ギュンター・グラス

原綴
Günter Grass
生没
1927–2015
出身
ダンツィヒ(現・ポーランド、グダニスク)
ドイツ
時代
戦後

生涯

1927年、自由都市ダンツィヒ(現在のポーランド、グダニスク)に生まれた。父はドイツ人、母はカシューブ人という少数民族の出である。実家は食料品店を営んでいた。

少年期をナチス政権下で過ごし、ヒトラー・ユーゲントに属した。1944年、16歳で徴兵され、1945年に負傷して米軍の捕虜になっている。

戦後は石工の徒弟として働き、その後デュッセルドルフとベルリンの美術学校で彫刻とグラフィックを学んだ。作家として世に出た後も、生涯にわたって造形と版画の仕事を続けている。

1955年から「四七年グループ」の集まりに参加した。戦後西ドイツの文学を主導した作家たちの緩やかな集団である。1958年、この場でブリキの太鼓の一部を朗読して賞を受けた。

1959年のブリキの太鼓刊行で国際的な名声を得る。以後、社会民主党を支持して選挙運動に加わるなど、政治的な発言を続けた。ヴィリー・ブラント首相のために演説の草稿も書いている。

1999年、ノーベル文学賞を受賞した。

2006年、自伝『玉ねぎの皮をむきながら』で、17歳のとき武装親衛隊に所属していたことを公表した。ナチ党の組織である親衛隊の戦闘部隊で、戦後は犯罪組織と認定されている。六十年にわたってこれを語らないまま、ドイツ人の過去への向き合い方を批判し続けていたため、激しい論争になった。

2015年、87歳で死去した。

作風

グラスが書いたのは、ナチス期を生きた普通の市民である。

英雄も抵抗者も出てこない。小商人、教師、隣人。そうした人々が体制に順応し、日常のなかで小さな加担を重ねていく過程が書かれる。裁く語り手を置かないため、読者は判断を自分で引き受けることになる。

方法として特徴的なのは、語り手を歪めることである。ブリキの太鼓の語り手オスカルは、精神病院に収容されている。三歳で成長を止めることを決意し、以後ずっと子どもの身体のまま大人の視点で世界を見ている。この歪んだ視点によって、大人たちの振る舞いが異様なものとして提示される。

文体は過剰である。長い文が続き、細部が積み重なり、比喩が繰り返される。滑稽と残酷が同じ場面に共存する。土地の言葉、料理、匂い、身体の描写が具体的で、抽象的な議論に向かわない。

素材はほぼ常に故郷ダンツィヒである。ドイツ人、ポーランド人、カシューブ人が混在し、戦後にドイツから切り離されたこの町が、繰り返し舞台になる。

寓話とグロテスクを使う。魚が語る、女が魚になる、鼠が人類の終わりを語る。歴史の記述に幻想的な枠を与えることで、正面から書けないものを扱う。

作品

ブリキの太鼓(1959年)

代表作である。ダンツィヒの少年オスカルは、大人になることを拒んで三歳で成長を止め、ブリキの太鼓を叩き続ける。叫び声でガラスを割る能力を持つ。ナチスの台頭、戦争、戦後の西ドイツの復興が、この小人の視点から語られる。刊行当時は冒涜的だという非難も受けた。フォルカー・シュレンドルフによる1979年の映画化がカンヌのパルムドールとアカデミー外国語映画賞を受けている。

『猫と鼠』(1961年)と『犬の年』(1963年)は、『ブリキの太鼓』と合わせて「ダンツィヒ三部作」と呼ばれる。

『ひらめ』(1977年)

童話の魚を語り手に据えて、石器時代から現代までの男女の関係と食物の歴史を辿る長篇である。

『鼠』(1986年)

核による人類滅亡後の世界を鼠が語る。

『広い野原』(1995年)

東西ドイツ統一を扱い、統一を批判的に描いたことで激しい論争を招いた。

『蟹の横歩き』(2002年)

1945年に難民を乗せて撃沈された船を素材に、ドイツ人が被害者として自分を語ることの是非を扱う。

『玉ねぎの皮をむきながら』(2006年)

自伝である。

文学史における立ち位置と影響

グラスは戦後西ドイツ文学を代表する作家であり、ベルと並んで、ナチス期の過去とどう向き合うかという課題を文学の側から担った。

ブリキの太鼓は、戦後ドイツ語文学が国際的な読者を取り戻した最初の作品とされる。ドイツ語の小説がふたたび世界で読まれる状況を作った点で、文学史上の意味が大きい。

作家が政治的に発言することの型を作った面もある。選挙運動に加わり、演説を書き、公開書簡を出す。この振る舞いはドイツで論争を呼びながら、以後の作家の一つの選択肢になった。

歴史の記述に幻想を混ぜる方法は、ラテンアメリカの作家たちと並べて論じられることが多い。相互の影響関係というより、同じ時期に別々の場所で現れた方向として扱われる。

2006年の告白は、その全業績の読み方に影響した。作品自体は加担する市民を書き続けていたのだから矛盾しないという見方と、他者を批判する資格を問う見方が並存している。この論争は決着していない。

日本では1960年代から翻訳が進み、『ブリキの太鼓』は映画とともに広く知られている。

作品

登場する文学史