アレクサンドル・プーシキン

- 原綴
- Александр Пушкин
- 生没
- 1799–1837
- 出身
- モスクワ
- 国
- ロシア
- 時代
- 黄金時代
生涯
1799年、モスクワの貴族の家に生まれた。母方の曾祖父アブラム・ガンニバルはアフリカ出身で、ピョートル大帝に仕えて将軍にまで昇った人物である。プーシキンはこの血統を誇り、未完の小説の題材にもしている。
貴族の子弟のための学習院で学び、在学中から詩才を認められた。卒業後は官職に就くが、自由を求める政治的な詩が問題になり、1820年、南ロシアへ「転勤」という形で追放される。以後も監視下に置かれ、領地に軟禁された時期もあった。
1825年のデカブリストの乱では、蜂起した青年貴族の多くが友人だった。プーシキン自身は追放中で現場にいない。翌年、新帝ニコライ一世はプーシキンを呼び出し、以後の検閲を自ら引き受けると告げた。恩顧の形をとりながら、実際には皇帝個人による監視である。出国は許されず、旅行にも許可が要った。
1831年、社交界の美人として知られたナタリア・ゴンチャロワと結婚する。宮廷での噂が絶えず、1837年、妻をめぐる中傷に対してフランス人将校ダンテスに決闘を申し込んだ。腹を撃たれ、二日後に死去する。37歳だった。葬儀は当局によって場所と時間を変更され、群衆が集まらないようにされた。
作風
プーシキンの直前まで、ロシアの書き言葉は分裂していた。教会スラヴ語に由来する荘重だが日常から遠い語彙、貴族が会話や手紙に使うフランス語、そして文学の言語として整っていない話し言葉のロシア語。この三つが並立していた。
プーシキンは、三つを自在に往復する文体を作った。場面と人物に応じて語彙の層を切り替え、それを一つの作品のなかで破綻なく共存させる。以後のロシア語の散文と韻文は、ここを基準にすることになる。
ジャンルもほぼすべて試した。抒情詩、韻文小説、歴史劇、散文短篇、童話、歴史書。ロシア文学の各分野の最初の一作が、この一人の書き手から出ている。
散文の文体は簡潔で乾いている。『スペードの女王』では、装飾を排し、出来事を短い文で運ぶ。同時代のヨーロッパの散文と比べても、余分が少ない。
韻文小説エヴゲーニイ・オネーギンでは、「オネーギン・スタンザ」と呼ばれる14行の脚韻構成を全篇にわたって用いた。ソネットに近い長さの連を、四百近く積み重ねている。そのうえで語り手が脱線し、読者に話しかけ、韻を踏むのに苦労したと述べる。軽さと深刻さが同じ作品に同居している。
作品
エフゲニー・オネーギン(1825〜32年)
主著である。社交界に倦んだ青年オネーギンが、田舎で純朴な娘タチヤーナの求愛を説教して断り、退屈しのぎに友人の恋人と踊って決闘になり、友人を殺してしまう。数年後、公爵夫人になったタチヤーナと再会し、今度はオネーギンが恋するが、タチヤーナは拒む。今もあなたを愛しているが、夫に操を立てる、と告げて。チャイコフスキーのオペラで世界的に知られている。
『ボリス・ゴドゥノフ』(1825年)
歴史劇である。シェイクスピアの史劇を手本にし、フランス古典主義の三一致の法則を捨てた。ムソルグスキーのオペラの原作にあたる。
『ベールキン物語』(1831年)
短篇集で、ロシアの近代短篇小説の出発点とされる。
『青銅の騎士』(1833年)
長篇詩である。ペテルブルクの洪水で恋人を失った小役人が、ピョートル大帝の騎馬像に呪詛を投げ、像に追われる。国家と個人の対立という主題を幻想の形で書いた。ペテルブルクを主題にする文学の系譜は、ここから始まる。
『スペードの女王』(1834年)
短篇で、必ず勝つ三枚のカードの秘密を求める男が破滅する。
『大尉の娘』(1836年)
18世紀に起きたプガチョフの乱を背景にした歴史小説である。コサックの首領プガチョフが皇帝を名乗って蜂起し、農民を巻き込んで各地を占領した反乱にあたる。
文学史における立ち位置と影響
ロシア文学におけるプーシキンの位置は、他国のどの作家とも比較しにくい。「ロシア文学の太陽」という呼び方が定着している。
ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ——後続の全員が、プーシキンを出発点として意識した。ゴーゴリは死せる魂の着想をプーシキンから与えられたと述べている。ドストエフスキーは死の前年、プーシキン記念像の除幕式で演説し、ロシアの使命を論じた。この演説は賛否を含めて長く議論されている。
「余計者」の造形も残した。有能だが何もせず、社会に居場所を見つけられない青年という型で、レールモントフ、ツルゲーネフ、ゴンチャロフのオブローモフへと受け継がれ、19世紀ロシア文学の一つの主題になる。
ただし国外での評価は、ロシア国内でのそれと釣り合わない。理由は翻訳の困難にある。価値の大半が言語そのもの——語感、韻律、語彙の層の使い分け——にあるため、訳すと失われる。ロシア出身で英語でも書いた作家ナボコフは、エヴゲーニイ・オネーギンの英訳にあたり、韻を完全に捨てた逐語訳と膨大な註釈を作った。訳せないことを訳で示したような仕事である。
日本では二葉亭四迷以来のロシア文学翻訳の系譜のなかで読まれてきた。