ロシア文学史 — トルストイとドストエフスキー
ロシア文学には、他の国と違う際立った特徴が二つある。
一つは、出発が遅く、到達が早いことである。近代文学が始まるのは19世紀初頭で、フランスやイギリスより数百年遅い。ところがそこから五十年ほどでトルストイとドストエフスキーに達する。この加速は文学史の中でも異例である。
もう一つは、文学が文学以外の役割を負わされたことである。検閲と専制の下では、政治も哲学も宗教も公然とは論じられない。その結果、小説と詩がそれらを論じる場所になった。ロシアで文学者が特別な尊敬を受けてきたのはこのためであり、同時に、作家が投獄され、流刑にされ、処刑された理由でもある。
以下、五つの時代に分けて追う。全体の見取り図は次のようになる。
| 時代 | 年代 | ロシア史の状況 | 文学に起きたこと | 代表作 |
|---|---|---|---|---|
| 近代以前 | 1000〜1820年 | キエフ・ルーシから帝政の成立 | 教会スラヴ語の文字文化。西欧の模倣が始まる | イーゴリ軍記 |
| 黄金時代 | 1820〜1890年 | 帝政。農奴解放(1861年) | 五十年で長篇小説の頂点に達する | 戦争と平和 カラマーゾフの兄弟 |
| 銀の時代 | 1890〜1917年 | 革命前夜 | 小説の世紀のあとに詩の時代が来る | ペテルブルグ |
| ソヴィエト期 | 1917〜1991年 | 革命・スターリン体制・冷戦 | 国家が創作方法を定め、作家を弾圧する | ドクトル・ジバゴ イワン・デニーソヴィチの一日 |
| 現代 | 1991年〜 | ソ連崩壊以後 | 検閲が消え、条件が根本から変わる | 『戦争は女の顔をしていない』 |
近代以前(1000〜1820年/キエフ・ルーシから帝政へ)— 教会の言語と、遅い出発
10世紀末にビザンツからキリスト教が伝わり、それとともに教会スラヴ語による文字文化が入った。ビザンツからの継承がロシア文化の起点にある。
中世の主要な作品は年代記と聖者伝である。文学作品としてはイーゴリ軍記(12世紀)が知られるが、18世紀に発見された写本が焼失したため、真作か後世の偽作かをめぐる論争が長く続いた。現在は真作とする説が優勢だが、決着はしていない。
18世紀、ピョートル大帝以降の西欧化政策の中で文学の近代化が始まる。ロモノーソフが文体を三つの段階に整理し、デルジャーヴィンが皇帝や神をたたえる頌詩を書き、カラムジンが感傷的な小説と歴史叙述を残した。この時期はまだフランス古典主義の模倣が主である。
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| イーゴリ軍記 | 12世紀 | 未詳 | 叙事詩 |
| 『ロシア語文法』 | 1755年 | ミハイル・ロモノーソフ | 文法書 |
| 『神』 | 1784年 | ガヴリーラ・デルジャーヴィン | 頌詩 |
| 『哀れなリーザ』 | 1792年 | ニコライ・カラムジン | 感傷小説 |
| 『寓話集』 | 1809年〜 | イワン・クルイロフ | 寓話 |
黄金時代(1820〜1890年/帝政ロシア)— 五十年で頂点へ
プーシキンが近代ロシア文学を事実上立ち上げた。エヴゲーニイ・オネーギン(1833年)は韻文で書かれた小説で、話し言葉に近いロシア語を文学の言語として確立している。今日のロシア語の文章語の基礎は、この作家に負うとされる。
続く世代で小説が急速に成熟する。ゴーゴリは死せる魂や外套で、滑稽と不条理が混じった世界を作った。われわれは皆ゴーゴリの外套から出てきた、という言葉が伝わっているが、この発言の出典は確かでない。
ツルゲーネフの父と子は世代間の思想対立を描き、既存の価値をいっさい認めない立場を指すニヒリストという語を広めた。ゴンチャロフのオブローモフは、寝台から起き上がれない主人公を通じて、オブローモフ主義という社会批評の語彙を生んでいる。
そして二つの頂点が現れる。トルストイは戦争と平和とアンナ・カレーニナで、外から見える世界の全体を無数の細部の積み重ねによって書いた。ドストエフスキーは罪と罰やカラマーゾフの兄弟で、意識の内側と思想の対立を書いた。この二人はしばしば対比される。
世紀の変わり目にはチェーホフが、事件の起こらない短篇と戯曲で、日常の中の満たされなさを書いた。その方法は20世紀の短篇小説と現代演劇の両方の基礎になっている。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『知恵の悲しみ』 | 1824年 | アレクサンドル・グリボエードフ | 喜劇 |
| エヴゲーニイ・オネーギン | 1833年 | アレクサンドル・プーシキン | 韻文小説 |
| 『現代の英雄』 | 1840年 | ミハイル・レールモントフ | 小説 |
| 死せる魂 | 1842年 | ニコライ・ゴーゴリ | 小説 |
| 外套 | 1842年 | ニコライ・ゴーゴリ | 短篇 |
| オブローモフ | 1859年 | イワン・ゴンチャロフ | 小説 |
| 父と子 | 1862年 | イワン・ツルゲーネフ | 小説 |
| 罪と罰 | 1866年 | フョードル・ドストエフスキー | 小説 |
| 戦争と平和 | 1869年 | レフ・トルストイ | 長篇小説 |
| アンナ・カレーニナ | 1877年 | レフ・トルストイ | 長篇小説 |
| カラマーゾフの兄弟 | 1880年 | フョードル・ドストエフスキー | 長篇小説 |
| 桜の園 | 1904年 | アントン・チェーホフ | 戯曲 |
銀の時代(1890〜1917年/革命前夜)— 詩の復活
19世紀末から革命までの時期をと呼ぶ。小説の世紀のあとに、詩の時代が来た。
がフランスから流入し、ブロークやベールイがこれを受け止める。ベールイのペテルブルグは、都市そのものが主人公のような実験的な長篇で、モダニズムの代表作の一つに数えられる。
続いて、象徴主義の曖昧さを退けて言葉に明確な輪郭を求めるアクメイズムや、過去の文化を否定する未来派といった運動が現れた。アフマートワ、マンデリシターム、ツヴェターエワ、マヤコフスキー、エセーニン、パステルナーク。20世紀ロシア詩の主要な詩人が、この短い期間に出そろっている。批評の側でも、作品が何を語るかではなくどう作られているかを分析するが生まれた。そして1917年、革命が起きる。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『夕べ』 | 1912年 | アンナ・アフマートワ | 詩集 |
| ペテルブルグ | 1913年 | アンドレイ・ベールイ | 小説 |
| 『石』 | 1913年 | オシップ・マンデリシターム | 詩集 |
| 『ズボンをはいた雲』 | 1915年 | ウラジーミル・マヤコフスキー | 長詩 |
| 『十二』 | 1918年 | アレクサンドル・ブローク | 長詩 |
ソヴィエト期(1917〜1991年)— 文学と国家
革命後、文学は国家の管理下に置かれる。1934年に社会主義リアリズムが公式の創作方法とされ、それ以外の方法は事実上禁じられた。検閲を通らない作品は、手書きやタイプで写して回し読みするの形でしか流通できない。
この時代の文学史は、弾圧の記録と切り離せない。マヤコフスキーは革命の詩人として活動したが1930年に自殺した。マンデリシタームはスターリンを諷刺した詩が原因で逮捕され、1938年に収容所へ送られる途中で死亡している。バーベリはのさなかに逮捕され、1940年に銃殺された。ツヴェターエワは1941年に自殺している。アフマートワは長く発表を禁じられ、レクイエムを紙に書かずに友人たちに暗記させて保存した。
ブルガーコフの巨匠とマルガリータは生前に発表できず、死後二十六年たった1966年から67年にようやく世に出た。パステルナークはドクトル・ジバゴを国外で出版し、1958年にノーベル文学賞に選ばれたが、当局の圧力で受賞を辞退させられている。
ソルジェニーツィンはイワン・デニーソヴィチの一日で収容所の日常を描き、収容所群島でその全体像を告発して国外追放された。シャラーモフは十七年を収容所で過ごし、その経験を短篇として残している。文学が命に関わるという事態が、これほど長期にわたって続いた例は多くない。
| 作品 | 成立・発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| われら | 1920〜1921年執筆 | エヴゲーニイ・ザミャーチン | ディストピア小説 |
| 『騎兵隊』 | 1926年 | イサーク・バーベリ | 短篇集 |
| 静かなドン | 1928〜1940年 | ミハイル・ショーロホフ | 長篇小説 |
| レクイエム | 1935〜1961年 | アンナ・アフマートワ | 連作詩 |
| ドクトル・ジバゴ | 1957年(国外で刊行) | ボリス・パステルナーク | 長篇小説 |
| イワン・デニーソヴィチの一日 | 1962年 | アレクサンドル・ソルジェニーツィン | 中篇小説 |
| 巨匠とマルガリータ | 1966〜1967年(死後) | ミハイル・ブルガーコフ | 長篇小説 |
| 収容所群島 | 1973年(国外で刊行) | アレクサンドル・ソルジェニーツィン | 記録 |
| 『コルィマ物語』 | 1978年(国外で刊行) | ワルラーム・シャラーモフ | 短篇集 |
現代(1991年〜/ソ連崩壊以後)— 検閲以後
1991年のソ連崩壊で検閲が消え、文学の条件が根本から変わった。
ペレーヴィンやソローキンは、ソヴィエトの記憶と現代ロシアを、引用や様式の模倣を組み合わせる手法で扱う。ウリツカヤは家族の歴史を通じて20世紀を描いた。
アレクシエーヴィチは、多数の人々への聞き取りを構成して作品にする手法で、2015年にノーベル文学賞を受けている。ベラルーシの作家だが、書いているのはロシア語である。言語と国籍が一致しないという、この地域の文学の特徴がここにも表れている。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『戦争は女の顔をしていない』 | 1985年 | スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ | 聞き書き |
| 『チャパーエフと空虚』 | 1996年 | ヴィクトル・ペレーヴィン | 小説 |
| 『青い脂』 | 1999年 | ウラジーミル・ソローキン | 小説 |
| 『クコツキイの症例』 | 2001年 | リュドミラ・ウリツカヤ | 小説 |