グリム童話

原題
Kinder- und Hausmarchen
作者
ヤーコプ・グリム
成立
1812-1857
ドイツ
時代
古典主義・ロマン主義

概要

ヤーコプヴィルヘルムのグリム兄弟が編集した童話集である。1812年に初版が出て、以後、兄弟の生前に第七版まで改訂された。最終版には二百編余りが収められている。

原題は「子どもと家庭のメルヒェン」。メルヒェンは、口承で伝わる空想的な物語を指すドイツ語である。「赤ずきん」「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」「シンデレラ」「いばら姫」「ブレーメンの音楽隊」など、世界的に知られた話の多くがここに収められている。

グリム兄弟は、物語を自ら創作したのではない。各地に伝わる話を採集し、記録し、編集した。 この点で、創作童話であるアンデルセンの作品とは性格が異なる。ただし、単なる記録ではなく、版を重ねるごとに手を加えており、そこに編者の意図が働いている。

グリム兄弟は、19世紀初頭のドイツの言語学者・文献学者である。兄ヤーコプは、後にドイツ語の歴史的な文法を確立し、音韻変化の法則(グリムの法則)に名を残した。二人は生涯を通じて協力し、大部の『ドイツ語辞典』の編纂にも取り組んだ。

童話の採集は、ロマン主義とナショナリズムの機運の中で行われた。当時のドイツは、ナポレオンの支配下にあり、統一国家ではなかった。民衆の口承の中に、ドイツ民族の精神の源を見出そうとする関心が、この事業の背景にある。同時代に民謡集の編纂なども行われていた。

採集の方法については、後世、実像が明らかになってきた。兄弟は、農民から直接聞き取ったというよりも、知り合いの教養ある女性たちから多くの話を得ていた。 その一人には、フランス系の家系の語り手もおり、フランスのペローの童話集と共通する話も含まれる。「純粋なドイツの民衆の声」という当初のイメージは、実際にはもっと混成的だった。

初版は学術的な体裁で、注も付されていたが、あまり売れなかった。売れ行きが伸びたのは、挿絵を付し、内容を子ども向けに整えた普及版が出てからである。

文学史における評価と影響

世界で最も広く読まれた童話集の一つである。各国語に訳され、収録された話は、絵本、アニメーション、映画を通じて、原典を離れて世界中に流布している。

民俗学と説話研究における意義も大きい。グリム兄弟の採集は、口承文芸を学問の対象として記録する先駆的な試みだった。各地の類話を比較する研究の基礎資料となり、後の説話分類の出発点になった。世界各地に似た話が分布すること——たとえばシンデレラ型の話が広く見られること——が、この記録を通じて認識された。

同時に、この童話集は、編集された記録であることが重要である。「民衆の声をそのまま伝えた」という素朴な理解は、研究によって修正されてきた。採集の過程での取捨選択、版を重ねるごとの書き換え、道徳的な配慮による改変。何が残され、何が変えられたかを見ることで、19世紀ドイツの家庭の価値観が浮かび上がる。

残酷さの扱いは、現在も議論の対象である。子ども向けの読み物として、暴力的な描写をどう扱うかは、時代ごとに判断が変わってきた。多くの普及版は、残酷な場面を和らげている。だが、その残酷さこそが民間伝承の本来の姿だとして、原型に近い版を評価する立場もある。

日本でも、明治以降くり返し訳され、翻案されてきた。子ども向けの絵本から、初版の残酷さを含む完訳まで、さまざまな形で読める。原型と、整えられた普及版のどちらを読むかで、印象が大きく変わる。

内容

収められた話は多様である。魔法と変身、動物が口をきく話、賢い者が愚か者を出し抜く話、末子や孤児が幸運をつかむ話、残酷な罰の話。明るく楽しい話ばかりではなく、暴力や残酷を含む話も多い。

初版と後の版を比べると、編集の方針が見える。版を重ねるにつれて、性的な暗示は削られ、暴力はしばしば強められた。 たとえば、継母による迫害の話では、初版で「実の母」だったものが、後の版で「継母」に書き換えられている。母親が子を害するという設定が、家庭の道徳にそぐわないと判断されたためとみられる。

一方で、悪人への残酷な罰は、しばしばそのまま、あるいは強調して残された。白雪姫の継母は、灼熱の鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされる。いばら姫の原型に近い話では、より生々しい要素があった。

文体も、版を重ねるごとに整えられた。とくに弟ヴィルヘルムが、素朴な口承の語りを、読み物として整った文章に磨き上げた。「昔々あるところに」で始まり、決まった型で語るメルヒェンの文体は、この整形を通じて確立された面がある。

作者

登場する文学史