死のフーガ

原題
Todesfuge
作者
パウル・ツェラン
成立
1948
ドイツ
時代
戦後

概要

1948年に発表された詩である。作者パウル・ツェランは、現在のウクライナにあたる地のドイツ語を話すユダヤ人の家庭に生まれた。両親は、ナチスの強制収容所で殺された。 ツェラン自身も、強制労働の収容所に送られ、生き延びた。

この詩は、ナチスによるユダヤ人虐殺——ホロコースト——を主題にする。だが、その残虐を、直接的に描写するのではない。繰り返される言葉と、音楽的な構成によって、収容所の光景を、間接的に、しかし強烈に喚起する。

題名の「フーガ」は、音楽の形式である。一つの主題(旋律)が、複数の声部で、追いかけるように反復され、絡み合う。この詩は、いくつかの句を、少しずつ変化させながら、執拗に繰り返す。その反復の構造が、フーガと呼ばれる。

この詩は、著作権が生きているため、ここに本文を引用することはしない。詩の内容と構成について、説明するにとどめる。

ツェランは1920年、当時ルーマニア領だったチェルノヴィッツ(現在はウクライナ)のドイツ語を話すユダヤ人の家庭に生まれた。第二次大戦中、この地はナチス・ドイツと、その同盟国に占領された。1942年、ツェランの両親は、収容所に送られ、殺された。 父は病で、母は銃殺されたと伝えられる。ツェラン自身は、強制労働の収容所を生き延びた。

この詩は、戦後まもなく書かれた。当初はルーマニア語訳で発表され、後にドイツ語の原詩が発表された。

作品の受容には、複雑な問題がつきまとった。この詩は、ホロコーストを主題にしながら、音楽的で美しい構成を持つ。そのことが、虐殺を「美化」しているのではないか、という批判を招いた。 哲学者アドルノの「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」という有名な言葉は、この種の問題を、鋭く提起したものだった。惨劇を、芸術の対象にすることは、許されるのか。

ツェラン自身も、この詩が、あまりに広く朗読され、教材として消費されることに、次第に苦しむようになった。後年、この詩を朗読会で読むことを、拒むようになる。 ツェランの詩は、以後、より難解で、寡黙なものへと変化していく。

ツェランは、生涯、母の言語であり、同時に母を殺した者たちの言語でもある、ドイツ語で詩を書き続けた。1970年、パリのセーヌ川に身を投げて、自ら命を絶った。

文学史における評価と影響

戦後ドイツ語詩を代表する一篇であり、ホロコーストを扱った文学の中で、最もよく知られた作品の一つである。

この詩の中心には、言語をめぐる根本的な問題がある。ツェランは、ユダヤ人でありながら、加害者の言語であるドイツ語で、その加害を歌った。 母を殺した者たちの言葉で、母の死を悼む。この引き裂かれた立場が、ツェランの詩の全体を規定している。ドイツ語という言語を、内側から作り変えようとする試みが、その詩作にはある。

「アウシュヴィッツの後で詩を書けるか」という問いをめぐって、この詩は、繰り返し論じられてきた。惨劇を、美しい形式で歌うことの是非。証言と芸術の関係。この詩は、その問いを、身をもって引き受けた作品として読まれる。イタリアのプリーモ・レーヴィこれが人間かが、散文の抑制した証言だとすれば、この詩は、韻文の音楽的な喚起である。両者は、惨劇をどう言葉にするかという問いに、異なる仕方で応えている。

ツェラン自身が、後にこの詩から距離を置いたことも、重要である。あまりに「うまく」書けてしまったことへの作者自身の疑いがそこにある。惨劇の芸術化という問題を、誰よりも深く引き受けたのは、作者本人だった。

「死はドイツから来た名人だ」という句は、戦後ドイツの自らの過去への向き合い方を象徴する言葉として、繰り返し引用されてきた。

日本でも訳が読める。短いが、その一篇の重さは、20世紀の詩の中でも際立っている。

内容

詩は、収容所の囚人たちの集合的な「私たち」の声で語られる。冒頭から、「夜明けの黒いミルク」という、矛盾した、不気味な言葉が、繰り返し現れる。飲むことのできない、黒い乳。それを、囚人たちは、朝も昼も夜も飲む、と歌われる。生命を養うはずのミルクが、黒く、死と結びつく。この撞着した言葉が、収容所の倒錯した世界を象徴する。

詩の中に、一人の男が現れる。収容所を管理するドイツ人である。この男は、家に手紙を書き、金色の髪のドイツ人女性を思う。そして、囚人たちに墓穴を掘らせ、踊れと命じ、蛇と戯れ、犬をけしかける。空に向かって銃を撃つ。この男の残虐と、その一方での家庭的で「文化的」な面——手紙を書き、音楽を愛する——が、並べて描かれる。残虐と教養が、同じ一人の人間の中に同居する。

二人の女性の名が、対比的に現れる。一人は、ドイツ人女性の名。もう一人は、旧約聖書に由来する、ユダヤ人女性の名。加害者の側の女と、犠牲者の側の女が、繰り返し対置される。

詩の全体を通じて、「死はドイツから来た名人だ」という趣旨の句が、反復される。虐殺を、一つの「技芸」になぞらえる、痛烈な皮肉である。句は、少しずつ形を変えながら、フーガのように、執拗に繰り返される。その反復が、逃れようのない、閉ざされた世界を作り出す。

詩は、明確な物語を語らない。断片的なイメージの音楽的な反復によって、収容所という、言葉では捉えきれない現実を、喚起する。

作者

登場する文学史