ペーター・ハントケ

原綴
Peter Handke
生没
1942–
出身
グリッフェン(オーストリア)
ドイツ
時代
戦後

生涯

1942年、オーストリア南部ケルンテン州の村に生まれた。母はスロベニア系で、父はドイツ人の兵士だった。母は出産前に別の男と結婚しており、ハントケは実父の存在を後年になって知る。継父はアルコール依存で、家庭は暴力的だった。

戦後の数年をベルリンで過ごし、その後ケルンテンへ戻った。神学校の寄宿舎で学び、グラーツ大学で法律を学ぶ。

1966年、二十三歳のとき、アメリカで開かれた「四七年グループ」の集まりで、居並ぶ作家たちの作品を「記述の無能」と罵倒する発言をして注目された。同じ年、戯曲『観客罵倒』が初演され、話題になる。

1971年、母が自死した。この出来事を素材に、二か月足らずで『幸せではないが、もういい』を書いている。

以後、パリ、ザルツブルクなどに住み、1990年からはパリ郊外のシャヴィルに定住した。徒歩の長い旅を繰り返し、それが作品の素材になっている。

ヴィム・ヴェンダースの映画に脚本を提供した。『ベルリン・天使の詩』(1987年)の詩的な語りは、ハントケによる。

1990年代、旧ユーゴスラビア内戦をめぐる発言が激しい論争を呼んだ。西側メディアのセルビア報道を一方的だと批判し、現地を旅した紀行を発表した。2006年にはミロシェヴィッチの葬儀で弔辞を述べている。

2019年、ノーベル文学賞を受賞した。この受賞は大きな抗議を招き、複数の国が授賞式をボイコットし、選考委員から辞任者が出た。

作風

ハントケが扱うのは、言語と知覚のずれである。

出発点は言語への不信だった。初期の戯曲『観客罵倒』には、筋も人物も舞台装置もない。四人の話者が客席に向かって話し続け、ここでは何も起きない、あなたたちは芝居を見に来たが芝居はない、と告げ、最後に観客を罵倒して終わる。演劇の約束事を成立させないことで、その約束事を意識させる方法である。

『カスパー』は、実在した野生児カスパー・ハウザーを素材にする。言葉を持たない少年が、文を与えられ、正しい話し方を教え込まれる。その過程で世界を認識できるようになり、同時に別の何かを失っていく。言語が人を作り、同時に閉じ込めるという構図が示される。

散文では方向が変わる。細部を執拗に記述する書き方をとる。歩くこと、光、木の枝、道の勾配、店の看板。物語らしい物語を作らず、知覚をそのまま言葉にしようとする。この記述の長さと遅さが、後期の作品の特徴になっている。

『幸せではないが、もういい』では、その方法が別の形で使われた。母の生涯を書こうとして、書けば書くほど、母が「一人の女性の典型」になってしまう。個人が言葉によって類型に還元されていく。ハントケはその困難を隠さず、記述の途中に自分の逡巡を書き込んだ。

『反復』以降は、故郷ケルンテンとスロベニアが繰り返し主題になる。母方の言語と土地への関心が、後の政治的な立場とも関わっている。

作品

『観客罵倒』(1966年)

最初期の戯曲である。

『カスパー』(1968年)

言語による人間の形成を扱う。

『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)

元ゴールキーパーの男が女性を殺し、逃亡する話である。行為の理由は書かれず、事物と言葉の結びつきが壊れていく感覚だけが記述される。ヴェンダースが映画化した。

『幸せではないが、もういい』(1972年)

母の自死を受けて書かれた。ハントケの作品のなかで最も広く読まれている。

『左利きの女』(1976年)

夫に別れを告げた女性の日々を、外側からの描写だけで書く。

『反復』(1986年)

スロベニアへ兄を探しに行く青年の物語である。

『冬の旅』(1996年)

セルビアへの旅の紀行文で、論争の発端になった。

『ベルリン・天使の詩』(1987年)

ヴェンダースとの共作による映画である。

日本語では『幸せではないが、もういい』と『左利きの女』が読める。

文学史における立ち位置と影響

ハントケは、戦後ドイツ語文学において言語への懐疑を最も徹底した作家の一人とされる。

初期の戯曲は、演劇の形式そのものを問い直す試みとして、20世紀後半の演劇史に位置づけられる。舞台に何も起こさないことで演劇を成立させる方法は、ベケット以後の展開として論じられてきた。

散文における知覚の記述は、シュティフターの系譜に接続される。事物を丹念に書き続けることで小説を成立させるという方向で、ハントケ自身がシュティフターへの傾倒を語っている。

映画への関与も特筆される。ヴェンダースとの協働は、文学と映画が相互に影響した例として扱われる。

一方、旧ユーゴ内戦をめぐる立場は、その評価を根本的に分断した。作品の質と、作家の政治的発言をどう扱うかという問題が、ノーベル賞受賞によって公の議論になっている。セリーヌやハムスンをめぐる論争と同じ構造を持つが、存命の作家に対する現在進行の問題であるため、扱いはさらに難しい。この件は決着していない。

日本では1970年代から翻訳があり、初期作品を中心に紹介されている。

登場する文学史