ニコライ・ゴーゴリ

短い前髪と細い口ひげで、黒い外套をまとったニコライ・ゴーゴリの油彩肖像画。
フョードル・モレル筆(1840年)
原綴
Николай Гоголь
生没
1809–1852
出身
ポルタヴァ県ソローチンツィ(現ウクライナ)
ロシア
時代
黄金時代

生涯

1809年、ウクライナの小地主の家に生まれた。父は素人劇の作者でもあり、家庭にはウクライナの民話と芝居の素地があった。

19歳でペテルブルクへ出る。俳優を志して失敗し、下級官吏として働いた。1831年、ウクライナの民話を素材にした短篇集『ディカーニカ近郷夜話』で認められる。プーシキンと知り合い、深く影響を受けた。死せる魂の着想はプーシキンから与えられたと、後に書いている。

1836年、戯曲『検察官』が上演される。皇帝ニコライ一世が観劇を許可したことで実現したが、作品は激しい批判を浴び、ゴーゴリは国外へ去った。以後12年の大半をローマなど国外で過ごし、そこで死せる魂を書いている。

晩年は宗教的な傾倒が深まった。1847年の『友人との往復書簡選』では、農奴制を含む既存の秩序を擁護する主張を展開し、進歩派から激しく攻撃される。批評家ベリンスキーの弾劾の手紙は有名である。

1852年、死せる魂第二部の原稿を焼き、断食に入って十日ほどで死んだ。42歳だった。

作風

ゴーゴリは、現実をわざと歪めて書くことで、かえって現実が見えるようにした。同時代のプーシキンが明晰で均整のとれた言語を作ったのに対し、ゴーゴリの文章は誇張と脱線でできている。人物は一つの特徴だけが肥大した怪物のようになり、事物が勝手に動き、語り手が話を逸らす。

だがその歪みが、ロシアの官僚制と地方社会の実態を露わにする。笑いながら読み進めて、いつのまにか怖くなる。この効果が作品の特徴である。

『検察官』では、地方の町に検察官が来るという噂が流れ、役人たちがたまたま滞在していた小役人を検察官と勘違いして接待し、賄賂を渡す。誰も嘘をついていない。全員が勘違いしたまま辻褄が合ってしまう。腐敗が完全に日常化しているために、誤解が滑らかに進行する。幕切れでは、本物の検察官の到着が告げられ、全員が凍りついたまま静止する。この無言劇が長く続く。

幻想を使うことも多い。『鼻』では、ある朝、役人の鼻が顔から消え、独立して街を歩き回る。理由は説明されない。外套では、死んだ下級役人が幽霊になって通行人の外套を剥ぎ取る。

作品

『ディカーニカ近郷夜話』(1831〜32年)

ウクライナの民話を素材にした短篇集である。

『検察官』(1836年)

戯曲で、官僚の腐敗を扱う。

『鼻』(1836年)

ペテルブルクを舞台にした短篇である。

外套(1842年)

極貧の下級役人アカーキー・アカーキエヴィチの話である。唯一の願いだった外套を、節約を重ねて手に入れ、その晩に強盗に奪われる。役所に訴えても取り合われず、熱を出して死ぬ。そして幽霊になる。

死せる魂(1842年)

主著である。チチコフという男が、死んだ農奴の戸籍上の名義を買い集めて回る。当時のロシアでは農奴が財産として登録され、次の人口調査までは死んでいても台帳に残った。チチコフはそれを安く買い、担保にして金を借りる計画である。筋そのものより、訪問先の地主たちの造形が中心にある。甘ったるく実務能力のない者、けちの権化、粗暴な嘘つき。それぞれが人間の一つの型として誇張されている。

第二部は書き上げられなかった。ゴーゴリは主人公が改心し道徳的に再生する構想を持っていたが、書けないまま原稿を焼いている。

文学史における立ち位置と影響

ゴーゴリはプーシキンと並んで、ロシア近代散文の二つの源流の一つとされる。プーシキンが明晰と均整の系譜を作ったのに対し、ゴーゴリは歪みと誇張の系譜を作った。

「我々は皆ゴーゴリの外套から出てきた」という有名な言葉がある(ドストエフスキーに帰されることが多いが、出典は確かでない)。意味するところは、「小さな人間」を主人公にする系譜がここから始まったということである。誰にも顧みられない下級の人間の生を書くという主題を、ドストエフスキーの初期作品が引き継いでいる。

幻想と現実を混ぜる方法も受け継がれた。ブルガーコフがその系譜にある。カフカとは直接の影響関係を証明できないが、不条理な状況と官僚制という主題で並べて論じられることが多い。

死せる魂第一部は、ロシア社会への痛烈な諷刺として読まれた。だがゴーゴリ自身は、自分が書いているのは魂の救済の物語のつもりだった。この受け取られ方と意図のずれが、晩年の破綻の背景にある。

ロシア出身で後に英語で書いた作家ナボコフは、ゴーゴリ論を書いてその言語の異様さを分析している。

ウクライナ出身であり、初期作品はウクライナの民話と風俗を素材にしている。近年、この作家をロシア文学とウクライナ文学のどちらに位置づけるかが議論の対象になっている。

作品

登場する文学史