テオドール・フォンターネ
- 原綴
- Theodor Fontane
- 生没
- 1819–1898
- 出身
- ノイルッピン(プロイセン王国)
- 国
- ドイツ
- 時代
- 19世紀
生涯
1819年、プロイセンのノイルッピンに生まれた。フランスから移住したユグノーの家系である。ユグノーはフランスのプロテスタントで、迫害を逃れて多くがプロイセンへ移り住んだ。父は薬剤師で、賭博によって家産を失った。
フォンターネ自身も薬剤師の修業をし、その職で二十代を過ごした。並行して詩を書き、文学サークルに出入りしている。
1849年、薬剤師をやめてジャーナリストになった。プロイセン政府の報道機関に勤め、ロンドンに数年駐在している。この時期に英国とスコットランドを取材し、バラッド(物語詩)の翻訳と創作を行った。
1860年代から『ブランデンブルク辺境地方の遍歴』を書き始める。故郷の地方を歩き、風景、城館、家系、逸話を記録した紀行文で、全五巻に及んだ。
1870年の普仏戦争では従軍記者としてフランスへ渡り、スパイ容疑でフランス軍に捕らえられている。
以後、劇評家として二十年働いた。最初の長篇小説『嵐の前』を発表したのは1878年、59歳のときである。
以後の二十年で十七本の長篇を書いた。1895年、76歳のときに『エフィ・ブリースト』が成功する。1898年、78歳で死去した。
作風
フォンターネの小説は、会話でできている。
出来事の描写や心理の説明が少なく、人物が話す言葉が大部分を占める。人々は天気の話をし、噂話をし、冗談を言う。だがそのやりとりのなかに、身分、金、体面、性についての判断が織り込まれている。読者は表面の会話から、その下にある社会の圧力を読み取ることになる。
主題は、規範と個人の齟齬である。プロイセンの社会には、身分と名誉についての厳格な規則があった。それに従うことに意味があるかどうかを誰も信じていない。それでも従わなければ生きていけない。この空虚な拘束が、繰り返し人を潰す。
裁く語り手を置かない。誰かが悪いという書き方をしない。『エフィ・ブリースト』では、夫も母も、それぞれの立場では正しく振る舞っている。それでも一人の女性が死ぬ。
会話には諦念の混じった諧謔がある。深刻な事態が、軽い調子の応酬のなかで進む。この語り口が「フォンターネ節」と呼ばれ、ドイツ語散文の魅力の一つとされてきた。
作品はほぼすべてベルリンとブランデンブルクを舞台にする。地方紀行の仕事で得た土地の知識が、そのまま小説の背景になっている。
作品
『ブランデンブルク辺境地方の遍歴』(1862〜89年)
全五巻の地方紀行である。
『嵐の前』(1878年)
最初の長篇で、ナポレオン戦争期のプロイセンを扱う歴史小説である。
『迷い、もつれ』(1888年)
貴族の将校と庶民の娘の恋を描く。二人は身分の差ゆえに別れ、それぞれ別の相手と結婚して、それなりに幸福に暮らす。破局を悲劇にしない結末が、当時としては新しかった。
『フラウ・イェニー・トライベル』(1892年)
金持ちになった市民階級の俗物性を諷刺した作品である。
『エフィ・ブリースト』(1895年)
代表作である。十七歳のエフィは、かつて母に求婚した二十歳以上年上の官僚と結婚させられる。夫の赴任地は寂しい海辺の町で、夫は仕事で不在がちだった。エフィは駐屯する少佐と短い関係を持つ。数年後、夫が偶然その手紙を見つける。もはや嫉妬も怒りも感じてはいない。それでも社会の規範に従って相手を決闘で殺し、妻を離縁する。エフィは娘とも引き離され、実家からも一度は拒まれ、数年後に病死する。
『シュテヒリーン』(1898年)
最晩年の作である。ほとんど何も起こらず、老人が語り、そして死ぬ。フォンターネ自身が、この小説では老人が死んで若者たちが結婚する、それだけだと述べている。
日本語では『エフィ・ブリースト』が読める。
文学史における立ち位置と影響
フォンターネは、ドイツ19世紀の小説の頂点とされる。
同時代のヨーロッパで、フローベールのボヴァリー夫人、トルストイのアンナ・カレーニナと並べて論じられることが多い。いずれも姦通を扱い、社会の規範によって女性が破滅する。三作の比較は、この主題を論じる際の定番になっている。フォンターネの特徴は、糾弾も同情もせず、社会の側の空虚さを会話のなかに露出させる点にある。
ドイツ語の小説において、会話を中心に据える書き方を確立した。トーマス・マンはフォンターネを高く評価し、その影響を認めている。20世紀のドイツ語作家がフォンターネを参照するのは、この文体の面が大きい。
ベルリンを書いた作家としても位置づけられる。都市の変化と、それに伴う階級の移動が作品に記録されている。
老年になってから小説を書き始めたという経歴も、しばしば言及される。59歳の第一作から78歳の死まで、二十年で主要作をすべて書いた。
日本での翻訳は限られている。『エフィ・ブリースト』が繰り返し訳されているほかは紹介が薄く、ドイツ語圏での評価の高さに比して知名度は低い。