フランツ・カフカ

髪を後ろになでつけ、縞のネクタイを締めたフランツ・カフカの肖像写真(顔の接写)。
1923年頃
原綴
Franz Kafka
生没
1883–1924
出身
プラハ(当時オーストリア=ハンガリー帝国)
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1883年、プラハのユダヤ系の家に生まれた。当時のプラハはオーストリア=ハンガリー帝国の都市で、チェコ語を話す多数派のなかに、ドイツ語を使う少数の層があった。カフカはその一人にあたる。

父ヘルマンは商人として身を起こした人物で、体が大きく声も大きかった。カフカは終生この父に萎縮している。36歳のときに書いた『父への手紙』は、その関係を長大に分析したもので、結局父には渡されなかった。

大学で法学を学び、労働者傷害保険協会に職を得た。役所仕事は勤勉にこなし、昇進もしている。執筆は勤務後の夜に行われた。三度婚約し、三度とも解消している。結婚が執筆を妨げるという恐れが、その理由の一つとして書簡に記されている。

1917年に結核を発病し、療養を繰り返した。1924年、ウィーン近郊のサナトリウムで40歳で死去する。喉頭結核のため、最後は食べることができなかった。

生前に刊行されたのは短篇と作品集のごく一部である。友人マックス・ブロートに遺稿の焼却を遺言したが、ブロートはこれを実行せず、三つの長篇を順に刊行した。

作風

カフカの作品は、説明を欠いた状況から始まる。変身は、男がある朝目覚めると巨大な虫になっていた、という一文で開く。なぜそうなったかは最後まで説明されない。審判では、主人公が身に覚えのない罪で逮捕され、罪状が分からないまま手続きだけが進む。では、城に呼ばれた測量士が、いつまでも城にたどり着けない。

共通するのは、な前提を誰も疑わないことである。虫になった男は、まず遅刻を心配する。家族は驚くが、やがてその状態を日常として扱いはじめる。前提を受け入れたうえで、その内側の論理だけが精密に追われていく。悪夢の構造に似ている。

文体は平明である。装飾がなく、法律文書に近い正確さで書かれる。カフカは保険協会で事故報告や規程を書く仕事をしており、その言語が作品にも及んでいる。異様なのは文体ではなく、状況設定のほうである。

権力の描き方にも特徴がある。裁判所も城も、命令する具体的な人物が現れない。手続きと伝聞と待機だけがあり、責任者にはたどり着けない。20世紀の官僚制と匿名の権力を、それが本格化する前に書いたことになる。

長篇はいずれも未完である。章の順序も編者の判断によるため、断片的に感じられるのは読者の側の問題ではない。

作品

変身(1915年)

生前に刊行された中篇である。虫になったグレーゴル・ザムザが、家族に疎まれ、最後は誰にも顧みられずに死ぬ。百ページ程度で読め、カフカの方法が最も凝縮されている。

審判(1925年、死後刊行)

銀行員ヨーゼフ・Kが逮捕され、罪状を知らされないまま裁判に巻き込まれる長篇である。作中の「掟の門」の挿話は、独立した短篇としても読まれる。

(1926年、死後刊行)

測量士Kが城に招かれながら、村に足止めされ続ける長篇である。カフカの死により中断している。

『流刑地にて』(1919年)

判決文を受刑者の身体に刻む処刑機械をめぐる短篇である。

『断食芸人』『判決』『アメリカ』なども残されている。

文学史における立ち位置と影響

「カフカ的(kafkaesque)」という形容が各国語で普通名詞として使われるほど、独自の世界像を確立した。理由の分からない手続きに翻弄される状況を指す語として、文学の外でも用いられる。

モダニズムのなかでは特異な位置にある。ジョイスウルフが語りの技術を実験したのに対し、カフカは文体を実験していない。変えたのは、何を前提として置いてよいかという範囲のほうである。

実存主義の先駆としても繰り返し参照される。カミュシーシュポスの神話の付録でカフカを論じ、サルトルも影響を受けている。意味を与えない世界に置かれた人間という主題が共通する。

どの共同体にも完全には属さない位置が、作品の背景として読まれてきた。チェコ語圏に住むドイツ語話者であり、ユダヤ系でありながら信仰から距離があり、家庭では父に、職場では組織に萎縮していた。ただし、この伝記的な事実から作品を説明しすぎることには批判もある。

日本では安部公房との近さがしばしば指摘される。説明を欠いた不条理な状況に人物が投げ込まれるという構造が共通するためである。ただし安部は実存主義からも学んでおり、系譜は一つではない。

作品

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