ヴィルヘルム・グリム

原綴
Wilhelm Grimm
生没
1786–1859
出身
ハーナウ(ヘッセン=カッセル方伯領)
ドイツ
時代
古典主義・ロマン主義

生涯

1786年、ヘッセンのハーナウに生まれた。兄ヤーコプの一歳下である。

幼少期から病弱で、心臓と喘息の症状に生涯悩まされた。マールブルク大学で兄とともに法律を学び、同じくサヴィニーの影響で歴史的な研究へ向かう。

カッセルの図書館で司書として働きながら、兄と伝承の収集を進めた。1812年に『子どもと家庭の童話』初版を刊行する。

1825年、ドロテア・ヴィルトと結婚した。童話の提供者の一人と同じ家の女性である。ヤーコプは生涯独身で、兄弟はこの後も同居を続けた。

1830年にゲッティンゲン大学へ移り、1837年のゲッティンゲン七教授事件で兄とともに罷免される。1841年、兄とともにベルリンへ招かれた。

以後もベルリンで研究と辞典編纂を続け、1859年、72歳で死去した。兄より四年早い。

作風

ヴィルヘルムの仕事は、集めた話を読める文章にすることだった。

ヤーコプが言語学と法制史へ関心を移していったのに対し、ヴィルヘルムは童話の改訂に集中する。初版から第七版まで、四十年以上にわたって文章を書き改め続けた。

改稿の方向は明確である。粗野な言い回しを整え、会話を増やし、場面の描写を膨らませる。短い記録だったものが、読んで面白い物語になっていく。今日「グリム童話の文体」として知られるものは、この改訂の産物である。

内容にも手が入った。性的な要素は削られる。ラプンツェルが妊娠に気づく場面は、初版にはあったが後の版で消えた。実母が娘を捨てたり殺そうとしたりする話では、母が継母に書き換えられている。一方、悪役への罰はしばしば強められた。白雪姫の継母が焼けた靴を履かされて踊り死ぬ結末は、版を追うごとに詳しくなっている。

キリスト教的な表現を加える改変も行われた。当初の主張は、ドイツ民衆の古い伝承をそのまま記録するというものだったが、実際には家庭で子どもに読ませられる形へ整えられていったことになる。

学問的な仕事もある。中世ドイツの英雄伝説と、ルーン文字についての研究を残した。

作品

『子どもと家庭の童話』(初版1812〜15年、第七版1857年)

兄との共編である。初版は二巻で、学術的な註が付いていた。

『ドイツ伝説集』(1816〜18年)も兄との共同作業である。

『ドイツの英雄伝説』(1829年)

単独の著作である。中世の英雄伝説を集めて論じた。

『ドイツのルーン文字について』(1821年)も単独の研究にあたる。

『ドイツ語辞典』

兄との共同作業だが、ヴィルヘルムの担当分はDの項までにとどまった。

日本語では、初版に基づく訳と第七版に基づく訳の両方が出ている。改訂の経緯を知って読み比べると、この編者の仕事が何だったかが分かる。

文学史における立ち位置と影響

ヴィルヘルム・グリムは、しばしば兄と一体のものとして扱われる。だが童話の文体という点では、その役割は兄より大きい。

書き換えをめぐる評価には両面がある。忠実な記録という当初の建前を裏切ったという批判がある一方、この改訂があったからこそ童話が世界的に読まれたという見方もある。民衆の口承をそのまま書き留めた記録ではなく、編者による創作を含む文学作品として読むべきだ、という理解が今日では一般的である。

児童文学の文体を作ったという点で、影響は広い。短い文、繰り返し、決まり文句による導入と結末。この語り口が、以後の子ども向けの物語の標準になった。

日本では、兄弟の区別なく「グリム兄弟」として知られている。訳者や研究者以外が二人の役割の違いを意識することは少ない。

登場する文学史