ノヴァーリス
- 原綴
- Novalis
- 生没
- 1772–1801
- 出身
- オーバーヴィーダーシュテット(プロイセン領)
- 本名
- Georg Philipp Friedrich von Hardenberg
- 国
- ドイツ
- 時代
- 古典主義・ロマン主義
生涯
1772年、プロイセン領の貴族の家に生まれた。本名はフリードリヒ・フォン・ハルデンベルクという。家はヘルンフート派という敬虔主義の一派に属し、宗教的に厳格な家庭だった。
イェーナ、ライプツィヒ、ヴィッテンベルクの各大学で法律を学ぶ。イェーナでシラーの講義を聴き、ライプツィヒでフリードリヒ・シュレーゲルと知り合った。この交友が、後の初期ロマン主義の集団の核になる。
1794年、法律の実務見習いとして赴任した先で、十二歳のゾフィー・フォン・キューンと出会い、翌年に婚約した。1797年、ゾフィーは十五歳で結核により死去する。ノヴァーリス自身も同じ年に弟を失った。この二重の喪失が、以後の作品の中心にある。
その後、フライベルクの鉱山学校で地質学と鉱物学を学び、製塩所の技師として実務に就いた。詩人としての活動と、鉱山技師としての職務を並行させている。この時期に別の女性と婚約した。
1798年から『アテネーウム』誌に断章を発表し、初期ロマン主義の理論的な中心の一人になる。
1801年、結核により28歳で死去した。主要な作品はいずれも未完のまま遺された。
作風
ノヴァーリスが求めたのは、詩によって世界を作り変えることである。
その主張は「世界はロマン化されなければならない」という言葉で示される。ロマン化とは、日常のものに高い意味を与え、既知のものを未知のものとして見直す操作を指す。詩は装飾ではなく、世界の認識を変える手段として置かれる。
書き方の中心にあるのは断章である。体系的な論文ではなく、短い覚書を大量に書き、それを並べる。ある考えが完結せず、別の断章と響き合う。この形式自体が、完結を拒む思想の表現になっている。
夢と夜が主題になる。『夜の讃歌』では、昼の光——理性、明晰さ、生——に対して、夜が置かれる。夜は死と結びつき、そして愛する者との再会の場所になる。恋人の墓の前で、夜が啓示として訪れる場面が中心にある。
散文では、寓話と物語が幾重にも入れ子になる。『青い花』の主人公は、夢に見た青い花を求めて旅に出る。その道中で聞く物語のなかに、さらに別の物語が現れる。筋を追う小説ではなく、詩人が詩人になっていく過程そのものを描く構造をとる。
科学と詩を分けない態度も特徴的である。鉱山技師としての知識が作品に入り、鉱物、地層、洞窟が繰り返し現れる。自然科学、宗教、哲学、詩をすべて一つのものとして扱おうとした。
作品
『花粉』(1798年)
最初の断章集で、『アテネーウム』誌に発表された。
『夜の讃歌』(1800年)
六篇からなる散文詩である。ノヴァーリスが生前に完成させた数少ない作品にあたる。
『青い花』(原題『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』、1802年刊行)
未完の長篇である。中世の詩人ハインリヒが、夢に見た青い花を求めて旅をする。青い花は、その後ドイツ・ロマン主義そのものを象徴する形象になった。
『ザイスの弟子たち』も未完の散文作品で、自然の秘密を探る若者たちを描く。
『キリスト教あるいはヨーロッパ』(1799年執筆)
論考である。中世のヨーロッパをキリスト教によって統一された時代として理想化し、宗教改革以後の分裂を批判した。同時代の仲間からも危険視され、生前は刊行されていない。
日本語では『青い花』と『夜の讃歌』が訳されている。断章は選集で読める。
文学史における立ち位置と影響
ノヴァーリスは、ドイツ初期ロマン主義の中心にいた。シュレーゲル、ティークらとともにイェーナに集まった一群のなかで、その理論を最も詩の形で示した人物である。
「青い花」は、到達できない憧れの対象を指す言葉として定着した。ロマン主義という運動を一語で象徴する形象になっている。
断章という形式の影響も大きい。完結した体系ではなく、断片を並べて思考するという方法は、19世紀のニーチェを経て、20世紀のベンヤミンやアドルノへ受け継がれた。
同時代のドイツ古典主義とは対立する位置にある。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を、ノヴァーリスは詩に敵対する散文的な作品として批判した。『青い花』はその対案として書かれたという理解が一般的である。
20世紀に入ってからの再評価も進んだ。断片であること、意味を確定させないこと、夢を認識の手段として扱うこと。これらの点で、シュルレアリスムや現代詩の側から読み直されている。
日本では大正期から紹介され、堀辰雄をはじめとする詩人と作家に読まれた。