イサーク・バーベリ
- 原綴
- Исаак Бабель
- 生没
- 1894–1940
- 出身
- オデッサ(当時ロシア帝国領・現ウクライナ南部)
- 国
- ロシア
- 時代
- ソヴィエト期
生涯
1894年、オデッサのユダヤ人の家に生まれた。当時はロシア帝国領で、現在はウクライナに属する。黒海に面したこの港町には多様な民族が入り混じっていた。ユダヤ人街の生活、密輸業者や無頼の徒の世界が、後の作品の素材になる。
若い頃、ペテルブルクへ出て、ゴーリキーに才能を認められた。ゴーリキーは、この若い作家に、まず世の中を見てくるよう助言する。バーベリはその言葉に従い、さまざまな仕事に就きながら各地を巡った。
1920年、ソヴィエト・ポーランド戦争に従軍した。革命直後のソ連とポーランドが国境をめぐって戦った戦争である。配属されたのは赤軍の騎兵隊だった。眼鏡をかけたユダヤ人の知識人が、荒々しい騎兵の部隊に身を置くという、異様な立場である。この従軍の体験が、代表作『騎兵隊』を生む。
1920年代、『騎兵隊』と『オデッサ物語』によって、バーベリは、ソ連の最も注目される作家の一人になった。その凝縮された文体は、絶賛された。
だが、1930年代、が公式路線になると、バーベリの立場は難しくなる。切り詰められて曖昧さを含むその文体は、単純明快さを求める時代に、合わなかった。バーベリは次第に沈黙していく。作家会議で、自らを「沈黙のジャンルの大家」と、皮肉をこめて呼んだことが知られる。書けないこと、書かないことが、その時代における抵抗の形になった。
1939年、の末期に逮捕された。拷問のもとで、ありもしない罪を自白させられる。1940年、銃殺された。四十五歳だった。その事実は隠され、家族には、収容所で服役中と伝えられた。押収された未発表の原稿は、すべて失われた。
スターリンの死後、名誉が回復され、作品も再び刊行されるようになった。
作風
一篇はどれも短い。バーベリは言葉を切り詰めることに異常なほどこだわり、一つの短篇を何十回も書き直したと伝えられる。その結果、一語一語が張り詰める。数頁を費やすような描写を、たった一つの鮮烈な比喩に置き換えてしまう。
『騎兵隊』は、その方法で、戦争の現実を描く。騎兵隊とともに戦場を行くユダヤ人の語り手が、見たものを書き留めていく。血と暴力の場面が、驚くほど美しい言葉で語られる。この結びつきが作品を特異なものにしている。
語り手自身の立場も、緊張をはらむ。暴力を憎みながら、同時にその力に憧れてしまう。馬を乗りこなせず、鵞鳥を殺せずに兵士たちから侮られる場面もある。この引き裂かれた意識が作品の陰影になっている。
『オデッサ物語』では、故郷オデッサのユダヤ人街を描く。とくに、盗賊団の首領ベーニャ・クリークを主人公にした物語群が知られる。無法者たちの世界が、諧謔をまじえて、どこか神話めいた輝きとともに描かれる。貧しく危うい暮らしが、たくましさの側から語られている。
作品
『騎兵隊』(1926年)
代表作である。ソヴィエト・ポーランド戦争の従軍体験に基づく、短篇の連作にあたる。三十数篇からなる。
『オデッサ物語』(1931年)は、故郷オデッサのユダヤ人街を描いた短篇集である。盗賊ベーニャ・クリークの物語を含む。
戯曲『日暮れ』『マリヤ』も残している。
自伝的な短篇「わが鳩小屋の物語」なども知られる。
日本語では『騎兵隊』『オデッサ物語』が読める。
文学史における立ち位置と影響
バーベリは、20世紀ロシアの短篇小説の最も優れた書き手の一人とされる。
その凝縮された文体は、短篇小説の一つの極致とされる。言葉を極限まで切り詰め、一篇に、長編に匹敵する密度を込める。この方法は、多くの作家に影響を与えた。ヘミングウェイの簡潔な文体と並べて論じられることもある。
暴力と美を結合させた点でも、独自である。戦争の残虐を、美しい言葉で描くという、危うい方法によって、バーベリは、暴力の本質に、逆説的に迫った。この手法は、後の戦争文学に、一つの可能性を示した。
ユダヤ人作家として、ロシア文学とユダヤの文化の交点に立つ。オデッサのユダヤ人街を描いた作品群は、失われたその世界の鮮烈な記録になっている。
その運命は、スターリン時代の文学者の悲劇を象徴している。時代に合わない文体ゆえに沈黙を強いられ、そして粛清された。銃殺され、原稿を奪われ、存在そのものを抹消されかけた。「沈黙のジャンルの大家」という自嘲は、その時代の作家の置かれた状況を、痛切に語っている。
日本での受容は、『騎兵隊』を中心に進んだ。その凝縮された文体は、短篇小説の名手として、高く評価されている。