テオドール・シュトルム

原綴
Theodor Storm
生没
1817–1888
出身
フーズム(シュレースヴィヒ公国)
ドイツ
時代
19世紀

生涯

1817年、北ドイツのフーズムに生まれた。当時この地はデンマーク王の統治下にあるシュレースヴィヒ公国に属し、住民の多くはドイツ語を話していた。父は弁護士である。

キールとベルリンで法律を学び、故郷で弁護士を開業した。同時に詩を書き、民謡の収集も行っている。

1848年以降、シュレースヴィヒの帰属をめぐってデンマークとドイツが争った。シュトルムはドイツ側の立場をとる。1852年、デンマーク当局によって弁護士資格を剥奪された。翌年、家族を連れてプロイセンへ移り、ポツダムとハイリゲンシュタットで判事として働く。

1864年、プロイセンとオーストリアがデンマークに勝利し、シュトルムは故郷へ戻って行政長官の職に就いた。だが1865年、妻コンスタンツェが出産後に死去する。この喪失は、以後の作品に長く影を落とした。

1880年に退官し、以後の八年で後期の主要な作品を書いた。1888年、胃癌により70歳で死去した。

作風

シュトルムの作品は、回想の形式をとる。

老人が過去を思い出す。あるいは古い手記が発見される。物語は現在から始まり、そこから過去へ入っていく。読者はその出来事がすでに終わったこと、取り返しがつかないことを、最初から知って読むことになる。

主題は喪失である。実らなかった恋、死んだ家族、失われた土地。ただしそれを嘆く言葉は書かれない。事実だけが順に記され、感情は場面のなかに置かれる。

舞台は北ドイツの海沿いである。灰色の海、堤防、沼地、霧。この風土が繰り返し描かれ、人物の状況と重なる。

初期の作品は抒情的で、後期になるほど暗く、厳しくなる。『みずうみ』のような静かな回想から、『白馬の騎手』のような、自然と共同体に押し潰される男の話へ移っていく。

詩人としても評価が高い。短く、平明で、音の響きを重んじた詩を書いた。作品のなかにしばしば自作の詩が挿入される。

後期には運命的な要素が強まる。人が努力しても抗えないものへの認識が、迷信や伝承の形をとって現れる。

作品

『みずうみ』(1849年)

初期の代表作である。老人が、幼なじみのエリーザベトを思い出す。二人は互いを想いながら結ばれず、彼女は別の男と結婚した。回想が終わると、老人はまた孤独な部屋にいる。日本で最も読まれたシュトルム作品にあたる。

『三色すみれ』(1874年)

後妻に入った女性と、先妻の娘との関係を書く。

『大学時代』(1863年)と『沈黙』(1875年)は、身分と病を扱った中篇である。

『白馬の騎手』(1888年)

最後の作品であり、代表作とされる。北海に面した村で、堤防監督官になった男ハウケ・ハイエンが、旧来のやり方より優れた堤防を築こうとする。村人は反発し、迷信によって彼を疑う。完成した堤防は持ちこたえるが、古い部分が決壊し、彼は妻子を失って自ら海へ馬を進める。以後、嵐の夜に白馬の騎手が堤防を走るという伝承が残った、という枠で語られる。

日本語では『みずうみ』と『白馬の騎手』が読める。いずれも短い。

文学史における立ち位置と影響

シュトルムは、19世紀ドイツの「詩的リアリズム」を代表する作家の一人である。ケラーフォンターネシュティフターらと同じ時期に置かれる。

中篇小説(ノヴェレ)の形式を洗練させた点で位置づけられる。ドイツ語文学において中篇は独自の伝統を持ち、シュトルムはその技法を回想の枠組みによって発展させた。理論的な文章も残しており、中篇は劇に近い緊密な形式だと述べている。

『白馬の騎手』は、その到達点として扱われる。自然に対する近代的な技術と、共同体の迷信の衝突を扱い、それをどちらの側にも立たずに書いた。ドイツ語の中篇のなかで最も高く評価される作品の一つである。

日本での受容がとくに厚い。『みずうみ』は明治期に紹介され、繰り返し訳された。回想の形式と、報われない恋という主題が、日本の読者に強く受け入れられている。島崎藤村をはじめとする明治の作家がこの作品に触れており、日本の近代文学における感傷の型に影響したと論じられてきた。

一方、ドイツ本国での評価はやや異なる。『みずうみ』は初期の甘い作品とされ、後期の『白馬の騎手』のほうが重く扱われる。この受容の差は、翻訳と紹介の順序によるところが大きい。

登場する文学史