オシップ・マンデリシターム
- 原綴
- Осип Мандельштам
- 生没
- 1891–1938
- 出身
- ワルシャワ(当時ロシア帝国領)
- 国
- ロシア
- 時代
- 銀の時代
生涯
1891年、当時ロシア帝国領だったワルシャワのユダヤ人の家に生まれ、ペテルブルクで育った。
ペテルブルク大学などで学び、早くから詩を書いた。アフマートワらとともに、の曖昧さに反発し、明晰で具体的な言葉を求める「アクメイズム」の運動に加わる。1913年の最初の詩集『石』によって、その名を確立した。
革命後、マンデリシタームは新しい体制になじめなかった。詩人としての独立を保とうとするうちに、次第に発表の場を失っていく。1920年代後半からは、詩をほとんど発表できなくなり、翻訳や散文で生計を立てた。
1933年、運命を決する詩を書いた。スターリンを、その残虐さとともに風刺した詩である。「クレムリンの山男」と呼ばれるこの詩を、少数の友人の前で朗読した。密告され、1934年に逮捕される。異例にも、このときは銃殺を免れ、流刑にとどまった。スターリン自身が、詩人を「隔離せよ、だが保護せよ」と指示したと伝えられる。
流刑地で、マンデリシタームは詩を書き続けた。妻ナジェージダが、その傍らにいた。
1937年、流刑を解かれたが、翌1938年、の嵐のなかで再び逮捕された。強制収容所への移送の途上、あるいは中継収容所で、衰弱のうちに死んだ。四十七歳だった。正確な死の状況は分かっていない。
作風
マンデリシタームの詩は、緊密で、文化的な記憶に満ちている。
アクメイストとして、言葉の明晰さと事物の確かさを重んじた。だがその詩は単純ではない。ヨーロッパの文化——古代ギリシャ・ローマ、中世、そしてロシアの伝統——の記憶が、その言葉に、幾重にも織り込まれている。詩を読むことは、その背後にある広大な文化の連なりを、たどることでもある。本人は詩を「世界文化への郷愁」と呼んでいる。
言葉そのものへの強い意識がある。マンデリシタームにとって、詩は、意味を伝える道具である以前に、音と、言葉の物質性によって成り立つものだった。石、建築、音楽といったイメージが、繰り返し現れる。とくに建築への関心は深く、詩を、言葉による建造物として構想した。
後期、その詩は、より個人的で、切迫したものになる。流刑地で書かれた『ヴォロネジ・ノート』は、その頂点である。追い詰められた状況のなかで、なお、生と、この世界の美しさへの痛切な愛が歌われる。死を前にしながら、詩は、暗さに沈むのではなく、むしろ透明な強度を帯びる。
スターリンを風刺した詩は、その生涯を決定づけた。権力を、直接に、名指しで攻撃したこの詩は、詩人の勇気と、その代償を、象徴するものになった。詩を書くことが、文字通り、命がけの行為だった時代を、この一篇が示している。
作品
『石』(1913年)
最初の詩集である。アクメイズムを代表する。ペテルブルクの建築や、ヨーロッパの文化を歌う。
『トリスティア』(1922年)
革命期に書かれた第二詩集である。古典の主題と、時代の激動が交錯する。
「クレムリンの山男」(1933年)は、スターリンを風刺した詩である。この詩が、逮捕の直接の原因になった。
『ヴォロネジ・ノート』
流刑地ヴォロネジで書かれた後期の詩群である。生前は発表されず、後に妻によって世に出された。
散文『時のざわめき』や、詩論『ダンテについて語る』もある。
日本語では詩の抄訳がある。
文学史における立ち位置と影響
マンデリシタームは、20世紀ロシア詩を代表する詩人の一人である。アフマートワ、ツヴェターエワ、パステルナークと並んで、の頂点に立つ。
その死は、詩人と権力の対決の最も悲劇的な帰結を示す。スターリンを風刺した詩ゆえに逮捕され、収容所への途上で死んだ。詩を書くことが、死につながった。この事実は、全体主義体制における詩人の運命を、鮮烈に象徴している。
その詩が、いかにして守られたかは、それ自体が一つの物語である。発表できず、書き留めることも危険だった詩を、妻ナジェージダが、記憶によって保存した。ナジェージダは夫の詩を暗記し、頭のなかで守り続けた。そしてスターリンの死後、統制が緩んだ「雪解け」の時期にそれを書き記した。アフマートワのレクイエムと同じく、人間の記憶が、詩を、権力の抹消から守った。
妻ナジェージダの回想録も、重要な意味を持つ。夫の逮捕と死、そしてスターリン時代の恐怖を記録したその回想録は、詩とは別に、時代の証言として、高く評価されている。
詩論の面でも、大きな影響を残した。とくにダンテについての論考は、詩の言語と、その運動を論じたものとして、詩論の古典とされる。
死後、その名誉は回復され、今日では、ロシア詩の最も重要な詩人の一人とされる。ブロツキーは、マンデリシタームを、深く尊敬していた。
日本での受容は、銀の時代への関心のなかで進んだ。詩と、妻の回想録が、翻訳されている。