で鍛えられたため、ドイツ文学は概念的な主題を正面から扱う傾向を持つ。
以下、五つの時代に分けて追う。全体の見取り図は次のようになる。
| 時代 | 年代 | ドイツ史の状況 | 文学に起きたこと | 代表作 |
|---|---|---|---|---|
| 中世 | 1100〜1500年 | 神聖ローマ帝国。領邦の分立 | 騎士文化の中でドイツ語の文学が形を得る | ニーベルンゲンの歌 |
| 古典主義・ロマン主義 | 1750〜1830年 | 領邦分立のまま。ナポレオン戦争 | 国家より先に国民文学が成立する | ファウスト 若きウェルテルの悩み |
| 19世紀 | 1830〜1900年 | 1871年にドイツ統一 | 地方社会と市民生活を描く写実の系譜 | ヴォイツェク |
| 20世紀前半 | 1900〜1945年 | 帝政の崩壊・ワイマール共和政・ナチス | 世界文学の中心の一つになり、亡命で解体される | 魔の山 変身 |
| 戦後 | 1945年〜 | 東西分断、1990年に再統一 | ホロコーストの後に書くことが問われる | ブリキの太鼓 死のフーガ |
「ドイツ文学」はドイツという国の文学ではなく、ドイツ語で書かれた文学を指す。カフカはプラハ、ツェランはルーマニア、イェリネクとハントケはオーストリア、フリッシュはスイスの書き手である。国籍ではなく言語で括られる点は、読み始める前に確認しておくとよい。
中世(1100〜1500年/神聖ローマ帝国)— 宮廷叙事詩と恋愛歌
12世紀から13世紀、騎士文化の中でドイツ語の文学が形を得る。
ニーベルンゲンの歌(1200年頃)は、ジークフリートの死と、その復讐をめぐる叙事詩である。キリスト教以前の英雄伝説を素材にしており、ローランの歌のような聖戦の枠組みを持たない。後にワーグナーの楽劇の素材になった。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハのパルチヴァールは、聖杯を求める騎士の物語である。クレチアン・ド・トロワのフランス語作品を下敷きにしており、フランスからドイツへの影響が見える。抒情詩では、騎士が貴婦人への献身を歌うが栄え、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデがその頂点とされる。
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| ニーベルンゲンの歌 | 1200年頃 | 未詳 | 英雄叙事詩 |
| パルチヴァール | 1200〜1210年頃 | ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ | 宮廷叙事詩 |
| 『トリスタン』 | 1210年頃 | ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク | 宮廷叙事詩 |
| 恋愛歌・政治詩 | 1200年前後 | ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ | ミンネザング |
古典主義・ロマン主義(1750〜1830年)— 国民文学の成立
18世紀後半、ドイツ文学が急速に成熟する。前段階として、ゴットホルト・エフライム・レッシングがフランス古典主義の規則を批判し、シェイクスピアを模範として提示した。フランスの規範から離脱してイギリスへ向かうという方向転換である。ヘルダーは民族の言語と民謡に文学の根拠を求めた。
1770年代の疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)で、規則よりも感情の噴出が肯定される。ゲーテの若きウェルテルの悩み(1774年)はヨーロッパ全土で熱狂的に読まれた。その後、ゲーテとシラーはヴァイマルで古典主義へ向かう。古代ギリシャを模範とした調和の理想である。
ここで注意が要る。この古典主義はフランス17世紀の古典主義とは別物である。時期は百年以上ずれ、規則の体系も異なり、模範とする対象も違う(フランスはローマ、ドイツはギリシャに重心がある)。同じ訳語が当てられているため混同されやすい。
並行してが起こる。イェーナに集まったノヴァーリス、シュレーゲル、ティークらが詩と哲学の融合を構想し、ホフマンは現実と幻想の境界が壊れる物語を書いた。ドイツ・ロマン主義はヨーロッパのロマン主義の出発点であり、イギリスやフランスへ波及している。ヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリムのグリム童話(1812年以降)は、民話の収集という形でヘルダーの思想を実践したものである。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 若きウェルテルの悩み | 1774年 | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ | 書簡体小説 |
| 群盗 | 1781年 | フリードリヒ・シラー | 戯曲 |
| ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 | 1795〜1796年 | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ | |
| ヴィルヘルム・テル | 1804年 | フリードリヒ・シラー | 戯曲 |
| ファウスト | 1808年/1832年 | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ | 戯曲 |
| ミヒャエル・コールハース | 1810年 | ハインリヒ・フォン・クライスト | 中篇小説 |
| グリム童話 | 1812〜1857年 | ヤーコプ・グリム・ヴィルヘルム・グリム | 民話集 |
19世紀(1830〜1900年/統一と帝政)— 分裂と写実
1848年革命の挫折を経て、文学は政治的な理想から距離を取る。
ハイネはロマン派の抒情詩人として出発しながら、鋭い政治的諷刺を書いた。ユダヤ系であったため、後にナチス政権下で著作が焚書の対象になっている。
ビューヒナーは23歳で早世したが、ヴォイツェク(未完)は社会の底辺の人間を主人公にした断片的な戯曲で、20世紀に入って再評価され、以降の演劇に強い影響を与えた。
の系譜ではフォンターネ、ケラー、シュティフター、シュトルムが地方社会と市民生活を描いた。フランスやイギリスに比べて大都市を舞台にした社会小説が少ないのは、統一国家と巨大都市の成立が遅れたことと関係する。世紀末にはハウプトマンがの戯曲で貧困と労働を舞台に載せ、ニーチェがツァラトゥストラはこう言ったなどで既存の価値の全面的な問い直しを行った。哲学書でありながら文学作品として読まれ、20世紀の文学に広い影響を与えている。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『歌の本』 | 1827年 | ハインリヒ・ハイネ | 詩集 |
| ヴォイツェク | 1836年執筆 | ゲオルク・ビューヒナー | 戯曲(未完) |
| 『みずうみ』 | 1849年 | テオドール・シュトルム | 中篇小説 |
| 『緑のハインリヒ』 | 1854〜1855年 | ゴットフリート・ケラー | 教養小説 |
| ツァラトゥストラはこう言った | 1883〜1885年 | フリードリヒ・ニーチェ | 哲学的散文詩 |
| 『織工』 | 1892年 | ゲアハルト・ハウプトマン | 戯曲。自然主義 |
| 『エフィ・ブリースト』 | 1895年 | テオドール・フォンターネ | 小説 |
20世紀前半(1900〜1945年/ワイマール共和政とナチス)— 頂点と、破局
20世紀前半のドイツ語文学は、世界文学の中心の一つになる。
トーマス・マンはブッデンブローク家の人々で市民階級の没落を描き、魔の山ではサナトリウムを舞台に、ヨーロッパの精神状況そのものを議論の形で提示した。カフカは説明を欠いた不条理な状況に人物を置いた。プラハのユダヤ系で、ドイツ語で書いている。どの共同体にも完全には属さない位置が作品の背景にあると読まれてきた。
リルケはドゥイノの悲歌で存在と死をめぐる詩を書き、ムージルは特性のない男という未完の大長篇に取り組み、デーブリーンはベルリン・アレクサンダー広場で都市の断片をつなぎ合わせた。演劇ではブレヒトが、観客を感情移入させないの方法を作っている。第一次大戦の経験はレマルクの西部戦線異状なし(1929年)に書かれ、こちらも後に焚書の対象になった。
そして1933年、ナチスが政権を掌握する。焚書が行われ、多くの作家が亡命した。トーマス・マンはアメリカへ、ブレヒトは各国を転々とした。ベンヤミンは逃亡の途上で自ら命を絶ち、ロートは亡命先のパリで没し、ツヴァイクは亡命先のブラジルで妻とともに自殺している。ドイツ語文学は、この時期に地理的にも人的にも解体された。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| ブッデンブローク家の人々 | 1901年 | トーマス・マン | 長篇小説 |
| ヴェニスに死す | 1912年 | トーマス・マン | 中篇小説 |
| 変身 | 1915年 | フランツ・カフカ | 中篇小説 |
| デーミアン | 1919年 | ヘルマン・ヘッセ | 小説 |
| ドゥイノの悲歌 | 1923年 | ライナー・マリア・リルケ | 詩集 |
| 魔の山 | 1924年 | トーマス・マン | 長篇小説 |
| 審判 | 1925年(死後) | フランツ・カフカ | 長篇小説 |
| ベルリン・アレクサンダー広場 | 1929年 | アルフレート・デーブリーン | 長篇小説 |
| 西部戦線異状なし | 1929年 | エーリヒ・マリア・レマルク | 小説 |
| 特性のない男 | 1930〜1943年 | ローベルト・ムージル | 長篇小説(未完) |
| 肝っ玉お母とその子どもたち | 1941年初演 | ベルトルト・ブレヒト | 戯曲 |
戦後(1945年〜/東西分断と再統一)— 書くことの倫理
戦後の中心的な問題は、ホロコーストの後に書くことがどう可能かである。西ドイツでは1947年から、作家が年に一度集まって新作を朗読し合うが、文学の場として機能した。
ツェランは死のフーガで強制収容所を主題にした。ルーマニア生まれのユダヤ系で、両親を収容所で失っている。加害者の言語であるドイツ語で書き続け、後年は言語そのものを解体するような詩へ向かった。1970年にセーヌ川に身を投げている。
グラスのブリキの太鼓(1959年)は、成長を拒む少年の視点からナチス期を描いた。戦後の西ドイツが過去と向き合う契機の一つになった作品である。ただしグラス自身が晩年に、少年期に武装親衛隊に所属していた事実を公表し、大きな論争を呼んだ。
ベルは戦後社会の欺瞞を書き、バッハマンは詩と散文で戦後の言語の問題を扱った。スイスのフリッシュとデュレンマットもドイツ語文学の重要な部分をなす。近年ではゼーバルトがアウステルリッツなどで、記憶と喪失を写真を交えた散文で書いた。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 死のフーガ | 1948年 | パウル・ツェラン | 詩 |
| 『ホモ・ファーバー』 | 1957年 | マックス・フリッシュ | 小説 |
| ブリキの太鼓 | 1959年 | ギュンター・グラス | 長篇小説 |
| 『物理学者たち』 | 1962年 | フリードリヒ・デュレンマット | 戯曲 |
| 『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』 | 1974年 | ハインリヒ・ベル | 中篇小説 |
| 朗読者 | 1995年 | ベルンハルト・シュリンク | 小説 |
| アウステルリッツ | 2001年 | W・G・ゼーバルト | 小説 |