ロシア文学史
ロシア文学には、他の国と違う際立った特徴が二つある。
一つは、出発が遅く、到達が早いことである。近代文学が始まるのは十九世紀初頭で、フランスやイギリスより数百年遅い。ところがそこから五十年ほどでレフ・トルストイとフョードル・ドストエフスキーに達する。この加速は文学史の中でも異例である。
もう一つは、文学が文学以外の役割を負わされたことである。検閲と専制の下で、政治も哲学も宗教も公然とは論じられない。その結果、小説と詩がそれらを論じる場所になった。 ロシアで文学者が特別な尊敬を受けてきたのはこのためであり、同時に作家が投獄され、流刑にされ、処刑された理由でもある。
近代以前 — 教会の言語と、遅い出発
十世紀末にビザンツからキリスト教が伝わり、それとともに教会スラヴ語による文字文化が入った。ビザンツからの継承がロシア文化の起点にある。
中世の主要な作品は年代記と聖者伝である。文学作品としてはイーゴリ軍記(十二世紀)が知られるが、十八世紀に発見された写本が焼失したため、真作か後世の偽作かをめぐる論争が長く続いた。 現在は真作とする説が優勢だが、断定は避けるべきである。
十八世紀、ピョートル大帝以降の西欧化政策の中で、文学の近代化が始まる。ミハイル・ロモノーソフが文体の三分法を整理し、ガヴリーラ・デルジャーヴィンが頌詩を書き、ニコライ・カラムジンが感傷主義的な小説と歴史叙述を残した。この時期はまだフランス古典主義の模倣が主である。
黄金時代 — 五十年で頂点へ
アレクサンドル・プーシキンが近代ロシア文学を事実上立ち上げた。エヴゲーニイ・オネーギン(一八三三年)は韻文で書かれた小説で、話し言葉に近いロシア語を文学の言語として確立した。 今日のロシア語文章語の基礎は彼に負うとされる。
続く世代で、小説が急速に成熟する。ニコライ・ゴーゴリは死せる魂や外套で、滑稽と不条理が混じった独特の世界を作った。「われわれは皆ゴーゴリの外套から出てきた」という言葉が伝わっているが、この発言の出典は確かでない。
イワン・ツルゲーネフの父と子は世代間の思想対立を描き、「ニヒリスト」という語を広めた。イワン・ゴンチャロフのオブローモフは、寝台から起き上がれない主人公を通じて「オブローモフ主義」という社会批評の語彙を生んだ。
そして二つの頂点が現れる。レフ・トルストイは戦争と平和とアンナ・カレーニナで、外から見える世界の全体を無数の細部の積み重ねで書いた。フョードル・ドストエフスキーは罪と罰やカラマーゾフの兄弟で、意識の内側と思想の対立を書いた。二人はしばしば対比される。
世紀末にはアントン・チェーホフが、事件の起こらない短篇と戯曲で日常の中の不全感を書いた。彼の方法は二十世紀の短篇小説と現代演劇の両方の基礎になっている。
銀の時代 — 詩の復活と、革命前夜
十九世紀末から革命までの時期を銀の時代と呼ぶ。小説の世紀のあとに、詩の時代が来た。
象徴主義がフランスから流入し、アレクサンドル・ブロークやアンドレイ・ベールイがこれを受け止めた。アンドレイ・ベールイのペテルブルグは、都市そのものが主人公のような実験的な長篇で、モダニズムの代表作の一つに数えられる。
続いてアクメイズムや未来派といった運動が現れる。アンナ・アフマートワ、オシップ・マンデリシターム、マリーナ・ツヴェターエワ、ウラジーミル・マヤコフスキー、セルゲイ・エセーニン、ボリス・パステルナーク。二十世紀ロシア詩の主要な詩人がこの短い期間に出そろった。
そして一九一七年、革命が起きる。
ソヴィエト期 — 文学と国家
革命後、文学は国家の管理下に置かれる。一九三四年に社会主義リアリズムが公式の創作方法とされ、それ以外の方法は事実上禁じられた。
この時代の文学史は、弾圧の記録と切り離せない。
ウラジーミル・マヤコフスキーは革命の詩人として活動したが一九三〇年に自殺した。オシップ・マンデリシタームはスターリンを諷刺した詩が原因で逮捕され、一九三八年に収容所へ送られる途中で死亡した。イサーク・バーベリは一九四〇年に銃殺された。マリーナ・ツヴェターエワは一九四一年に自殺している。アンナ・アフマートワは長く発表を禁じられ、レクイエムを紙に書かずに友人たちに暗記させて保存した。
ミハイル・ブルガーコフの巨匠とマルガリータは生前に発表できず、死後二十六年たった一九六六年から六七年にようやく世に出た。
ボリス・パステルナークはドクトル・ジバゴを国外で出版し、一九五八年にノーベル文学賞に選ばれたが、当局の圧力で受賞を辞退させられた。
アレクサンドル・ソルジェニーツィンはイワン・デニーソヴィチの一日で収容所の日常を描き、収容所群島でその全体像を告発して国外追放された。ワルラーム・シャラーモフは十七年を収容所で過ごし、その経験を短篇として残した。
文学が命に関わるという事態が、これほど長期にわたって続いた例は多くない。
現代 — 検閲以後
一九九一年のソ連崩壊で検閲が消え、文学の条件が根本から変わった。
ヴィクトル・ペレーヴィンやウラジーミル・ソローキンは、ポストモダン的な手法でソヴィエトの記憶と現代ロシアを扱う。リュドミラ・ウリツカヤは家族の歴史を通じて二十世紀を描いた。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、多数の人々への聞き取りを構成して作品にするという手法(ドキュメンタリー文学)で、二〇一五年にノーベル文学賞を受けた。ベラルーシの作家だが、ロシア語で書いている。言語と国籍が一致しないという、この地域の文学の特徴がここにも現れている。
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ロシア文学史を貫くのは、文学が背負わされた過剰な役割である。政治も哲学も宗教も語れない社会で、小説と詩がその場所になった。そのために文学は尊敬され、そのために作家は弾圧された。
どこか一つに降りるなら黄金時代から。五十年ほどの間に、レフ・トルストイ・フョードル・ドストエフスキー・アントン・チェーホフが揃って現れた密度の高い時代である。