セルゲイ・エセーニン
- 原綴
- Сергей Есенин
- 生没
- 1895–1925
- 出身
- コンスタンチノヴォ(リャザン県)
- 国
- ロシア
- 時代
- 銀の時代
生涯
1895年、リャザン県の農村に生まれた。農民の家である。この故郷の田園が、生涯の詩の源泉になった。
十代でモスクワへ出て、働きながら詩を書いた。1915年、ペテルブルクへ移り、農村の言葉で歌う若い詩人として、たちまち注目される。素朴な農民詩人という像が、都会の文学界に、新鮮に迎えられた。
革命を、当初は歓迎した。農民の解放と、新しいロシアの誕生を、そこに見た。だが、革命後の現実——工業化が進み、彼の愛した古い農村が失われていくこと——に、次第に幻滅していく。
私生活は、波乱に満ちていた。何度も結婚と離婚を繰り返す。そのなかには、アメリカの舞踏家イサドラ・ダンカンとの有名な結婚もある。言葉の通じない二人の結婚生活は、短く終わった。この時期、エセーニンは、ダンカンとともに欧米を旅したが、そこでも異邦人としての孤独を深めた。
晩年、アルコールへの依存が進み、精神的にも追い詰められていった。放縦な生活を送り、酒場を舞台にした自堕落な詩を書く。1925年、レニングラードのホテルで、自ら命を絶った。三十歳だった。最後の詩を、自らの血で書いたと伝えられる。その死は、大きな衝撃を与え、後を追う若者が出るほどだった。
作風
エセーニンの詩は、歌うような抒情である。
その中心にあるのは、ロシアの農村である。白樺、麦畑、丸太小屋、家畜、村の教会。故郷の田園の風景が、深い愛情をこめて、描かれる。エセーニンは、この失われゆく古いロシアの最後の詩人だった。
言葉は、平明で、音楽的である。難解な技巧を用いず、素朴で、口ずさめる言葉で書く。この歌いやすさゆえに、その詩の多くが、歌曲になった。ロシアで最も広く愛唱される詩人の一人である。
自然と、農村の生活が、宗教的な感覚と結びついている。動物への愛着も深い。犬、馬、牛。彼は、家畜や動物を、兄弟のように歌った。母馬から引き離される仔馬、殺される仔犬を悲しむ母犬。こうした詩には、素朴な生命への痛切な共感がある。
革命後、その詩は、暗く変わっていく。失われゆく農村への哀惜と、新しい時代に居場所を見出せない者の幻滅と自暴自棄。酒場、放蕩、荒廃した自己を歌う詩が増える。『酒場のモスクワ』は、その時期の代表である。
自然と自己の滅びが、重ね合わされる。晩年の詩には、死の予感が、色濃く漂う。だが、その滅びの感覚さえ、美しい抒情として歌われる。最後まで、エセーニンは、歌う詩人だった。
作品
初期の農村を歌った詩が、その名を確立した。「白樺」など、故郷の自然を詠んだ詩が知られる。
「牝馬の舟」などの革命期の詩がある。
『酒場のモスクワ』(1924年)
退廃と自暴自棄を歌った、後期の詩集である。
「ペルシャの抒情」は、東方への憧れを歌った、晩年の連作である。
「アンナ・スネーギナ」は、革命期の農村を舞台にした、自伝的な長編詩である。
日本語では詩の抄訳がある。
文学史における立ち位置と影響
エセーニンは、ロシアの農村を歌った、最後の偉大な抒情詩人とされる。
失われゆく古いロシアの詩人という位置が、その本質を示す。工業化と革命によって、伝統的な農村社会が消えていく時代に、その農村の最後の歌を歌った。彼の詩は、消えゆく世界への挽歌でもある。
ロシアで最も愛される詩人の一人である。その平明で音楽的な詩は、知識人だけでなく、広い民衆に愛唱された。詩の多くが歌になり、今日も歌い継がれている。国民的な詩人としての人気において、エセーニンに並ぶ者は少ない。
同時に、革命後の幻滅を体現した詩人でもある。革命に希望を託しながら、その帰結に絶望した。新しい時代に適応できず、自らを持て余し、破滅していった。この軌跡は、マヤコフスキーの自死とも重ねて、革命と詩人の悲劇として語られる。革命を代表する二人の詩人が、相次いで自ら命を絶ったことは、時代の暗転を象徴している。
その退廃的な生活と、自死は、伝説を生んだ。若くして、放縦のうちに滅びた詩人という像は、後世の人気をも支えている。ソ連では、一時、その退廃的な傾向が批判され、公式には冷遇された時期もある。だが、民衆のあいだでの人気は、絶えることがなかった。
日本での受容は、その抒情的な詩を中心に進んだ。農村と自然を歌った詩人として、親しまれている。