シュテファン・ツヴァイク
- 原綴
- Stefan Zweig
- 生没
- 1881–1942
- 出身
- ウィーン
- 国
- ドイツ
- 時代
- 20世紀前半
生涯
1881年、ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。父は繊維工場の経営者である。
ウィーン大学で哲学の学位を取得した。若くから詩と翻訳で世に出て、ヨーロッパ各地を旅行している。フランス、ベルギー、インド、アメリカを訪れ、ヴェルハーレン、ロマン・ロラン、リルケ、フロイトら多くの作家・知識人と親交を結んだ。
第一次大戦中は軍の文書課に勤めながら、ロマン・ロランとともに反戦の立場をとった。大戦は、ヨーロッパが一つの文化圏であるという信念を打ち砕いている。
1919年からザルツブルクに住んだ。1920年代から30年代にかけて、その著作は各国語に訳され、世界で最も読まれるドイツ語作家の一人になる。
1934年、家宅捜索を受けてイギリスへ移った。1938年のオーストリア併合により無国籍となり、1940年にイギリス国籍を取得する。同じ年、アメリカを経てブラジルへ渡った。
1942年2月、リオデジャネイロ近郊のペトロポリスで、二番目の妻とともにバルビツール酸を飲んで自死した。60歳だった。遺書には、自分の精神の故郷であるヨーロッパが自らを滅ぼしたこと、六十歳を過ぎて一から人生をやり直す力がないことが書かれている。前日に『昨日の世界』の原稿を出版社へ送っていた。
作風
ツヴァイクの小説は、ある一人が感情に捕らえられる短い期間を扱う。
長篇はほとんど書かず、中篇と短篇が中心である。設定は明快で、ある人物が普段の生活から外れる出来事に遭い、その内側で起きることが集中的に書かれる。
心理の描写が細かい。人物が自分でも説明できない衝動に動かされる過程が、段階を追って示される。フロイトとの親交があり、無意識への関心が作品に反映されている。
語りの枠がよく使われる。船上や列車で見知らぬ人物に出会い、その人が過去を語り出す、という形式である。聞き手を置くことで、告白としての緊張が生まれる。
文体は平明で速い。修辞に凝らず、状況を積み上げて読者を引き込む。この読みやすさが世界的な普及の理由であり、同時に通俗的だという批判の根拠にもなった。
伝記の書き手としての仕事も大きい。歴史上の人物を扱いながら、資料の羅列ではなく、その人生の決定的な瞬間に焦点を絞る。『人類の星の時間』は、歴史が変わった十数の瞬間を短い物語として書いたものである。
晩年の『昨日の世界』では、失われたヨーロッパが主題になる。国境を越えて人と本が自由に行き来した戦前の世界を、記憶から再構成した。
作品
『アモク』(1922年)
熱帯で医師が一人の女性に取り憑かれる中篇である。
『見知らぬ女の手紙』(1922年)
ある作家のもとに届いた手紙の形をとる。生涯その男を愛し続けた女性が、相手には一度も認識されないまま死ぬ。
『マリー・アントワネット』(1932年)
最も売れた伝記である。平凡な女性が歴史の中心に置かれ、そこで初めて人間になっていく過程として書かれた。
『ジョゼフ・フーシェ』(1929年)
フランス革命から帝政、王政復古までを生き抜いた政治家の伝記である。
『人類の星の時間』(1927年)
歴史上の決定的な瞬間を集めた短篇集である。
『チェスの話』(1942年)
最後の作品である。大西洋を渡る船上で、世界チャンピオンと、ゲシュタポの独房で自分と対局し続けて精神を病んだ男が対戦する。
『昨日の世界』(1942年)
回想録で、死の直前に完成した。
日本語では『チェスの話』と『見知らぬ女の手紙』が読みやすい。いずれも短い。
文学史における立ち位置と影響
ツヴァイクは、1920〜30年代に世界で最も翻訳された作家の一人だった。その普及の規模は当時のドイツ語圏で突出している。
批評的な評価は割れてきた。心理を巧みに扱うが深さがない、通俗的だという批判が、同時代のムージルをはじめとする作家から出されている。一方で、平明な文章で広い読者に届いたこと自体を評価する立場もある。ドイツ語圏では長く低く見られ、フランスと英語圏での評価のほうが高いという非対称も指摘される。
『昨日の世界』は、大戦前のヨーロッパを知る資料として繰り返し参照される。ただし理想化を含むことも指摘されており、記録としてそのまま読むことはできない。
ナチス期の亡命作家の代表的な例でもある。著作は1933年の焚書の対象となり、無国籍者としての体験が晩年の作品に色濃く出ている。
近年、映画を通じて再び読者を得た。ウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)は、ツヴァイクの作品と人物像に着想を得たと明示されている。
日本では戦前から翻訳があり、とくに伝記が広く読まれた。近年は新訳も出ている。