トーマス・マン

原綴
Thomas Mann
生没
1875–1955
出身
リューベック
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1875年、北ドイツの港町リューベックに生まれた。父は穀物商で市参事会員、母はブラジル生まれで音楽に親しむ人だった。実務の家系と南方的な芸術性の血が混じっているという自己認識を、マンは繰り返し書いている。

父の死により商会は解散し、一家はミュンヘンへ移った。マンは保険会社に勤めながら書き始め、1901年、26歳でブッデンブローク家の人々を発表する。これが評価され、以後は作家として立った。1905年に裕福な家の娘カーチャと結婚し、六人の子をもうけている。

第一次大戦では、ドイツの戦争を擁護する立場をとった。『非政治的人間の考察』(1918年)で、西欧的な民主主義に対するドイツ的な文化の優位を論じている。このとき、西欧側に立った兄ハインリヒと対立し、兄弟は数年間絶交した。

1920年代に立場が変わる。ワイマール共和国を擁護し、ナチスの台頭を公然と批判するようになった。1933年、講演旅行中に政権が交代し、そのまま帰国しない。スイスを経てアメリカへ亡命した。戦時中はBBCのラジオでドイツ国民に語りかけている。

戦後も帰国しなかった。国内に留まった作家たちとの間で論争があり、亡命者が何を言うのかという反発を受けている。1955年、スイスで80歳で死去した。

作風

マンの生涯の主題は、「市民(ビュルガー)と芸術家」の対立である。市民とは、実務ができ、家庭を営み、社会のなかで役割を果たす者を指す。健康で、普通である。芸術家は、感受性が強く、実務ができず、社会からずれている。しばしば病と結びつく。マンの人物たちはこの二つのあいだで引き裂かれ、どちらか一方を選べない。

ブッデンブローク家の人々では、この対立が世代の変化として書かれる。商家の四代を追うと、世代を追うごとに実務能力が落ち、代わりに芸術的な感受性と神経の細さが現れる。最後の世代のハンノは音楽に耽溺し、学校に馴染めず、少年のうちに死ぬ。生の力と美への感受性が反比例するという見方である。

方法として知られるのが「ライトモティーフ」である。ワーグナーの手法を小説に持ち込んだもので、同じ語句や身振りを特定の人物や場面に繰り返し結びつける。読者はその反復によって、明示されない意味を受け取る。

もう一つがアイロニーである。対象への共感と距離を同時に保ち、断定せずに両義的に書く。人物を愛しながら滑稽に描き、思想を語らせながらそれを相対化する。

議論そのものを小説の中身にすることもある。魔の山では、人文主義者セテムブリーニとイエズス会士ナフタが、主人公をめぐって延々と論争する。理性と進歩を説く側と、テロルと神権政治を擁護する側。第一次大戦前のヨーロッパの思想的対立が、人物の口を借りて並べられる。

作品

ブッデンブローク家の人々(1901年)

リューベックの商家四代の衰退を書いた長篇である。26歳の作で、後にノーベル文学賞(1929年)の主要な理由に挙げられた。

ヴェニスに死す(1912年)

中篇である。規律によって作品を作ってきた老作家アッシェンバハが、ヴェニスで美少年タッジオを見て崩れていく。疫病の発生を知りながら街を離れず、感染して死ぬ。ヴィスコンティの映画(1971年)で広く知られた。

魔の山(1924年)

スイスのサナトリウムに見舞いに行った青年が、そのまま七年間そこに留まる長篇である。山の上では時間の感覚が失われ、日々の区別がつかなくなる。時間そのものを書く小説として論じられてきた。最後、大戦の勃発とともに主人公は山を降り、戦場へ向かう。生きたかどうかは書かれない。

『ヨセフとその兄弟』(1933〜43年)

旧約聖書を素材にした四部作である。

ファウストゥス博士(1947年)

亡命先のアメリカで戦争中に書かれた。悪魔と契約して天才的な音楽を得た作曲家の生涯を、その友人が伝記の形で語る。語り手は戦時下のドイツで執筆しており、戦局の悪化が随所に挟まれる。ドイツ的な内面性、非政治性、音楽への傾倒が野蛮に転じる可能性を、一人の芸術家の生涯として書いた。

文学史における立ち位置と影響

マンは20世紀ドイツ文学の代表的な存在とされる。ゲーテヴィルヘルム・マイスターの修業時代に始まる教養小説の伝統を、20世紀の条件で継いだ作家にあたる。主人公が経験を通じて成熟するという枠組みを保ちながら、その成熟が戦争や破局に飲み込まれる形に変えている。

同時代のジョイスカフカが形式を壊す方向へ進んだのに対し、マンは19世紀的な長篇の構えを保った。実験ではなく、伝統的な枠のなかで密度を上げる方向である。

ニーチェ、ショーペンハウアー、ワーグナーの三人を、自らの精神的な源泉として繰り返し挙げている。ヴェニスに死すの秩序と陶酔の対立は、ニーチェのアポロン的/ディオニュソス的という枠組みを下敷きにしている。

政治的な立場が生涯で反転した点も、この作家を論じるときに必ず触れられる。ドイツ的な内面性を擁護した人物が、その内面性が何を招いたかを問う作品を亡命先で書いた。フォースタス博士は、その自己批判として読まれる。

一家全体が文学と関わったことでも知られる。兄ハインリヒ・マン、子のクラウス・マンとエリカ・マンも作家である。日本では大正期から訳され、影響を公言する作家が少なくない。

作品

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