ハインリヒ・ハイネ

腕を組んで椅子にもたれる、若いハインリヒ・ハイネの油彩肖像画。
オッペンハイム筆
原綴
Heinrich Heine
生没
1797–1856
出身
デュッセルドルフ
ドイツ
時代
19世紀

生涯

1797年、デュッセルドルフのユダヤ人商家に生まれた。当時この地はフランス革命軍の占領下にあり、ユダヤ人の法的な平等が実現していた。ナポレオンの失脚後にプロイセン領となると、その平等は取り消される。

商人になるための修業に失敗し、富裕な伯父の援助で大学へ進んだ。ボン、ゲッティンゲン、ベルリンで法律を学ぶ。ベルリンではヘーゲルの講義を聴いた。

1825年、学位取得の直前にプロテスタントへ改宗する。ユダヤ人には官職も弁護士資格も閉ざされていたためで、本人はこれをヨーロッパ文化への入場券と呼んだ。だが結局、職は得られなかった。

1826年から翌年にかけて『ハルツ紀行』と『歌の本』を発表し、詩人として名を確立する。

1831年、パリへ移った。前年のフランス七月革命に触発されたことと、ドイツでの言論の制約が理由である。以後、死ぬまでパリに住んだ。ドイツの新聞にフランスの政治と文化を伝え、フランス語でドイツの思想を紹介するという、両方向の仲介者として働いている。マルクスとも交友があった。

1835年、ドイツ連邦議会はハイネを含む「青年ドイツ派」の著作を全面的に禁止した。

1848年頃から脊髄の病で歩行が不可能になり、以後八年を寝たきりで過ごす。この期間を自ら「マットレスの墓場」と呼んだ。その状態で口述によって詩を書き続けており、後期の詩は評価が高い。1856年、パリで58歳で死去した。

作風

ハイネの詩は、ロマン派の抒情詩に皮肉を接ぎ木したものである。

形式は民謡風で、短く、平明で、歌いやすい。月、薔薇、菩提樹、失われた恋。ロマン派の道具立てをそのまま使う。ところが最後の一行で調子が裏返る。感傷を積み上げておいて、自分でそれを笑う。この落とし方が特徴で、ロマン派的アイロニーと呼ばれる。

同時にハイネは、自分を最後のロマン派だと述べた。ロマン主義を内側から終わらせた、という自己認識である。

散文では文体が変わる。『ハルツ紀行』のような紀行文では、風景の描写と社会批評と冗談が同じ段落に混在する。話題が跳び、脱線し、権威をからかう。ジャーナリズムの文章として、当時としては新しい速度を持っていた。

政治的な立場は明確だが、党派には属さない。封建的な体制と検閲を攻撃し、共和主義に共感しながら、革命が文化を破壊することも警戒した。マルクスと親しく交わりながら、その運動には距離を置いている。

ユダヤ人であることの扱いは一貫しない。改宗して距離を置こうとした時期があり、晩年には再び自分の出自の主題へ戻った。この揺れ自体が作品に書かれている。

作品

『歌の本』(1827年)

初期の詩集で、最も広く読まれた。「ローレライ」を含み、収められた詩の多くがシューベルト、シューマン、メンデルスゾーンらによって作曲されている。

『ハルツ紀行』(1826年)

紀行文の形式をとる社会批評である。

『ドイツ・冬物語』(1844年)

十三年ぶりにドイツを訪れた旅を素材にした長篇詩である。分裂した領邦国家と検閲の現状を、諷刺と諧謔で書いた。

『ロマン派』(1836年)

ドイツ・ロマン主義を批判的に総括した評論である。フランスの読者に向けて書かれた。

『ロマンツェーロ』(1851年)

病床で書かれた後期の詩集で、初期の軽さが消え、死と歴史が主題になる。

日本語では『歌の本』からの抄訳が読みやすい。詩が短く、訳でもリズムが残る。

文学史における立ち位置と影響

ハイネはドイツ語圏で、ゲーテに次いで多く翻訳された詩人とされる。詩の平明さが翻訳を通しやすくしている。

歌曲を通じた広まりが大きい。シューマンの『詩人の恋』は全曲がハイネの詩による。詩が音楽と一体になって流通した例として突出している。

ドイツにおける受容は長く屈折していた。ユダヤ系であり、亡命者であり、体制を攻撃したという三点が、国民詩人として祀り上げることを妨げた。19世紀末には、故郷デュッセルドルフでの記念碑の建立が反対運動によって阻まれている。

ナチス期には著作が焚書の対象になった。ただし「ローレライ」はあまりに広く知られていたため、作者不詳として歌い継がれたと伝えられる。ハイネ自身が1821年の戯曲に書いた、本を焼く者はいずれ人間も焼くようになる、という趣旨の一行は、後にこの経緯とともに繰り返し引用されるようになった。

亡命地から母国を論じ、二つの言語圏を仲介するという活動の形は、20世紀の亡命作家たちに先例を与えた。

日本では明治期に紹介され、森鷗外や上田敏の訳を通じて広まった。短く感傷的な恋愛詩として受け取られた面が強く、諷刺家としての側面の紹介は遅れている。

登場する文学史