ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

- 原綴
- Johann Wolfgang von Goethe
- 生没
- 1749–1832
- 出身
- フランクフルト・アム・マイン
- 国
- ドイツ
- 時代
- 古典主義・ロマン主義
生涯
1749年、フランクフルトの裕福な家に生まれた。父は法律家で、家庭教師をつけて息子に多言語と諸学を仕込んでいる。ライプツィヒとシュトラスブルクで法学を学び、後者でヘルダーと出会った。この出会いが、シェイクスピアと民謡への関心を開いている。
1774年、25歳で若きウェルテルの悩みを発表し、ヨーロッパ全土で知られるようになった。翌年、ヴァイマル公カール・アウグストに招かれてヴァイマルへ移る。以後、この小国で顧問官、鉱山監督、劇場監督などを歴任し、宰相格の地位にまで昇った。政務のため、10年ほど創作から遠ざかっている。
1786年、誰にも告げずにイタリアへ発った。約2年の滞在で古代の遺跡と美術に触れ、これが作風の転換点になる。帰国後、シラーと親交を結び、二人で雑誌を出し、互いの作品を批評し合った。この10年ほどが「ヴァイマル古典主義」と呼ばれる時期にあたる。
自然科学の研究も続けた。植物の変態、色彩論、鉱物学。とくに『色彩論』はニュートンの光学に反対する立場から書かれており、本人は文学よりこちらを重視していたと語っている。
1832年、82歳で死去した。死の前年にファウスト第二部を完成させ、封をして残している。
作風
ゲーテの活動範囲は異常に広い。詩、小説、戯曲に加え、自然科学の著作を残し、公国の政治にも参与した。作品も一つの様式に収まらず、時期によって大きく変わる。
初期は感情の噴出を肯定する方向にある。若きウェルテルの悩みは、報われない恋に苦しむ青年の手紙だけで構成され、社会の規範より個人の感情を上に置く。当時のドイツで起きていた「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」の代表作にあたる。
イタリア旅行の後、方向が変わる。古代の彫刻に見た調和と均衡を規範とし、感情の直接的な噴出から離れていった。シラーとの共同作業もこの時期である。同じ作家のなかで立場が反転しているため、ゲーテを一つの流派に分類することはできない。
ヴィルヘルム・マイスターの修業時代では、主人公が経験を通じて成長し、社会のなかに自分の位置を見出すまでを書いた。この構造が「教養小説(ビルドゥングスロマン)」という型を作り、以後のドイツ文学の一つの柱になる。
ファウストは60年をかけて書き継がれた。知識に絶望した老学者が悪魔と契約し、若さと快楽を得るが、それでも満足に至らない。第一部は市民劇に近く筋を追えるが、第二部は古代ギリシャや貨幣経済や干拓事業まで扱う寓意の連続で、註なしでは読み進めにくい。
作品
若きウェルテルの悩み(1774年)
書簡体小説である。婚約者のいる女性への恋に苦しむ青年が、最後にピストルで自殺する。ヨーロッパ全土で熱狂的に読まれ、主人公の服装を真似る流行が起きた。読者の自殺が相次いだとも言われるが、その実態については検証を要する。短く感情が直接的で、当時の熱狂の理由が体感できる。
ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(1795〜96年)
演劇に憧れた商家の息子が遍歴の末に成熟する長篇である。教養小説の原型とされる。
ファウスト(第一部1808年/第二部1832年)
生涯の大作である。第一部だけなら読み通せる。全体の読破を目標にしないほうがよい。
『イタリア紀行』(1816〜17年)
匿名で発ったイタリア旅行の記録である。詩では「魔王」「野ばら」などが知られ、シューベルトらによって歌曲になっている。
文学史における立ち位置と影響
ゲーテはドイツ文学を国際的な位置に押し上げた。それ以前のドイツ語文学はヨーロッパの周辺にあり、フランスの模倣とみなされることが多かった。ゲーテ以後、ドイツ語は文学の中心言語の一つになる。
シラーとともに形成した「ヴァイマル古典主義」については、注意が要る。この「古典主義」はフランス17世紀の古典主義とは別物である。時期は百年以上ずれ、規則の体系も異なる。フランスのそれが、劇は一日・一場所・一つの筋に収めよという三一致の法則のような明文の規則を持つのに対し、ヴァイマル古典主義は古代ギリシャの調和を理想とする美学であり、規則の体系ではない。同じ訳語が当てられているために混同されやすい。
「世界文学(Weltliteratur)」という概念を提唱したことでも知られる。各国の文学が翻訳を通じて交流し、一つの共有財産になっていくという構想で、晩年の対話に記されている。中国の小説や、ペルシアの詩人ハーフィズを読んでの発言だった。
後世への影響は広い。教養小説の型はトーマス・マンやヘッセに受け継がれ、ファウスト伝説は各国で繰り返し翻案された。日本では森鷗外がファウストを訳し、明治以降の知識人に広く読まれている。