ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ

原綴
Wolfram von Eschenbach
生没
1170頃–1220頃
出身
不明(バイエルン、現・ヴォルフラムス=エッシェンバハ説が有力)
ドイツ
時代
中世

生涯

生没年は確定していない。作品中の記述から、1170年頃から1220年頃に活動したと推定される。

出身はバイエルン地方とされ、現在のヴォルフラムス=エッシェンバハが有力な候補地である。下級騎士の身分だったと考えられているが、確証はない。

作品のなかで、自分は文字が読めないと述べている。この言葉をどう解釈するかで長く議論が続いてきた。ラテン語の学識を持たないという意味だとする説、詩人としての立場を演出する修辞だとする説、文字どおりに受け取る説がある。実際にはフランス語の原典を扱っており、まったく無学とは考えにくい。

テューリンゲン方伯ヘルマン一世の宮廷に出入りしていたことは、作品への言及から確認できる。この宮廷は当時のドイツ語文学の中心の一つで、ヴァルターもここにいた。

1220年頃に死去したとされる。

作風

ヴォルフラムの語り口は、当時の宮廷のなかで異質である。

物語の途中で語り手が顔を出し、読者に話しかけ、冗談を言い、自分の貧しさを嘆く。比喩は突飛で、鉤爪や兎の耳といった卑近なものが出てくる。文の構造も入り組んでおり、同時代のゴットフリートの明晰さと対照的である。ゴットフリートは自作のなかで、名を挙げずにヴォルフラムの難解さを批判した。

主題としては、無知から出発する成長を扱う。パルチヴァールの主人公は、母によって騎士の世界から遠ざけられ、森で無知なまま育つ。その愚かさゆえに、聖杯の城で決定的な失敗をする。傷ついた王を見ながら、何も問わないのである。宮廷の作法として、余計なことを尋ねてはならないと教えられていたためだった。

この失敗が物語の中心にある。作法を守ることが、憐れみを示さないことになる。パルツィヴァルは長い遍歴を経て、再び城へ導かれ、今度は「叔父よ、何があなたを悩ませるのか」と問う。それによって王は癒やされ、パルツィヴァル自身が聖杯王になる。

宗教の扱いも独自である。パルツィヴァルは一時期、神を憎み、神への奉仕を拒む。それでも最後には受け入れられる。信仰を疑うことが罪として断罪されない点が、同時代の作品と異なる。

異教徒の扱いにも特徴がある。パルツィヴァルの異母兄フェイレフィースは、異教徒の女王とキリスト教徒の父の子で、肌が白と黒のまだらとして描かれる。フェイレフィースは敵ではなく、対等な騎士として、そして兄弟として遇される。

作品

パルチヴァール(1200〜10年頃)

主著である。約二万五千行の韻文叙事詩で、フランスのクレチアン・ド・トロワの未完の作品を素材にしながら、大幅に拡張し、独自の結末を与えた。

『ヴィレハルム』

フランスの武勲詩を素材にした叙事詩である。異教徒との戦いを扱いながら、異教徒も神の被造物だと述べる場面が知られる。未完に終わった。

『ティトゥレル』

パルチヴァールの登場人物を扱った断片である。

恋愛歌も数篇残っている。とくに「夜明けの歌」が知られ、恋人たちが夜明けに別れる場面を、見張りの視点から歌う。

日本語ではパルチヴァールの全訳がある。

文学史における立ち位置と影響

ヴォルフラムは、ゴットフリート、ハルトマン・フォン・アウエとともに、中高ドイツ語の宮廷叙事詩を代表する三人に数えられる。

パルチヴァールは、聖杯伝説の主要な典拠の一つになった。フランスのクレチアンの作品が未完で終わったのに対し、ヴォルフラムは完結した物語を与えている。この完結が、以後の受容を決めた。

問いを発することが救済になるという構図は、繰り返し論じられてきた。知識でも武勇でもなく、他人の苦しみに気づいて言葉にすることが決定的だという設定は、中世の物語のなかでも独自である。

19世紀に再発見され、ワーグナーが楽劇『パルジファル』(1882年)の素材にした。ただしワーグナーは筋も主題も大きく変えており、原作とは別の作品として扱う必要がある。ワーグナーの『タンホイザー』にも、歌合戦の参加者としてヴォルフラムが登場する。

20世紀には、その語りの複雑さと自己言及が注目された。語り手が物語に介入し、自分について語るという方法が、近代小説の先例として論じられている。

日本ではパルチヴァールの翻訳を通じて知られ、聖杯伝説の系譜を辿る際に必ず参照される。

作品

登場する文学史