ツァラトゥストラはこう言った
- 原題
- Also sprach Zarathustra
- 作者
- フリードリヒ・ニーチェ
- 成立
- 1883-1885
- 国
- ドイツ
- 時代
- 19世紀
概要
1883年から1885年にかけて、四部に分けて書かれた著作である。ニーチェの主著の一つで、哲学書でありながら、物語と詩の形式をとる。
主人公ツァラトゥストラは、古代ペルシアの宗教の開祖ゾロアスターのドイツ語名を借りた、架空の予言者である。山にこもって思索した後、人々に自らの教えを説くために里へ下りる。その遍歴と説教、比喩に満ちた語りを通じて、ニーチェの思想が展開される。
論文の形式ではなく、聖書に似た荘重な文体で書かれる。「ツァラトゥストラはこう言った」という句が、各説教の区切りに繰り返される。多くの箇所が、意味を一義的に定めない比喩と寓話でできており、哲学の議論としても、文学作品としても読まれる。
中心となる思想は、いくつかある。神は死んだという宣告、人間が乗り越えられるべき存在であるという超人の思想、そして同じ人生が永遠に繰り返されるという永劫回帰の思想である。
ニーチェは1844年の生まれ。若くしてバーゼル大学の古典文献学の教授になったが、健康を害して退職し、以後は各地を転々としながら著述した。
この作品の着想は、1881年、スイスの湖畔を歩いていたときに永劫回帰の思想が閃いた体験にさかのぼると、ニーチェ自身が後に記している。執筆は、失恋の痛手の中で始まった。若い女性ルー・ザロメに求婚して拒まれており、その孤独と絶望が、この作品の背景にある。
第一部から第三部は、それぞれ短期間で一気に書かれた。第四部は私家版としてわずかな部数しか印刷されず、公刊されなかった。生前、この作品はほとんど読まれなかった。 ニーチェ自身は、これを自分の最も重要な著作と考えていた。
1889年、ニーチェは精神の崩壊をきたし、以後、正気を失ったまま1900年に死去した。名声が高まったのは、この発病以後のことである。
この作品の受容には、深刻な歪曲がつきまとった。ニーチェの妹エリーザベトは、遺稿を管理し、反ユダヤ主義とナショナリズムの立場から、兄の思想を都合よく編集・宣伝した。「超人」の思想は、後にナチスによって、優越人種の思想として利用された。これはニーチェ自身の意図とは異なるとするのが、現在の研究の共通理解である。ニーチェは、妹の反ユダヤ主義を生前に厳しく非難していた。
文学史における評価と影響
哲学と文学の境界に立つ作品として、独特の位置を占める。体系的な論証を避け、比喩と物語と詩によって思想を提示する。この形式そのものが、既成の哲学のあり方への挑戦だった。真理を論理で証明するのではなく、読者に生き方の転換を迫る。
思想史における影響は、はかりしれない。「神の死」という認識は、宗教が価値の根拠でなくなった近代の状況を、鋭く言い当てた。その後の実存主義、ニヒリズムをめぐる思想は、この認識を出発点の一つにしている。既成の道徳を疑い、価値を創造する主体としての人間という主題は、20世紀の思想に広く浸透した。
文学への影響も大きい。荘重で詩的な文体、予言者の語りという形式は、多くの作家を触発した。トーマス・マン、ヘッセ、リルケをはじめ、ドイツの近代文学は、ニーチェの思想と文体に深く関わっている。音楽では、リヒャルト・シュトラウスが同名の交響詩を作曲した。
同時に、この作品は誤読と利用の歴史を負っている。難解で多義的な比喩は、さまざまに解釈され、政治的にも利用された。とりわけ「超人」の思想がナチスに簒奪されたことは、20世紀の思想史における大きな問題として残る。作品そのものと、その政治的な利用を区別することが、この作品を読むうえで不可欠になっている。
日本でも早くから読まれ、複数の訳がある。多義的で難解だが、断章形式でどこからでも読める。
内容
序説で、ツァラトゥストラは十年の隠遁の後、山を下りる。町の広場で、群衆に向かって超人を説く。「人間とは、克服されるべき何ものかである」。 人間は、動物と超人のあいだに渡された一本の綱であり、目的ではなく過程だと語る。だが群衆は理解せず、綱渡りの見世物を待つだけである。ツァラトゥストラは、群衆に説くことを諦め、自分を理解する少数の弟子を求めることにする。
以後、さまざまな主題についての説教が連なる。旧来の道徳、国家、学者、詩人、隣人愛。ツァラトゥストラは、既存の価値を次々に問い直す。キリスト教的な道徳、同情、彼岸への信仰を、生を否定するものとして批判する。
「神は死んだ」という宣告は、この作品の核心をなす。神という、これまで価値の根拠だったものが失われた後、人間は自ら価値を創造しなければならない。超人とは、既成の価値に頼らず、自らの意志で新しい価値を生み出す存在である。
最も難解なのが、永劫回帰の思想である。この宇宙のすべては、まったく同じ形で、無限に繰り返される。今この瞬間も、過去も、未来も、永遠に反復される。ツァラトゥストラは、この思想を前にして戦慄する。同じ人生を、無限に繰り返してもよいと言えるほど、この生を肯定できるか——これが、永劫回帰が突きつける問いである。この思想を受け入れ、生を全面的に肯定することが、超人への道とされる。
第四部では、ツァラトゥストラの洞窟に、時代の「より高い人間たち」が集まってくる。だが、その者たちもまた、真の超人ではない。ツァラトゥストラは、一同を見送り、なお自らの道を行く。「わが子らは近い」と告げ、朝日の中を出発するところで作品は終わる。