インゲボルク・バッハマン
- 原綴
- Ingeborg Bachmann
- 生没
- 1926–1973
- 出身
- クラーゲンフルト(オーストリア)
- 国
- ドイツ
- 時代
- 戦後
生涯
1926年、オーストリア南部のクラーゲンフルトに生まれた。父は教師で、ナチ党に早くから加入していた。1938年、十二歳のときにドイツ軍が進駐する光景を目撃したことを、生涯の断層として繰り返し語っている。
ウィーン大学で哲学を学び、1950年に哲学者ハイデガーの受容史についての論文で学位を取得した。当人には批判的な立場をとっている。
放送局で働きながら詩を書き、1952年、四七年グループの集まりで自作を朗読して注目された。戦後ドイツで作家たちが年に一度集まり、新作を朗読して互いに批評し合った集まりで、当時のドイツ語圏で最も影響力のある場だった。1953年の詩集『猶予された時』でこのグループの賞を受け、一躍知られる。1954年には『シュピーゲル』誌の表紙になった。若く美しい女性詩人という像が作られ、それが本人を苦しめることになる。
1948年にパウル・ツェランと出会い、短い恋愛関係を持った。以後も断続的に交流が続き、往復書簡が2008年に刊行されている。ツェランは加害者の言語で書くユダヤ人であり、バッハマンはナチ党員の娘だった。この関係は双方の作品に深く入り込んでいる。
1958年から数年、マックス・フリッシュと関係を持った。1962年の破局は、バッハマンにとって決定的な打撃になる。以後、精神科への入院と薬物依存が続いた。
1953年以降はイタリアに住むことが多く、ローマに定住した。1973年、ローマの自室で火災に遭い、三週間後に死去した。46歳だった。就寝中の煙草が原因とされるが、薬物の離脱症状が回復を妨げたという指摘もある。
作風
バッハマンの詩は、戦後の言語で何が言えるかを問う。
初期の詩には、切迫した調子がある。「猶予された時が来る」という一行で始まる詩は、猶予はいずれ切れると告げ、なすべきことを命じる。戦後の一時的な平穏を、期限つきのものとして書いた。
ドイツ語そのものへの疑いが根底にある。ナチス期に使われ尽くした語をどう扱うか。ツェランと共有する問題であり、二人はそれぞれ別の解を出した。バッハマンは、言葉の限界を主題として正面から論じる方向をとる。言葉で言えることの境界を論じた哲学者ヴィトゲンシュタインへの関心も、ここに関わる。
1960年代半ば以降、詩をほとんど書かなくなり、散文へ移った。ここで主題が変わる。
散文が扱うのは、女性が破壊されていく過程である。『マリーナ』の語り手である「私」は、二人の男との関係のなかで次第に消えていき、最後に壁の裂け目のなかへ消える。事件は起きない。日常の会話と、その積み重ねだけがある。
バッハマンはこれを「殺人の様式」と呼んだ。戦争が終わっても殺人は続いており、それは社会のなかで、家庭のなかで、法に触れない形で行われている、という主張である。未完に終わった連作『死に方』は、この構想のもとに書かれた。
文体は詩の側から来ている。散文でありながら、語のリズムと反復が効いている。時制と人称が途中で変わり、夢の記述が地の文に割り込む。
作品
『猶予された時』(1953年)
最初の詩集である。
『大熊座への呼びかけ』(1956年)
二冊目の詩集で、詩人としての代表作にあたる。
『三十歳』(1961年)
短篇集である。
『マリーナ』(1971年)
散文の代表作である。連作『死に方』の第一部として構想され、完成した唯一の長篇になった。
『ジムルターン』(1972年)
最後に刊行された短篇集である。
『フランツァの場合』と『ファニー・ゴルトマンへの追想』は、連作の一部として遺された未完の草稿である。前者は、医師である夫によって精神的に破壊されていく女性を扱う。
放送劇も書いており、『マンハッタンの善き神』が知られる。
日本語では詩集の抄訳と『マリーナ』の訳がある。
文学史における立ち位置と影響
バッハマンは、戦後ドイツ語詩を代表する詩人の一人である。ツェランと並べて論じられることが多く、二人の往復書簡の刊行以降、その関係を含めた研究が進んだ。
散文への転換は、当時は理解されなかった。詩人としての評価が確立していたため、『マリーナ』は失敗作と見なされ、批評家から酷評されている。再評価は1980年代以降、フェミニズム批評の側から始まった。
その読み直しによって、位置づけが大きく変わった。私的な領域における暴力を主題化した作家として、20世紀後半のドイツ語文学の中心に置かれるようになっている。イェリネクをはじめとする後続の女性作家が、この作家を出発点に挙げた。
オーストリアの作家としての位置も論じられる。ナチズムへの加担を長く直視しなかった戦後オーストリアの状況に対し、その父の世代からの連続性を書いた点で、ベルンハルトらと同じ系列に置かれる。
オーストリアで最も権威ある文学賞の一つ、インゲボルク・バッハマン賞は、この作家の名を冠している。
日本での紹介は限られていたが、近年、詩と散文の両方で新訳が出ている。