ベルトルト・ブレヒト

原綴
Bertolt Brecht
生没
1898–1956
出身
アウクスブルク
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1898年、南ドイツのアウクスブルクに生まれた。製紙工場の支配人の家である。ミュンヘンで医学を学びかけたが、演劇へ進んだ。

1920年代前半に劇作家として認められる。この時期にマルクス主義を学び、以後その立場から書いた。1928年、クルト・ヴァイルの作曲による『三文オペラ』が大当たりし、名が知られる。

1933年2月、国会議事堂が放火された翌日に国外へ出た。ナチスはこれを共産主義者の犯行として、左翼の一斉検挙に踏み切る。マルクス主義者として知られていたブレヒトは、その翌日に国境を越えた。デンマーク、スウェーデン、フィンランドを経て、1941年にアメリカへ渡る。主要な戯曲の多くはこの亡命期に書かれた。

アメリカでは映画の仕事を試みたが成功せず、1947年に非米活動委員会の聴聞に呼ばれた。共産主義者を摘発するために連邦議会が置いた委員会で、映画界の関係者が次々に召喚されていた。ドイツ語訛りを利用して質問をはぐらかし、証言の翌日に出国している。

戦後は東ドイツへ渡り、東ベルリンでベルリナー・アンサンブルという劇団を率いた。上演と演出に専念し、新作の戯曲はほとんど書いていない。1956年、心筋梗塞により58歳で死去した。

東ドイツを選んだことは、評価をめぐる論点になっている。体制から手厚い待遇を受け、1953年、東ベルリンの労働者が待遇に抗議して蜂起し、ソ連軍の戦車によって鎮圧された。ブレヒトはこの際、政権への支持を表明する文書を出している。同じ時期に「政府が人民を解散して別の人民を選んだらどうか」という趣旨の皮肉な詩を書いており、これは死後に公表された。またオーストリア国籍を取得し、著作権はスイスの出版社に置いていた。体制の内側にいながら逃げ道を確保していた、と指摘される。

作風

ブレヒトは、演劇から感情移入を取り除こうとした。

アリストテレス以来、悲劇は観客に憐れみと恐れを起こし、そうした感情を吐き出させて心を軽くするもの——カタルシス——とされてきた。観客は主人公に自分を重ね、一緒に苦しむ。ブレヒトはこれを否定した。

理由は政治的である。感情移入した観客は、舞台上の運命を「そういうものだ」と受け入れてしまう。泣いて、すっきりして、帰る。それでは何も変わらない。ブレヒトが求めたのは、観客が「なぜこうなっているのか、別のあり方はないのか」と考えることだった。そのために、感情移入を意図的に妨害する。

この方法を「異化効果(Verfremdungseffekt)」という。見慣れたものを、見慣れないものとして提示する技術である。話が盛り上がったところで俳優が客席に向かって歌い出し、筋を中断する。場面の前に、これから何が起きるかを掲示する。結末を先に知らせれば、観客の関心は「どうなるか」ではなく「なぜそうなるか」へ移る。俳優は役から出て、三人称で自分の役について語る。舞台装置も照明器具も隠さず、道具の転換を観客に見せる。

こうした方法をとる演劇を、ブレヒトは「叙事的演劇(episches Theater)」と呼んだ。観客が舞台の出来事に対して、専門家がスポーツを見るような態度をとること——熱中はするが、批判的な距離を保つこと——を求めた。根底にあるのは、世界は変えられるという前提である。

作品

『三文オペラ』(1928年)

最初の大成功である。18世紀イギリスの『乞食オペラ』を翻案し、ロンドンの犯罪者の世界を舞台にする。飢えている人間に道徳を説くな、という趣旨の台詞が主張の核にある。冒頭の「マック・ザ・ナイフ」の歌は、後にジャズのスタンダードになって独り歩きした。

肝っ玉おっ母とその子どもたち(1939年)

代表作とされる。17世紀ドイツを荒廃させた三十年戦争を舞台に、幌馬車で商売しながら軍隊について回る女を主人公にする。この女は戦争で儲け、そして戦争によって三人の子どもを一人ずつ失う。それでも何も学ばない。最後の場面では、また幌馬車を引いて軍隊を追いかけていく。主人公が悟れば観客は満足して帰ってしまうから、悟らせない。結末そのものが方法になっている。

ただし上演史には皮肉がある。観客はしばしばこの主人公に感情移入し、その強さに感動した。ブレヒトは演出を修正して共感を減らそうとしたと伝えられる。

『ガリレイの生涯』(1938〜55年)

宗教裁判で自説を撤回したガリレオを扱い、科学者の社会的責任を問う。原爆投下後に改訂され、主人公への評価が厳しくなった。

『セチュアンの善人』(1943年初演)

善人であろうとすると生きていけない女が、冷酷な従兄を演じ分けて生き延びる話である。善は可能かという問いを、答えを出さずに観客へ投げて終わる。

『コーカサスの白墨の輪』(1948年初演)

子どもの本当の母は誰かをめぐる裁判を扱う。中国の説話が下敷きにある。

詩人としての評価も高い。『家庭用説教集』『スヴェンボルク詩集』などがあり、亡命期の詩には方法を語る硬質な作品と、平明で強い抒情の作品の両方がある。

文学史における立ち位置と影響

ブレヒトは20世紀の演劇に最も大きな影響を与えた一人である。異化効果、叙事的演劇といった用語は、世界の演劇の共通語になった。

戦後ヨーロッパの政治的な演劇は、ほぼ全面的にこの影響下にある。日本でも、1960年代の小劇場運動が強く受容した。

演劇の外にも及ぶ。映画やテレビで、観客に「これは作り物である」と意識させる手法は、しばしばブレヒトの名で語られる。

近年は共作者の扱いが論じられている。エリーザベト・ハウプトマンら女性の協力者の寄与が、長くブレヒト一人の名前に帰されてきたという指摘である。『三文オペラ』の翻案の実務も、その一例として挙げられる。

19世紀に忘れられていたビュヒナーを先駆として発見したのも、ブレヒトを含む20世紀の演劇人である。

作品

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