ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー

原綴
Johann Gottfried Herder
生没
1744–1803
出身
モールンゲン(東プロイセン、現・ポーランド)
ドイツ
時代
古典主義・ロマン主義

生涯

1744年、東プロイセンのモールンゲンに、教会の下働きと織物職人を兼ねる家に生まれた。貧しく、独学に近い形で学んでいる。

ケーニヒスベルク大学で神学を学び、カントの講義を聴いた。同時に、当時この地にいたハーマンから、言語と信仰についての反理性主義的な思想を受け取っている。この二人からの相反する影響が、以後の思考を形作った。

リガで教師と牧師を務めた後、1769年に船でフランスへ渡った。この航海中に書いた日記が、後の思想の原型になっている。

1770年、シュトラスブルクで眼の手術を受けた。この滞在中、二十一歳のゲーテと出会う。ヘルダーは五歳年上で、ゲーテにシェイクスピア、民謡、ホメロス、聖書を読ませた。ゲーテは後にこの出会いを、自分の考え方を変えた決定的な経験として回想している。

1776年、ゲーテの推挙によりワイマールの宮廷付き牧師兼教育監督官に就任した。以後、死ぬまでこの地にいる。

晩年はカントおよびゲーテ・シラーと対立した。カントの批判哲学に反論する著作を書き、ワイマール古典主義の方向にも同調しなかった。孤立したまま、1803年、59歳で死去した。

作風

ヘルダーが打ち出したのは、それぞれの民族が固有の文化を持つという考えである。

当時の支配的な見方では、フランス古典主義が普遍的な規範だった。良い文学とは何かの基準が一つあり、各国はそれに近づくべきだとされる。ヘルダーはこれを否定した。それぞれの民族は、その土地、気候、歴史、言語のなかで独自の表現を作る。ギリシャ悲劇が優れているのはギリシャの条件のもとで生まれたからであり、それを別の時代の別の民族が模倣しても意味がない。

この考え方から、民衆の歌への関心が生まれた。ヘルダーは「フォルクスリート(民謡)」という語を広めた人物である。教養層の詩ではなく、農民や船乗りが歌い継いできたものに、その民族の詩の源泉があるとした。自ら各国の歌を収集して訳した。ドイツだけでなく、スコットランド、リトアニア、ラトビア、北欧、スペイン、南米の歌が含まれる。

シェイクスピアの評価もこの理屈による。三一致の法則を守っていないから劣るのではない。イギリスの土壌から生まれた別種の完成であり、ギリシャ悲劇と比べて優劣を論じることはできない、という主張である。

言語についての考えも重要である。『言語起源論』では、言語が神から与えられたのでも、単なる約束事でもなく、人間が世界を認識する営みそのものから生じたと論じた。思考は言語のなかで行われる。したがって、異なる言語を話す民族は異なる世界を持つことになる。

歴史の見方も同様である。ある時代を別の時代の基準で裁いてはならない。それぞれの時代がそれ自体の中心を持つ、という立場をとった。

作品

『断章』(1767年)と『批評の森』(1769年)は初期の批評である。

『言語起源論』(1772年)

ベルリン科学アカデミーの懸賞論文として書かれ、受賞した。

『ドイツの特性と芸術について』(1773年)

ゲーテとの共著の論集である。ヘルダーがシェイクスピアと民謡について書き、ゲーテがドイツ建築について書いた。疾風怒濤の綱領的な文書とされる。

『諸民族の歌』(1778〜79年)

各国の民謡を集めて訳したものである。後に『民謡集』の名で知られるようになった。

『人類歴史哲学考』(1784〜91年)

主著である。地球の形成から各民族の文化までを扱い、歴史を有機的な発展として描いた。

日本語では『言語起源論』が読める。

文学史における立ち位置と影響

ヘルダーは疾風怒濤の理論的な出発点にいる。ゲーテに決定的な影響を与え、その若い世代がフランス古典主義の規範を捨てる根拠を与えた。

民謡への関心は、ヨーロッパ全体に広がった。グリム兄弟による童話と伝説の収集は、この方向の延長にある。以後、各国で自国の伝承を集める運動が起き、民俗学という学問が成立していく。イギリスのワーズワースらロマン派が民衆の言葉で詩を書こうとした背景にも、この思想がある。

それぞれの民族が固有の価値を持つという考えは、19世紀のナショナリズムの理論的な源泉にもなった。とくに東欧と北欧で、自国語の文学を確立する運動の根拠として用いられている。

ただしこの受容には両面がある。ヘルダー自身は民族の優劣を認めず、あらゆる民族が等しく価値を持つという立場だった。ドイツ人が他より優れているという主張とは逆の方向である。にもかかわらず、後に民族主義的・排他的な文脈で引用された。この誤用と本人の主張の距離は、繰り返し論じられてきた。

文化相対主義の先駆としても位置づけられる。それぞれの文化を、その内側の基準で理解すべきだという考え方は、20世紀の人類学へつながっている。

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