ブリキの太鼓
- 原題
- Die Blechtrommel
- 作者
- ギュンター・グラス
- 成立
- 1959
- 国
- ドイツ
- 時代
- 戦後
概要
1959年に刊行された長篇小説である。グラスの最初の長篇で、戦後ドイツ文学を代表する作品にあたる。
語り手は、オスカル・マツェラートという男である。物語は、精神病院に収容されたオスカルが、自らの半生を回想する形で語られる。オスカルは、三歳の誕生日に、これ以上大人の世界に加わることを拒み、自らの意志で成長を止めた。 以後、身長は三歳児のまま、しかし知性は大人以上に成熟したまま、時代を生きる。
オスカルは、二つの特異な能力を持つ。一つは、ブリキの太鼓を叩き続けること。この太鼓は、オスカルにとって、自己を表現し、世界に抵抗する手段である。もう一つは、甲高い声で叫んで、ガラスを割る能力である。
成長を拒んだ小人の目を通して、ナチスの台頭と、戦争と、戦後のドイツが語られる。大人になることを拒否した者の歪んだ、しかし鋭い視点から、20世紀ドイツの狂気が描き出される。
グラスは1927年、ダンツィヒの生まれ。オスカルと同郷であり、生年も近い。 グラス自身、少年期をナチス時代に過ごし、少年兵として動員された経験を持つ。
この作品は、グラスの最初の長篇であり、1959年の刊行と同時に、大きな反響と論争を呼んだ。その奔放な想像力、グロテスクな描写、性的な露骨さは、賛否を巻き起こした。だが、この作品は、戦後ドイツが、まだ十分に向き合っていなかった、ナチス時代の過去を、正面から扱った点で、画期的だった。
グラスは、この作品と、続く二作を合わせて、「ダンツィヒ三部作」と呼ぶ。いずれも、故郷ダンツィヒを舞台に、ナチス時代のドイツを描く。
1999年、グラスはノーベル文学賞を受賞する。この作品は、その代表作とされた。
なお、グラスは、晩年の2006年、自らが少年時にナチスの武装親衛隊に所属していたことを告白し、大きな議論を呼んだ。過去を告発してきた作家自身の過去への向き合い方が、問われることになった。
文学史における評価と影響
戦後ドイツ文学の出発点を告げる作品とされる。戦後のドイツは、ナチスの過去という、重い荷を負っていた。その過去に、文学がどう向き合うか。この作品は、その問いに、一つの強烈な答えを示した。
手法の面では、マジックリアリズムの系譜で語られる。成長を止めた小人、ガラスを割る叫び声といった、幻想的な設定を、リアルな歴史的現実の中に置く。この非現実的な視点が、かえって、時代の狂気を、鋭くあぶり出す。正常な大人の目では見えないものが、成長を拒んだ者の歪んだ目には見える。
主題としては、ナチズムと、それを許した市民社会への批判が中心にある。オスカルが成長を拒むのは、大人たちの俗物ぶりと欺瞞への拒絶である。その大人たちが、やがてナチスに従っていく。小市民の日常性の中に、いかにして全体主義が根を張ったかを、この作品は、グロテスクな戯画を通して描く。
「過去の克服」という、戦後ドイツの中心的な課題に、この作品は深く関わっている。過去を、英雄的にでも、被害者としてでもなく、その滑稽さと醜さを含めて描くこと。それが、この作品の姿勢である。
1979年、フォルカー・シュレンドルフ監督が映画化し、カンヌ国際映画祭で最高賞を得た。この映画によって、作品は国際的に広く知られた。
日本でも訳が読める。長大で奔放だが、戦後ドイツ文学の記念碑として読み継がれている。
あらすじ
物語は、語り手オスカルの祖母の代から始まる。舞台は、ドイツとポーランドが交錯する港湾都市ダンツィヒ(現在のグダンスク)である。オスカルの出生の事情は複雑で、母には、夫と、ポーランド人の従兄という二人の男がおり、オスカルの本当の父が誰かは、定かでない。
1927年、三歳の誕生日に、オスカルは、ブリキの太鼓を贈られる。同じ日、大人たちの欺瞞と俗物ぶりを目の当たりにしたオスカルは、この大人の世界には加わるまいと決意する。地下室の階段からわざと落ち、それを口実に、以後、成長を止める。三歳児の姿のまま、生き続けることを選ぶ。
オスカルは、太鼓を手放さない。取り上げようとする者には、ガラスを割る叫び声で抵抗する。太鼓の音は、オスカルの言葉であり、抵抗の手段である。 ナチスの集会の場で、オスカルは、演壇の下に隠れて太鼓を叩き、行進の拍子を狂わせ、集会をワルツの乱舞に変えてしまう。整然とした全体主義の秩序を、太鼓の音が、内側から攪乱する。
時代は、ナチスの支配へと進む。オスカルの周囲でも、さまざまな出来事が起きる。母の死。ユダヤ人の玩具屋が、ナチスの迫害を受けて自殺する。「水晶の夜」——ユダヤ人商店が襲撃された夜。オスカルは、これらの出来事を、小人の目から、冷ややかに、しかし鋭く観察する。
戦争が始まる。オスカルの(父かもしれない)男たちが、次々に死ぬ。オスカルは、前線慰問の一座に加わり、小人の芸人として、各地を巡る。
戦後。父の埋葬の際、オスカルは、太鼓を墓穴に投げ込み、再び成長を始める。だが、その成長は、正常なものではなく、背中に瘤のある、醜い姿になる。オスカルは、戦後の西ドイツで、石工、モデル、ジャズの太鼓奏者として生きる。やがて、ある女性の殺害の疑いをかけられ、精神病院に収容される。この病院で、オスカルは、自らの半生を書き記す。 それが、この物語である。三十歳の誕生日を前に、オスカルは、追われる恐怖の幻に怯えながら、回想を閉じる。