レクイエム
- 原題
- Rekviem
- 作者
- アンナ・アフマートワ
- 成立
- 1935-1961
- 国
- ロシア
- 時代
- ソヴィエト期
概要
1935年から1961年にかけて書き継がれた連作詩である。全体で十数篇の短い詩と、散文の序文からなる。分量は少なく、通して読んでも短い。
主題は、スターリンの大粛清(1930年代後半に頂点に達した大量の逮捕と処刑)の時代の母たちの苦しみである。アフマートワ自身の息子レフ・グミリョフが、繰り返し逮捕され、投獄された。詩人は、レニングラードの監獄の前で、息子への差し入れや面会を求めて、来る日も来る日も列に並んだ。
冒頭に置かれた散文の一節が、この作品の成り立ちを示している。監獄の列に並んでいたとき、唇を紫にした一人の女が、詩人に小声で尋ねた。「これを書けますか」。詩人は「書けます」と答えた。すると、かつて女の顔だったものに、微かな笑みのようなものが走った——。この詩は、その約束として書かれた。
私的な悲しみを歌うのではなく、同じ苦しみを負う無数の名もない母たちを代弁する。個人の嘆きが、時代の証言になっている。
アフマートワは1889年の生まれ。革命前から著名な詩人だったが、ソ連体制の下で長く発表を封じられた。最初の夫である詩人グミリョフは、革命後の1921年に銃殺されている。
大粛清の時代、詩人の身辺は危険に満ちていた。この連作を紙に書きとめておくことは、発覚すれば逮捕を意味した。そこでアフマートワは、詩を紙に残さず、信頼できる数人の友人に暗誦させて記憶に託した。書いては読ませ、記憶させると、その紙を燃やした。作品は、複数の人間の記憶の中に分散して保存された。十数年にわたって、この詩は一度も物として存在しなかった。
作品が公にされたのは、はるか後である。国外では1963年にロシア語で刊行された。ソ連国内で正式に発表されたのは、1987年、詩人の死から二十年以上を経てのことだった。
アフマートワは、粛清後も苦難が続いた。第二次大戦後、党の文化政策によって激しく批判され、再び発表を禁じられた。息子レフは、母を人質にする形で、長く収容所に囚われ続けた。詩人は1966年に死去した。
文学史における評価と影響
スターリン時代の証言として、20世紀ロシア詩の頂点の一つに置かれる。散文による証言がソルジェニーツィンの収容所群島によってなされたとすれば、詩によるそれを担ったのがこの作品である。
この詩の力は、抑制にある。粛清の残虐を告発する言葉を使わず、監獄の前で待つ母という一つの状況に絞る。巨大な悲劇を、個人の具体的な体験に凝縮することで、かえって時代の全体が見えてくる。
私と公の関係も、この作品の要点をなす。詩人は自分の悲しみを歌いながら、それを個人のものに留めない。冒頭の女との約束が示すように、詩人は、声を奪われた無数の人々の代弁者として書く。「私」が語ることが、そのまま「われら」の証言になるという構造をとる。
保存のされ方そのものが、この作品を特別なものにしている。物として存在せず、人々の記憶の中でだけ生き延びた詩は、権力が言葉を消そうとしても、記憶までは消せないことを示す。「原稿は燃えない」という、同時代のブルガーコフの巨匠とマルガリータの言葉と響き合う。
アフマートワは、この作品を含む生涯の仕事によって、ソ連の抑圧の下で沈黙を強いられた詩人たちの象徴になった。
日本でも訳が読める。短く、背景を知って読むと、一語一語の重さが伝わる。
内容
連作は、逮捕の場面から始まる。夜明けに連れ去られる者、それを見送る家族。詩人自身の体験が、簡潔な言葉で記される。
中心をなすのは、監獄の前で待つ母の姿である。判決を待つ日々、面会の列、差し入れの包み。希望と絶望の間で引き裂かれる時間が、断片的な詩として連ねられる。十七か月も監獄通いを続けたという一節がある。
苦しみが極まると、詩人は自分が自分でなくなる感覚を語る。「これは私ではない、苦しんでいるのは別の誰かだ。私にはこんなことは耐えられない」という趣旨の一節が置かれる。あまりに大きな苦痛は、当人を当人から引き剥がす。
やがて、宗教的な形象が現れる。息子を失う母の苦しみが、十字架のもとのマリアの苦しみに重ねられる。だが詩人は、キリストの死を嘆く場面で、誰も見ようとしなかった母マリアのほうへ視線を向ける。 磔にされる子ではなく、それを見つめる母の側に立つ。
終わりの部分「エピローグ」で、詩人は自分の役割を語る。もし自分に記念碑が建てられることがあるなら、それは生まれ故郷でも、愛した海辺でもなく、この監獄の壁の前に建ててほしいと願う。ここで三百時間も立ち続け、鉄の扉が閉ざされたのだから。そして、待ち続けた女たちのすべてを、自分は名を挙げて呼びたいが、名簿は奪われ、名を知る術もない——だから、その女たちのために自分は広い覆いを織る、と結ばれる。忘却に抗して記憶しようとする詩人の決意が、作品を締めくくる。